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全てを明かす日※


「危ない所でしたね」


「……あのな」


与えられた部屋の続き部屋になっている寝室で悪戯っぽく笑うアリシアに、リカルドは苦い顔を返した。


「失敗したら、全てが台無しですよ、リカルド様」


アリシアはそう軽く言うが、コンプレックスになっている火傷を周囲の目に晒すのに、どれだけの勇気が必要だったろう。それでもアレが無かったら、確かに全てが水の泡だったかもしれなかった。


「しかし……あそこまではやれとは頼んでない」


結局人々に植えつけられたのは、アリシアの非道なイメージだったのではないだろうか。リカルドはただ自分の過去を隠したかっただけで、それ以上を望んだ覚えはない。アリシアを不当に貶める事も、したい筈が無かった。



「火傷、痛みますか? 手当しますから、横になってください」


ぐいぐい押されて、リカルドは仕方なくベッドに横になる。まだ小言を言いたい気持ちの治まらない中で、しかしシャツをそっと捲るアリシアの指がひんやりとしていて、リカルドは不覚にも焦った。こんな状況にも関わらず湧き上がる劣情を悟られまいと必死で隠しつつ、けれど寧ろ二人きりの寝室で、夫婦だからと同じベッドで、なのに平然としているアリシアの方が信じられないと彼は思う。


「痛っ、」


「あ、染みてしまいました? でもこの薬、とても効くらしいので我慢してくださいね」


傷口を滑る指先から意識を逸らそうと、上手く行った今日の作戦を脳内でなぞった。



――リカルドの背中には、新しい焼印がある。昔の焼印は成長につれて大きく伸び薄れていて、最近付けた物だと誤魔化しきれないだろうと判断したからだ。昔の物は、右下に。だから、新しい物は左下に刻んだ。シャツを捲る時に左側だけを見せるよう気をつければ、オレイアが目撃したという奴隷の焼印を新しい物とすり替える事が可能だ。そう言ったのはアリシアだった。

突飛なアイディアで突破口を作ってくれるかもというアロイスの言葉に乗って相談した結果、彼女からまさかそんな考えが出てくるとは思いもよらなかった。あの時は流石にアロイスもオレイアも青い顔をしていたな、とリカルドは思い返して思わず小さく笑う。本当に斜め上を行くよな、と思った所で、再び思考がアリシアの指先に行きそうになって、リカルドは慌てて首を振った。


「リカルド様?」


「な、なんでもない」


誤魔化すと、そう言われると余計に気になりますね、とアリシアは笑った。

熱の灯った身体は、全てじくじくと痛む火傷の所為だと思う事にする。


忘れていた痛みだった、熱さだった。押しつけられた真っ赤に熱せられた鉄は、そうやって大人になったリカルドを再び焼いた。そしてそれを行ったのは、アリシアだった。後ろを向いたリカルドに、態々実家から持ち出したそれを、アリシアのその華奢な手で、ぐっと押し付けたのだ。

まるで昔リカルドがアリシアにした仕打ちの仕返しのようだ。そう思いながらも、けれどリカルドは知っていた。彼の後ろで、そうしながら、アリシアが声も息の乱れも悟らせないように涙を流していた事を。

自分でそう提案しておいて、自身がやると言っておいて、それでも一番辛い顔を誰にも見せずに役目を終えた彼女は、振り向いた時には、頑張りましたね、とリカルドを労わった。



「はい、終わりました。服、擦れると痛むようでしたら、着なくても構いませんよ、今は」


平然とそう言われて、まるで男として見ていないようなアリシアの態度に弱冠落ち込む。ベッドに座ったリカルドは、自前の救急箱にテキパキと薬品や器具を仕舞っていくアリシアをやや恨みがましく見遣りながらふと思った。


