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向き合う時

そんなもやもやした気持ちを抱えたままだったのが、いけなかったのだろうか。朝から晴れない顔のアリシアに、リカルドはいつになく心配そうだった。執務室に紅茶を運んだアリシアはそのまま引き留められ、それに更に居た堪れなくなる。


「気分が優れないのか?」


「い、いいえ」


慌てて取り繕ったのが、逆に拍車をかけてしまったらしい。アロイスが持ってきた書類を置いて、リカルドはアリシアの座るソファに腰を下ろした。それからアリシアの額に手を当てて熱を測ったり、上着を肩に掛けたりと世話を焼く。切なそうに瞳を細められれば、それが演技でないと分かるから、アリシアは苦しくて仕方が無かった。


「そうだ、医師を呼ぼうか? 何か悪い病気の、前触れかもしれないし」


「だ、大丈夫ですから」


「そうか? ならせめて簡単な薬湯でも」


「あ、の! リカルド様っ」


ガタリ、と音を立てて席を立ったアリシアを、きょとんとしたリカルドの瞳が見つめた。リカルドのその表情を見ただけで躊躇いが生じてしまう。けれど、やはり一度言っておくべきだとアリシアは思った。


「どうした、アリシア?」


「その……優しくしてくださらなくても、大丈夫、です」


上手く言えない想いをたどたどしく紡ぐアリシアを、リカルドがじっと見つめる。


「優しく?」


「あ、ええと、そうではなくて。優しく、してくださるのは本当に嬉しいのですが、その……ここまで、ではなくても構いません、ということで」


言葉にすると、何だか難しかった。そんな要領を得ないアリシアに、リカルドは眉根を寄せる。


「すまない。あまり言っている意味を理解できていないのだが」


やや低くなったリカルドの声色に、やっぱりこのままの方が良かったかしら、とアリシアは既に後悔し始めていた。


「で、ですから、その。……リカルド様の、私に対する態度が、ですね」


「はあ」


「あ、あまりに、お優しいので、ですね」


まるで、大切にされる価値があると思ってしまいそうで、というような表現は、リカルドが嫌うだろうと思って言わなかった。誤解を生んで傷つける事だけは避けたいと思いながら、アリシアは自分の気持ちを吐き出す。



「戸惑って、しまうのです」


「……つまり、迷惑だ、と?」


「ち、がいます! そうでは、なくて。私には、勿体なくて、勘違いしてしまいそうになる、と申しますか」


ぶんぶんと首を横に振って否定するのに、リカルドの表情は益々険しくなっていく。


「アリシア、ハッキリしろ。――嫌、なのか?」


決して、怒っているのではなかった。だからアリシアに、違うと言わせたいわけではないのだと分かる。ただ、嘘偽りは許されないのだと感じて、アリシアは慎重に口を開いた。


「同情は、嫌です。でも、リカルド様に想っていただけているような今の状況は、嫌ではないのです。だから、困ります」


「……同情?」


「私の背中にある火傷は、私自身に責任のあるものです。ですから、リカルド様が辛く思う事はありません」


やっと言いたい事を吐き出せたアリシアに、リカルドは困惑したような表情を向ける。


「アリシア……俺は、同情したつもりはないんだが」


その言葉に、今度はアリシアが戸惑った。


「では、無意識なのですか? こんなにも態度を変えられたのに?」


「いや。それは、別に同情したから、というわけではなくてだな」


そこで口を噤んだリカルドに、アリシアは口元だけで小さく笑う。


「気を使っていただかなくても結構ですのに」


「そうじゃない」


「では、何故です?」


「……分からない、のか?」


真剣な眼差しで見つめられて、アリシアは必死で頭を働かせる。そうして思い当たった可能性は、昨日自分自身を納得させた物だった。けれど、それを口に出せば怒られてしまうような予感がアリシアの中に芽生える。

