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自覚する痛み※


「また喧嘩ですか」


アロイスが呆れたように溜息を吐くのを、リカルドは黙ってやり過ごした。

気付けばいじっている水色の四角い箱は、アリシアが去った後拾った物だ。きっとアリシアのだろう。返さなければと思うのに、アリシアとはあれ以来顔を合わせる事は無かった。リカルドは忙しく食事の時間が不規則で、その上アリシアも書庫に籠りきりなのでバッタリ出くわす事すらない。元来書庫になど出入りしないリカルドにとっては、偶然を装ってというには難しい場所で、結局返せず仕舞いだ。


「いい加減素直になりませんと、誰かに奪われてしまいますよ」


「……何だと?」


「気になっておいででは? 今日もクラウス様がおいでです」


「……」


自分との距離が開く分、クラウスとの距離が縮まるのだろうか。馬鹿な事を考えていると、リカルドは頭を振った。


この頃クラウスはアリシアを訪ねて来る。ライラが付いてくる時もあるが、一人で来る事も多いと言うのはつまり、ライラの付き添いというよりはライラが付き添いなのだろう。

リカルドが躊躇って入る事の出来ない書庫にすんなり入って行けるのが気にくわない。

アリシアが何を調べているのかは知らないが、クラウスになら相談できるというのも気にくわない。



「あらあら、リカルドはご機嫌斜めかしら?」


「……ライラ。せめてノックくらいして入ったらどうだ」


勝手に入室し、そして隣に座ってくるライラを、リカルドは溜息を吐きながら見遣る。アロイスは、特に何も言わず出て行った。


「別に良いじゃない。私、暇なのよ。お兄様と一緒に来たのだけれど。ほら、ね?」


「……何だ」


「ふふ、分かっているのではなくて?」


「……」


したくもない想像をして思わず目を逸らすリカルドに、ライラは小さく肩を竦めた。


「でも、少しくらいの遊びには寛容にならなくてはならないわ」


「それは、アリシアとクラウスが……と、いう事か?」

リカルドの低くなった声に、ライラは少し寂しそうな顔をする。まさか、と思い口にしてしまった二人の関係を否定しないライラに、リカルドは益々落ち着かなかった。


「……怒らないでちょうだいな。お兄様だって、侯爵家の長男。人妻と一緒になれるような立場に居ない事くらい理解してらっしゃるでしょう」


確かにクラウスは、友人の女に手を出せる程器用な性格ではないだろう。そこをリカルドは、無意識に安心の拠り所にしていたのかもしれない。けれど、もしクラウスが自分の想いを自覚していなかったら? 悪い方へと流れる思考に、リカルドはギリッと歯を食いしばった。


「もし自分の所有物が取られたようでムシャクシャするのなら、リカルドだって遊んでしまえば良いのよ」


別にムシャクシャなどしていない! と思わず怒鳴りそうになる自分を、リカルドは必死で抑える。そんな態度を取れば取る程、惨めになるような気がした。



「ライラ。君見たいな女性が、馬鹿な事を言うもんじゃない」


「……馬鹿な、事、ね。そうね、貴方にはそう見えるわね」


フゥ、とライラは溜息を吐いた。流れる沈黙の間に、リカルドも湧き上がる感情を抑え、冷静さを取り戻す。と、ふとライラが首を傾げた。


「あら、それ、開けていなかったの」


「それ?」


「その水色の箱よ。アリシアさんから貰ったのでしょう?」


また無意識に弄っていたらしい。ライラの言葉に、リカルドは少し眉根を寄せた。


「……俺が?」


「そうよ。って、知らないなら何故持っているの?」


「いや、その。拾ったんだ」


何よそれ、と怪訝そうにするライラは、リカルドの言葉など信じていなさそうだ。

しかし自分へのプレゼントだったとは、とリカルドは複雑な気持ちで箱を見つめた。そういえば籍を入れてもう3カ月経つというのに、お互いに贈り物をしたことなどなかった。

これを選んだ時、アリシアは何を想っていたのだろう――と、そこまで考えて、リカルドはいやいやと頭を振った。特別な感情を込めた物ではないだろう。

あの時――アリシアが初めて自分からキスをしてきた時。そして子どもを作るかと言った時だって、まるで義務のような態度だった。

……いや、義務だと言ったのは、自分だっただろうか。

どうも最近、矛盾だらけな感情をもてあましている気がする。


いい加減素直になれと言ったアロイスが思い浮かんだ。その意味を本当は嫌な程知っている事だって、リカルドは分かっている。けれど、素直になって良いのかどうかが分からない。

認めた先に、何が待っているのか――あるいは、何も待っていないのか。

もう、潮時だろうか。


どちらにしろ、自分にはこの態度をもう貫けそうにないとリカルドは思い始めていた。けれど自分の正体を知った時、アリシアが自身を愛してくれないだろうことは予想が着く。それが彼に踏み出す勇気をくれない要因だった。


「リカルド……? どうしたの、ぼーっとして」


「あ、いや……なんでもない」


飛んでいた思考を現実に戻し、リカルドは一つ息を吐く。そんなリカルドに、ライラはフ、と笑った。


「でも少し意外だったわ」


「何がだ?」


「実はね、リカルドの事だから、あまりその……本気ではないのだと思っていたの。アリシアさんの事」


あまりに寂しそうに言う物だから、もしかしたらライラは自分達の事で相当に気を揉んだのかもしれないとリカルドは思った。それから、言われた言葉の意味をじっくりと考える。


「……今は違うのか」


だとすれば、どちらが変わったのか。或いは、両方か。


「そうね。でも、まだ諦める程じゃないわ」


「? 何の話だ」


首を傾げるリカルドに、今度こそライラはニコリと笑った。


「何でもないのよ。こっちの話」


そうして、そろそろお兄様も来る頃ね、と席を立つ。エントランスホールまで見送ろうという申し出はその場で断られた。書斎のノブに手を掛けた所で、最後にライラが振り返る。


「そういえば、パーティの話、聞いた?」


「……パーティ?」


何か重要な催しがあっただろうかと考えを巡らせていると、ライラがいたずらっぽい表情をする。


「なんだ、まだなの。王太子殿下の誕生パーティよ。お兄様がアリシアさんをパートナーとして連れて行かれるわ」


「なっ」


初耳だった。


「言っておくけれど、これはアリシアさんからの要望よ? だから、お兄様を責めるのは止めて頂戴ね」


「……っ」


思わず想像するのは、寄り添う二人の男女。この屋敷など比べようも無いくらい豪奢なホールで綺麗に着飾ったアリシアが、ふわりと幸せそうに笑う。そしてその菫色の瞳に映るのは――


「ねえリカルド」


ライラの声に、リカルドはハッとした。彼女は既に扉の方を向いていて、その表情は伺えない。


「……何だ」


絞り出した声は、少しだけ掠れていた。




「――辛ければ、止めてしまえば良いのよ」


そうして、リカルドは一人になった。書斎の静寂が、やけに彼を落ち着かなくさせた。



やっとちゃんと意識し始めたリカルドさん

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