「……手慣れているな」


「え?」


「治療。そういった知識も、自分で?」


良い薬師を知っているからと薬を調達してきたのも、そう言えばアリシア自身だったなと思い出しながら問うと、彼女はきまり悪そうな顔をする。


「……はい。家は、お医者様を呼ぶお金もあまり作れそうになかったので」


なるほど、と思いつつ、リカルドは話題の選択を誤ったかと後悔した。


「じゃあ、父親の為に?」


「はい――と、言えたら素敵だったのかもしれませんね」


「え?」


不思議そうな顔をしたリカルドに、アリシアはどう言おうか迷っているかのようだった。暫くそうして困った顔をしながら、やがておずおずと口を開く。


「その……私の火傷、見ましたか?」


「……少しだけ、だが」


あの時はすぐに覆い隠してしまったが為に、リカルド側からはあまり良く見えなかったのだ。もし仮に良く見える位置に居たとしても、自分が刻んだ過ちの証を直視できていたかは定かではないが。


「そう、ですか。――じゃあ」


そう言って、アリシアは不意にくるりと後ろを向いた。そしてルイスにしてみせたように、ぐっとドレスを捲る。


「!!」


そこにあった物に、リカルドは目を丸くした。


「驚きました? リカルド様が付けた痕なんて、もう残ってないんです」


アリシアの白く滑らかな肌は、突然踏みにじられたかのように途切れていた。レアンという名の少年だったリカルドが焼き付けた印は、確かにそこには無かった。――いや、無いという表現は、正しくないのだろう。それは確実にある筈なのに、見つけられないのだ。


「リカルド様がレアンだと気付いたのも、このお陰なんですよ」


「……」


何か言わなくてはいけない。沈黙は余計にアリシアを傷つけるのだと分かっていた。しかしリカルドはフォローするだけの言葉を見つけられずに、ただパクパクと口を開閉して言葉にならない想いだけを吐き出す。


「あの後――リカルド様がベルジェ家を去った後、父が私の悲鳴を聞いて駆け付けました。そうして蹲る私を見て、この身に刻まれた物に気付いたんです。私、怖かったから。怖くてどうしようもなかったから、父が来てくれて本当に安心しました。――なのに、まさかそれが本当の恐怖の始まりだったなんて」


「っ、まさか……! じゃあ、それはルーベン氏が……!?」


そんな馬鹿な、という思いでリカルドはアリシアを見た。そしてそれに、アリシアは無表情で返す。けれど普段あれだけ感情の豊かな彼女だからこそ、必死で湧き上がる感情を抑えつけているのだろうとリカルドには感じられた。

決して責められている訳ではない。そう分かってはいるのに、リカルドの中には自責の念が積み上げられていく。


「私も……最初は、信じられませんでした。でも、何度も、何度も訪れる痛みに、認めるしかなかったんです。



――あの小さな焼印を隠すためだけに、父は私の肌を焼きました」


衝撃的な告白に、リカルドの頭は正直着いてきていなかった。リカルドの知っているルーベンは、自分達使用人にはとても嫌味たらしく厳しかったが、娘のアリシアだけは溺愛する男だった。けれどアリシアの背中に広がる火傷は、焼印の大きさを遥かに超えている。その上執拗に何度も上塗りされた形跡が見てとれ、その拷問が幾度かに渡って行われた事は明らかだった。



「熱くて、痛かった。でもそれ以上に、悲しかった」


「もういい」


「赤くなって、膨らんで、潰れて、膿んで、色が変わ」


「もういいっ! アリシア」


当時を思い出す度、アリシアが弱って行くように思えた。消えてしまわないようにと衝動的に掻き抱いたリカルドの腕の中で、アリシアもそっとリカルドの腰に腕を回す。


「……もしあの焼印がまだ残ってたら。リカルド様とお揃いだなって、凄く大切に思えていたかもしれませんね」


本当に、残念そうな声音だった。そしてそれは物凄く残酷なお揃いだなとリカルドは思う。けれど彼自身、ほんの少しだけ残念に思ってしまったのだった。


「……」


「もしかして、不快でしたか?」


「え?」


「火傷の痕。――思っていたのと、違ったでしょう?」


小さく笑って問うアリシアが、どうしてだかとてつもなく傷ついて見えた。この火傷の所為で何度傷つけられたのだろうと、そう想いを馳せて、それからその内の一つはリカルドにも原因がある事を思い出す。


