予期せぬ贈り物※
結婚式が、あと2カ月と迫っていた。そんな折、クラウスから届いた手紙に、リカルドの目は惹きつけられた。ライラが見合いをするというのだ。それだけでなく、なんと相手はアリシアに気がある……かもしれない、例のディートハルト・バーデンという男だった。まあ、リカルドがそうなるように仕組んだ節もあるが。
クラウスによるとアリシアの計らいで実現したという話だが、リカルドには一体いつの間にアリシアがそんな事をしていたのか全く検討がつかない。不思議に思いながら、けれどディートハルトという男を見てやる折角の機会なので、リカルドも立ち会う事に決めた。
クラウスへの返事を書いている途中、部屋が静かにノックされた。入ってきたのはアロイスだ。
「どうかしたか?」
「リカルド様、少し気になる事が」
アロイスがあまりに真剣な顔をするので、リカルドは手紙を書く手を止めてアロイスとソファに移った。
「何かあったのか?」
「アリシア様の事で、少し」
「……アリシアの?」
その名を聞くだけで、リカルドは少し動揺した。そんなリカルドを落ち着くよう宥めてから、アロイスは口を開いた。
「最近、お身体の調子が優れないようです」
「っ、まさか」
笑い飛ばそうとして、できなかった。アロイスがそのような冗談を言う男ではない事くらい、リカルドは十分過ぎる程に知っている。けれど寝室を一緒にして以来ほぼ毎日顔を合わせている筈の自分は、何一つ気付く事が出来なかった。彼の気のせいだろうと、願望を込めてそう思う。
「相当気を使って隠してらっしゃったようですが。先日オレイアがおかしいと気付き、私が調べ上げました」
アロイスによると、料理人やメイドに秘密にするよう言って過ごしていたらしい。彼らもアリシアがあまりに軽い調子で頼むものだから、大事だとは思わなかったそうだ。けれどそれがもう1カ月近くも続いているとなれば、綻びが出てくる。それでも始終共にいるオレイアですら最近にならないと気付けないくらいに、アリシアは神経を尖らせていたのだろうと推察された。
「俺は……全く知らなかった」
「落ち込むのも結構ですが、その前にやることがあるのでは?」
容赦無いアロイスの言葉が、逆に有り難かった。アリシアを大切にしたいと思って、アリシアもそれを受入れてくれて。少し、浮かれ過ぎていたのかもしれない。これでもし重い病であったなら、それはアリシアに安心して相談させてやれなかった自分の責任でもあるだろうとリカルドは思った。
自分達は幸せになるのだ。結婚式は二人の本当の始まりの象徴になるに違いない。けれど近くの物が見えなくなっては、それは唯の思いあがりに過ぎない事を、リカルドは心に刻んだ。
「直ぐに医者を呼べ。出来れば何も知らせずに、アリシアを空き部屋まで連れてきて欲しい」
アロイスは黙って頷いた。彼もきっと、このブラン家にとってアリシアがどれだけ大切な存在なのかを、本当に分かっている一人だろうとリカルドは思った。
診察は、来客用の空き部屋で行う事にした。医師が到着するまでには少し時間があったので、リカルドはその前にアリシアと話をしたいと思ったのだ。事情も知らずに呼び出されたアリシアは、不思議そうな顔をしながらアームチェアに腰掛けるリカルドを見ていた。
「あの……お呼びになりました?」
恐る恐る尋ねる程、自分は難しい顔をしていただろうか。不安にさせたくないと反省しながら、リカルドは意識して出来る範囲で表情を和らげた。それから、傍にあるベッドに腰掛けるよう促す。
「すまない。忙しかったか?」
「い、いいえ! オレイアさんと式に必要な物を確認し合っていただけでしたから。……何かあったんですか?」
「……アリシア、俺は」
そこまで言って、けれどリカルドはその先をどう切り出せば良いのか分からなかった。
体調の事を、どうして言ってくれなかったのか。結婚式は、負担になってはいないだろうか。此処での暮らしはどうなのか。――自分は、どう見えているのか。
気持ちが通じ合った事に満足してしまって、自分達にはまだまだ言葉が足りないのだと気付く。そうしてそれは、アリシアにも気付いて欲しいことだった。
「リカルド様?」
「アリシア。……俺達は、この先ずっと、何年も、何十年も一緒にいる。そうだろ?」
「は、はい」
突然のリカルドの言葉に、アリシアはおずおずと、少し恥ずかしそうに頷いた。
「俺は、お前をもっと知りたい」
「っ、リカルド様? 一体……?」
「お前が何を好きで、何が苦手で、どんな物に憧れて、どんな事を考えているのか。何でも良いから、少しずつでも良いから、知っていきたい」
アリシアの言葉を聞かずに言い進めて行くリカルドの話を、アリシアは戸惑いつつじっと黙って聞いていた。そうして少し考えてから、そっと口を開く。
「私は、読書が好きです。中でも推理ものが好きで、欲しい本が手に入った時は食事も忘れてのめり込んでしまいます。苦手な事は、道を覚える事。実は地図無しで歩かせるのは、とても危険なのです。今憧れているのは、ライラさんでしょうか。流行に敏感で、とても芯の強い女性ですから。それと、今は――そうですね、リカルド様の事を、沢山考えてしまっています」
「……」
1つ1つ、丁寧に答えて行くアリシアの表情は穏やかだった。リカルドの不安や考えをきちんと汲んでくれているのだと、それだけで分かってしまう。だからこそ、そんな風に揺れてしまった自分が少し恥ずかしいとすら思った。