そうじゃない。リカルドが世間体の為だけにここまで真剣になるような男ではないことを、アリシアもいい加減理解していた。


「……分かりません」


諦めて放った言葉に、リカルドはハァ、と重い溜息を吐く。


「アリシア。お前は、自分の傷を俺のせいじゃないと思っている。そうだな?」


「はい」


何を今更。そう思いながら、アリシアはコクリと頷く。


「それと同じように、俺だって自分の焼印を、お前のせいだとは思っていな」


「やめてください!」


突然上げた大声に、一番驚いたのはアリシア自身だった。バクバクと速まる心臓を抑えながら、それ以上聞けば足元が崩れ落ちてしまいそうな焦りを全身で感じていた。


「……アリシア」


「リカルド様、私――許して欲しくないって、前に言いましたよね」


「どうしてそう、頑なになるんだ」


「だって」


そこでアリシアは、何も言えなくなった。言ってしまえば、全てが消えてなくなってしまいそうで、怖かった。そんなアリシアの肩に、リカルドの手が回される。慰められているように感じて、何も言わないリカルドが、けれどその先の言葉を待っているのだとアリシアは思った。




「だって、許されてしまったら……リカルド様のお傍に居る理由が、無くなってしまいます」


ポツリと言って、アリシアは無性に悲しくなった。涙がじわりと滲んだけれど、それを流すまいと押し止める。リカルドの本音を、ただ受け入れようと思った。そんなアリシアを、リカルドは少しの間、ただただ見つめていた。そうして過ごした後、不意にきゅっと抱きしめられる。耳元に寄せられたリカルドの唇が、切なそうに吐息を漏らした。


「どうしてそんな風に考えてしまうんだ? 此処はもう、お前の居場所だろう」


居場所――そう、アリシアだって思いたかった。けれど、それは本当に自分の居場所なのだろうか。リカルドの傍に居たいという、アリシアの我が儘になってはしまわないのだろうか。寝室を一緒にしてから、より強くそう感じるようになった。

――もし、子供ができたら。此処は、子供の居場所だ。けれど、アリシアは? 結婚した一番の理由を失ってさえ、アリシアが縋りつける存在意義は何だろう。それは、罪滅ぼしという、名目上の理由ではないのか。


ぐるぐるとした考えを、しかしアリシアは言葉にできなかった。黙り込んだまま、けれど逃げるわけでもないアリシアの頭に、リカルドは自分のそれを預ける。


「俺が、嫌いじゃないんだな?」


「っ、当たり前です」


好きなのだ。どうしようもなく恋焦がれて、けれどそれを伝えるのは許されていないような気がしている。


「……なら、文句は言うなよ」


「っ!?」


ふわりと、身体が浮いた。そう気付いた次の瞬間には、アリシアはリカルドに担がれていた。驚いて抵抗もできない内に、リカルドは無言でアリシアを運んでいく。そしてその先が仮眠室だと分かった時、アリシアは初めて恐怖を感じた。



メイドが整えてくれたベッドに、ドサリと下ろされる。逃げようと身体を反転させる前に覆い被られて、細く見えて筋肉質なリカルドの腕と身体に囲われた。


「……アリシア」


仕草は乱暴なくせして、愛おしそうに零れた自分の名前。それだけでアリシアの身体からは、どうしてだか力が失われていった。


「リカルド、様」


何を言えば良いのか、分からない。こんな形で結ばれるのが、身を割かれる程悲しかった。けれど好きな人を感じられる瞬間が、幸せだとも思うのだ。拒絶することも受け入れることもできないまま、ただ泣きそうな顔をするアリシアに、リカルドも悲しげな視線を向ける。


「言うな」


何を、と聞く間もなく口を塞がれた。チュッ、チュ……と角度を変えて啄ばまれ、そしてヌルリと舌が唇を割って侵入してくる。無気力にされるがままの、人形のようなアリシアなのに、リカルドの愛撫が止む事は無かった。ジー……と、背中のジッパーがゆっくり見せつけるように下ろされる。スルリと忍び込んできた掌は大きくて無骨で、男の人だった。




「……どう、して?」


「……分からないのか?」


先程と同じ質問。けれどアリシアにはもう、分からないのかどうかすら判断できなかった。アリシアの意思などお構い無しな強引さが怖くて、けれどその実誰よりも大切に自分を扱ってくれるリカルド。

溢れて頬を伝った涙を丁寧に舌で拭いながら、リカルドの瞳はアリシアを捕えて放さない。そこに込められた想いを知りたいと思って初めて、アリシアは彼を正面から見たような気がした。



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