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本当の贈り物


「何故二人きりでいる」


「え、ええと?」


目の前のリカルドは、相当に怒っているように見えた。二人きりというのは、もしかしなくても自分と彼の事だろうかと、同じく困惑した様子のクラウスをアリシアはチラリと見遣る。

リカルドが勢い良くバルコニーの扉を開けて入ってきたのが、つい先刻の事だ。ライラとの事はどうなったのかと気になって仕方なかったのだが、問う前に怒鳴られてしまったため、アリシアは未だにそれを聞けずにいる。


「リカルド」


「お前は黙ってろ。アリシアに聞いているんだ」


クラウスの言葉をピシャリと撥ねつけて、リカルドはアリシアを見た。友人のクラウスよりも、自分の言葉を信じてくれるというのだろうか。それにどうしようもなく感じるのは仄暗い喜びで、アリシアはそんな自分に気付いて驚愕した。

リカルドをどうしようもなく欲していると実感したのはつい先刻の話だというのに、認めてしまえばこんなにも自分は貪欲だった。


「クラウス様とは、偶然お会いしただけです、リカルド様」


「嘘を吐け。態々バルコニーで偶然も何もあるか!」


確かに、バルコニーへはサロンから入るしかなく、通りかかるには不自然な場所だ。答えに窮するアリシアの様子にリカルドの怒りが募るのは目に見えるようで、アリシアはどうしようかと考えを巡らせた。本当の事はと言えば、ライラとアリシアの言い争う声を聞きつけたは良いが入るに入れなかったクラウスをアリシアが見つけた、という話なのだが、ライラと何を争っていたのかをリカルドにだけは聞いて欲しくなかった。


「……いい加減にしろ、リカルド。私はライラを探していただけだ」


ハァッと呆れたように溜息を吐いて間に入ったのはクラウスで、リカルドはそんな彼を睨みつけた。


「あのパーティ以来、妙な噂が飛び交っているのは知っているだろう。こんな所を誰かに見られたらどうする気だ、クラウス」


「迂闊だった。悪かった。だからそんなに怒るな。……お前、アリシア嬢に厳しすぎやしないか?」


それは、リカルドには痛い言葉だったのだろう。煩い、と小さく反論してから、少し冷静さを取り戻した様子のリカルドは、すまない、と謝罪した。


「ライラは一人で帰った。すまないがお前も出て行ってくれないか。アリシアと二人で少し話をしたい」


リカルドの言葉に、クラウスは何も言わずに従った。アリシアは、心の中で彼に礼を言った。








「先程はすまなかった……その、つい」


肌寒くなってきたからと場所をサロンへと移し、二人きりの室内で、リカルドはまだ少し落ち込んでいるようだった。


「良いんです、リカルド様。噂もありましたし、不貞を疑われていた立場だったことを失念していた私も悪かったのです」


屋内庭園での一件以来、幾度となくクラウスとそう思われそうな機会を作ってしまっているのは自分の責任だ、とアリシアは思う。それでも最終的には自分を許してくれているように見えるリカルドの態度が、彼女には何よりも嬉しかった。


「その、一応確認しておかなくてはならないと思うんだが」


「はい、なんでしょう?」


首を傾げるアリシアに、リカルドは言い難そうに顔を顰める。そして決心したようにアリシアの顔を真正面から覗きこんで、口を開いた。




「……クラウスに求婚されたという話は、本当か?」


「なっ!?」


突飛な話に、アリシアは目を見開いた。噂の出所は例のパーティの参列者だろうかと思いながらも、それを真に受けているらしいリカルドに少しムッとする。けれどあまりに必死な形相で此方を見てくるので、アリシアは意地悪をする気も失せて首を横に振った。


「……そうか」


「全く、リカルド様ったら、私の事を疑ってばかりです」


少しいじけて見せたアリシアに、確かに困っている筈のリカルドが嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。リカルドの怒りが独占欲でも嫉妬でも、自分を手放したくないと思ってくれているのならば、ライラの想いには応えなかったのだろう。アリシアはそう判断し、密かにホッと胸を撫で下ろす。


「それよりも、何かお話があったのでは?」


態々クラウスを帰らせて二人きりでしたい話がコレだというのなら、流石にクラウスに失礼だとアリシアは思う。ただでさえ、王宮への使いを頼んでいる身だ。


アリシアの言葉に本来の目的を思い出したのか、リカルドはゴソゴソと上着のポケットを探った。そこから出て来た物に、アリシアはハッとする。


「アリシア、これが……お前のくれたインク瓶から出て来たのだが」


それは、白い小さな円形のケースだった。インク瓶を贈った際に、本当の贈り物としてその中に仕込んでおいた物だ。


「……思ったより、気付かれるのが早かったですね。開けて、みましたか?」


「あ、ああ」


返答はどうにも歯切れが悪くて、アリシアはリカルドがその意味に気付いてくれたのだと確信した。


「私、リカルド様への贈り物を選ぶ時、とても困りました。だってリカルド様の事、何にも知らないんですもの。けれど、1つだけ。……1つだけ、あったんです。私が知っている、リカルド様のお好きな物」