「聴いて下さるのでしたら、私、毎日でもお話します。そうしたらリカルド様も、どんな事でも構いませんから、教えて下さいますか?」
「――ああ、勿論だ」
やっと絞り出した言葉に、アリシアはふわりと微笑む。それからふと、寂しそうな顔をした。
「リカルド様の仰いたい事、なんとなく分かったような気がします。……でも、突然そんな事を思ったのには、理由がありますよね?」
「っ、それは」
「もうそろそろ、隠し通すのも限界かと思っていました。ライラさんの事も一段落着きましたし、お話いたします。……また、御迷惑おかけしてしまうかもしれませんが」
「……アリシア」
まるで秘密を無理矢理暴いてしまったかのような後味の悪さがリカルドを襲った。けれど渋い顔をしたリカルドに、アリシアはふっと笑う。と、思えば、突然、ぐっと首に腕を回された。同時にアリシアが思い切り抱きついてくる。
「目を、瞑ってください」
「っ、」
押しつけられたようなキスは、未だにたどたどしかった。けれどそれにどうしようもなく安心してしまって、リカルドの張られた肩からは力が失われていく。
「ごめんなさい。心配、させてしまいました?」
「……参ったな。今、物凄く格好悪いだろ、俺」
「そんなこと、決してありません。凄く、嬉しいんですよ」
苦笑して見遣った先のアリシアの顔は、真っ赤だった。お互いに照れくさくて仕方ないけれど、それでも視線を逸らしたいとは思わない。
「どんな病気だったとしても、絶対に治してやるから。安心しろ」
「ふふ、分かりました」
本人が一番不安だろうに、アリシアは本当に安心したようにリカルドに身体を預けた。
漸く医師が到着したのは、そんな折だった。そうして、二人は思いもよらなかった事実を告げられる。
「――おめでとうございます、奥様、旦那様。ご懐妊ですよ」
その日、屋敷内に響き渡ったのは誰の歓声だっただろうか。ただ事情を上手く飲みこめていないアリシアとリカルドだけが、キョトンとしながらお互いを見つめていた。
医師が言うには、アリシアのお腹の中には既に3カ月になる子どもが居るとの事だった。確かに最近お腹の膨らみをアリシア自身も感じていたけれど、それは単に家事労働をしなくなって太ったのだと思っていたし、続く吐き気も風邪を拗らせたのだろうと考えていた。
けれどアリシアが自覚するしないに関係なく、この子は育ってきたのだと思うと感慨深いものを抱くと共にぞっとする。この3カ月間、身体に気を使わずに過ごしてきた事で、子供に負担を強いてしまったかもしれないのだから。
「アリシア、調子はどうだ?」
ロッキングチェアに身体を預けてうとうとしていると、リカルドが訪ねて来た。その手には剥いて小さく切った色とりどりのフルーツがある。
「大分楽になりました……でもリカルド様、何も一時間おきにいらっしゃらなくても」
「何かあったらどうするんだ。大切な身体なんだから、余計な気は遣わなくて良い」
「……」
別に気を遣っている訳ではないのだけれど、とアリシアは苦笑した。子どもが生まれるのはまだ半年以上先の話なのだ。まさかそれまでこの調子で続ける訳にはいかないだろうし、お互いに疲れてしまうような気がする。
「しかし、まだ全然自覚が持てないな」
「私も、です。けれどちゃんと、この子は生まれてくる準備をしているんですね」
やや膨らんだそこをそっと撫でる。人が1人自分の中に居るのだと思うと、不思議な気持ちがした。未来のブラン家を導く子。リカルドの血を受け継いだ、大切な大切な自分の子供。
「俺ももっと、威厳のある父親にならないとな」
「リカルド様なら、きっと大丈夫です」
使用人にも領民にも慕われる父の背を見て、この子はどんな風に育つのだろう。そんな事を想像するのが、最近のアリシアの楽しみでもあった。
「男の子と女の子の名前、1つずつ考えておいた方が良いんだろうか」
「ふふっ、まだ早いんじゃありません? でも、どっちなのかしら」
「どちらでも良いさ。どちらでも、皆喜んでくれるだろう」
リカルドの言葉に、アリシアも大きく頷く。屋敷中が既に歓迎ムードなのだ。
妊娠が発覚して直ぐに客室の1つを子供部屋に改装する手筈も整えられていた。オレイアは妊娠や子育てについて学びに頻繁に外に出ているようだし、アリシアに対してあまり友好的ではなかった使用人達も、気遣ってくれるようになった。
「……リカルド様も、ですか?」
「勿論。男の子なら跡継ぎとして立派に育てたいし、女の子なら嫁に出すのも惜しくなるくらいに可愛がりたい」
その言葉をリカルドがあまりにも真面目な顔をして言うものだから、思わずアリシアは笑ってしまった。そんなアリシアに、リカルドも照れくさそうな顔をする。
「……その、言うタイミングを逃してしまっていたのだが」
「何ですか?」
「――アリシア、ありがとう」
それは、ずるすぎる不意打ちだった。柔らかく微笑むリカルドを見て、ぶわっとアリシアの瞳に涙が溜る。何が、どう、と考える前に、ただただ嬉しいという感情が溢れて止まらなくなった。
「私こそ……本当に、ありがとうございますっ、」
子を持つ事が、こんなにも幸せな事だと知らなかった。今まで欲しいと思っても、それは跡継ぎを作らねばならないという義務感だったり、焦燥感だったりが付きまとうものであったのだ。
この子が紡いでくれる繋がりが、待ち望まれている期待が、思い描く幾多もの将来が、与えてくれる満たされた気持ちを、アリシアはひしひしと感じていた。生まれてきて良かったと、こんなにも強くアリシア自身が認められるのは初めてかもしれないと思った。