「っ、そんなもの!」


「リカルド様?」


「――そんなもの、気にしない、俺は」


ローレンに、アリシアの火傷の事を話したのは、自分だった。ベルジェ家への些細な復習と、自身の結婚相手候補とする為に、彼女の気持ちなどお構いなしにそう仕向けたのが、今になってこんなにも苦しい想いとして返ってくるなんてとリカルドは思う。



「――し、ぃ」


「え?」


「うれ、しい、です。ありがとうございます、リカルド様」


いつの間にか、アリシアは泣いていた。今の今までリカルドからもこの火傷を隠して来たのだ。それはきっと、リカルドがこれを受け入れてくれるか自信を持てなかったという事なのだろう。嫌われたくないと思うくらいには想ってくれていて、態々見せてくれるくらいには信用されたと考えて良いのだろうか。

小さく肩を震わせて嗚咽を堪えるアリシアを胸に感じながら、込み上げる愛おしさはもう止められそうに無かった。


二人の焼印に意味があったとするならば、それはきっと二人の道が一つとなった事なのだろうとリカルドは思う。自分の焼印がもし無かったら、きっと良家の娘と結ばれていた。アリシアの焼印が無ければ、ローレンの元へと嫁いでいたかもしれない。

忌むべき、縁だった。けれどリカルドは、今こんなにも幸せだ。


「……アリシア」


名を呼ばれて顔を上げたアリシアの額に、そっと唇を落とす。そのまま涙の溜る目尻に、そして頬に、鼻先に。チュッと音を立てて唇を離してから観察すると、呆然とするアリシアの顔が、徐々に染まってきた。


「なっ、なっ!」


慌てふためきながらも、リカルドの腕の中からは逃げられないアリシアを可愛いと思う。真っ赤になって抗議しようとアリシアがリカルドの顔を見た瞬間、今度は唇を奪った。ムグムグと何か言いたそうなのをそのまま塞いでいると、やがてアリシアは静かになる。

どうやら完全にショートしてしまったらしく固まっていたが、それを好機とリカルドは何度も角度を変えて貪った。そろそろ止めなければと思いつつ、つい欲張ってしまう。漸く解放した頃には、アリシアは頭から煙が出るんじゃないかと言うくらいに赤かった。


「アリシア? ……アリシア、大丈夫か」


ぺちぺちと頬を軽く叩いてやると、アリシアは何度目かでハッとして稼働し始める。


「リ、リリリリカルド様っ……!!」


「そういえば今日は同じベッドだな」


「うぇ!?」


ピシッと再び固まってしまったアリシアが可笑しくて、ついからかってしまいたい衝動に駆られる。先程までは男として全く意識してくれていなかったのにと思いながら、クイッと顎先を持ちあげてアリシアの顔を固定した。そうして、わざと耳元で囁いてやる。



「前に抱いて欲しいって言ってなかったっけ?」


「!」


思い出したのか、アリシアが更に挙動不審な動きを始めた。青くなったり赤くなったりしながら、それでも嫌だと言えないのはそれを『自分の役目』だと思い込んでいるからだろうか。


「……冗談だ。けれどせめて、夫婦の寝室は一緒にしようか」


敢えて和らげたリカルドの声色に、アリシアは安心したような縋るような目をした。思わず崩れそうになった理性を総動員させてニッコリと微笑んでやると、コクリとアリシアが頷く。


「あ、あの、嫌……とかではなくて、その、驚いて、だから」


「分かってる。気にしなくて良い」


必死で弁解する様子も何もかもが愛らしく思える。だからまさか最初から寝室を一緒にする事が目的だったとは言えずに、リカルドはくしゃくしゃとアリシアの頭を撫でた。


二人に漸く、秘密が無くなった日だった。




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