にこりと笑うアリシアとは対照的に、リカルドは慎重に口を開く。


「――ライラが言っていた。俺がお前と結婚をした理由を、お前が知っていると。そんな筈は無いと思っていたが、しかし」


コクリと頷いて、アリシアは白いケースを受け取った。インクが染み込まないような密閉できる物となると簡素な作りのケースしか見つからず、それだけが少し心残りだったのを思い出す。

突起を爪で引っ掛けて力を入れると、カパリと乾いた音がしてそれが開いた。目に飛び込むのは、カラフルな粒。

昔はもう少し、綺麗に思えたような気がするわ、とアリシアは思ってから、リカルドの目を覗きこむ。






「コンペイトウ。――懐かしいでしょう? レアン」


「っ!!」


リカルドが、目を見開いてアリシアを見つめ返した。こうなることが予想できていただろうと思うのに、それでも過剰な反応を見せるリカルドを、アリシアはどこか不思議な想いで見ていた。


「貴方は、私と結婚した。私としか、結婚できなかった。何故ならその背中には、奴隷の焼印があるから」


ズイッと詰め寄るアリシアに、リカルドが後退した。悲しげに細められた瞳は、何を意味するのだろう、とアリシアは少し首を傾げる。


焼印は、リカルドにとってすれば絶対に知られてはならないものだ。それは、アリシアのように見た目が好ましくないから、という理由ではない。だってリカルドのそれは、アリシアのとは違って、本物なのだから。


“拾われ伯爵”と人は蔑む。しかしそこには、出自が分からないからこその憶測も飛び交うことだろう。先代夫人が不妊に悩んでいたという話ならば、先代が外で作った隠し子だと噂される事も想像に難くない。そしてそういった噂を否定せずに曖昧に濁しておくことが、格差意識の強く根付くこの社会で信用を得る為に必要なのだという事も、アリシアは知っていた。そうやって貴族は、身分を大事に大事に守って行くのだ。


「……アリシア、俺は」


何か言おうと、リカルドの腕がアリシアへと伸びた。けれどそれは触れる直前で迷ったように止まり、下ろされてしまう。


「当然の事だと思います。ですから、私、とても驚きました。だってリカルド様は、こんな私にも優しくしてくださったから」


誰にも明かせない秘密。けれど、跡継ぎを残すことも、彼の義務なのだ。だからたったひとり、同じように見せる事のできない火傷を抱えたアリシアは、お互いにお互いの弱みを握りあう相手となるだろうと思ったのだろう。

そうして憎むべき相手を――自分を奴隷として買って、人とも家畜ともつかぬ扱いをしてきた忌まわしい家の娘を、妻として迎えるしかなかったリカルドは、どれほど悔しい想いをしただろうとアリシアは思う。


「お前、どうして……。っ、怒らないのか?」


「それこそ、どうして? です。リカルド様を昔苦しめたのは、私の生家。そうして、自己中心的な性格だった私自身です」


過去、何も知らずに彼をどれだけ傷つけたのだろう。アリシアの背中に焼き付けられた彼の苦しみは、そのほんの一部でしかない。


「っ、違っ、アリシア!」


「リカルド様、私はまだ必要ですよね?」


リカルドの事だ。掛けられる言葉は優しく温かいのだろうと想像して、だからこそ、アリシアは聞きたくなかった。受け入れて欲しくない、と強く思う。


「決してお傍を離れませんわ。だから、昔犯した罪を、決して許さないでくださいね」


それが、今のアリシアの拠り所だから。自分以外に妻となる女など居ないのだと、そういう観念に囚われたままで居て欲しいとアリシアは願わずにはいられない。そこにしか自分の居場所はないのだと思えば惨めになるのに、それでも縋りついて離したくない気持ちだった。


「そうじゃないっ、俺は」


その時、サロンの扉がノックされた。


「っ、……なんだ」


「リカルド様、お話が。入ってもよろしいでしょうか」


声の主はアロイスだった。けれど今のリカルドでは忙しいと断ってしまいそうに思えて、アリシアはさっとドアの方に進む。


「アリシア! まだ話が」


「また今度にいたしましょう。失礼します」


ペコリとお辞儀をして、逃げるように部屋を辞す。入れ替わりになるアロイスに、なんて素敵に絶妙なタイミングだと思ったアリシアは、後にそれが良くない知らせであると知る事になるのだった。





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