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冷たい役割


「リカルド様は?」


「屋内庭園にいらっしゃるかと」


答えたアロイスに礼を言って、アリシアは二階へと続く階段に向かう。


「アリシア様」


「なんでしょう」


「策は、見つけられましたか」


「……希望はあります」


アリシアは、自分で鉱山を歩き回ってきた。町で情報を求めても、結局誰ひとりとしてその存在を知らなかったからだ。

一日中歩いて、歩き回って、遥か昔の鉱山口へと向かう道を探した。何本もあった筈の道は草木に埋もれ、ワンピースも靴も何もかもが泥にまみれボロボロになってしまった頃、アリシアはやっと見つけた。

それは、木でできた看板だった。風化で崩れ、文字も掠れて読めなくなっていたが、間違いなくそこには矢印が掛かれていた。生憎アリシアではそこが鉱脈なのか判断する事は出来なかったが、しかし嘗て人が使っていた道を見つけた。それが希望だと思った。結局そこまでしか出来なかったとしても、それでも自分が掴んだ光だと思ったのだ。諦めたくない。


「絶対に、アロイスさんにも、リカルド様にも認めさせてみせます!」


宣言しながら、アリシアは自分自身にもそう言い聞かせていた。






「リカルド、様?」


久しぶりに入った屋内庭園は、日暮れの時刻だからか、ややひんやりとした空気に満ちているような気がした。入口からリカルドの姿は見えないが、きっと奥の肖像画前に居るのだろうと想像できる。

進んで見えた白いテーブルに無造作に置かれたジャケットが目に入った時、アリシアは漸く緊張している自身に気付いた。久しぶりの再会で何故か抱きしめられた事を除けば、喧嘩別れのようになってしまった晩餐会以来のきちんとした対面だ。

ちゃんと話し合えるだろうか。不安になりながらも、アリシアは手に持った水色の包みをギュッと握りしめた。



「アロイスか? すまない。今もど……アリシア」


ドレスの裾と生い茂る植物の葉が擦れる音に振り返ったリカルドは、一瞬固まって、それから言うべき事を考えるように黙り込んでしまった。沈黙にいたたまれなくなり、アリシアはそろそろとリカルドに近づく。


「少し、よろしいでしょうか」


おずおずと切り出したアリシアに、リカルドは頷いた。

プレゼントを渡して、仲直りをするだけ。プレゼントを渡して仲直りをするだけ。アリシアは何度も繰り返す。

そして意を決して口を開こうとした時。リカルドが、一瞬だけ辛そうに息を吐いた。


「っ、リカルド様、お加減が!?」


「いい、問題ない」


駆け寄ったアリシアを、リカルドはそう言って止める。触れたくても触れられない距離に、拒絶されたような錯覚を覚え、少しの間、アリシアは言うべき言葉を失った。



「申し、訳ありません」


「何がだ?」


リカルドにじっと見つめられ、アリシアは耐えられずに視線を逸らす。


「リカルド様が大変な時に、お傍にいられませんでした」


恋人では、ないから。彼の休まる場には自分は成り得ないと判断したからだ。そして全てを使用人達に任せてしまった。


「何処に行っていた?」


「……それは」


「言えないのか」


ハァ、とリカルドの溜息が聞こえた。躊躇いつつも、アリシアはこくりと頷く。


「……今は、まだ」


結果がでなければ、何の意味も持たない行為だから。ここで温情を受ければ、きっとアリシアは甘えたな自分から抜け出せなくなってしまう。


「怪我をしている」


アリシアがそれ以上詰められなかった距離を、リカルドが無くす。取られた右腕のドレスの袖からは、ほんの少しだけ擦り傷が見えていた。多分鉱山を歩き回っていた時に負った傷だろう。


「っ、リカルド様!?」


スルリと、断りも無く袖が捲りあげられた。心の準備無しでの行動に、アリシアは真っ赤になって硬直する。それを全く気にも留めていないように、リカルドはアリシアの腕を丹念に調べているようだった。


「だ、大丈夫ですから」


慣れない道で、それにそぐわぬ格好で入りこんで、木の枝や岩でつけた傷は小さいとは言え、決して少なくなかった。それが女らしくないと言われているように思えて、アリシアは恥ずかしくなって思わずパシリとその手を払ってしまった。


「……」


「あ……、」


折角無くなった距離を、アリシアがまた空けてしまった。リカルドの顔がムッとしたモノに変わる。


「そんなに俺に触れられるのは嫌か」


「っ、ちがっ!」


カツ、とリカルドの足音が温室内に響く。自分に向かうその一歩が何故だか怖くて、アリシアはつい後ずさってしまった。けれどそうすればそうする程、リカルドが意地になって行くように見える。


「……使用人達が噂していた。まさかとは思ったが、お前、不貞を働いているのか?」


「ふ、てい……?」


予想外の問いだった。つまり、つまり。私が、浮気をしている……と、そういうことだろうか。そこまで思い至って、アリシアはクラリと眩暈がする思いがした。


「そ、んなことっ!」


「じゃあ何だ! 屋敷を抜け出した理由を言ってみろ!!」


「……」


「っ、どちらにしろ、俺なんかよりも大事ってわけだな!」


「ち、がっ!」


反論は続けられなかった。塞がれた唇から感じるリカルドの体温に、しかしアリシアは自分が冷静になっていくのを感じる。

――嬉しくない

アリシアの目じりから零れおちた涙が、リカルドのシャツに染み込んでいく。


「……こ、んな事をしなくても、私はリカルド様の元を去りません」


「……うるさい。これもお前の役目だ」


「やく、め」


「お前は俺の妻だろう!」


リカルドが何にイラついているのか、アリシアには分からない。ただ虚しくて、情けないと思うのに涙が止まらなかった。

どうしていつも上手く行かないのか。やっと少し近づけたと思ったら、直ぐに離れてしまう。その繰り返しな気がしてくる。今だって仲直りしたかっただけなのに、結局逆効果だ。


――これが、妻の役目


フッと、アリシアは笑みを浮かべた。涙を拭って、それから、ゆっくりと顔を上げる。異様なアリシアの様子に何も言えないリカルドが、菫色の双眸に映った。

そっとアリシアの腕がリカルドへと伸ばされる。それがリカルドの首の後ろに回ったかと思うと、急にグイッと力が入った。引き寄せられたリカルドが、バランスを崩す。そのまま二人倒れこむ中で、それでもリカルドは咄嗟にアリシアを抱き寄せるようにして庇った。


「な、にをっ、……!?」


リカルドの目が見開かれている。それだけが、彼の唇を無理矢理塞いだアリシアに見える全ての事だった。

今度は、温もりなど分からない。ハッと我に帰ったリカルドが、ガバッとアリシアを離す。


「妻の、役目でしょう?」


リカルドの丸くした目一杯に、変な笑いを浮かべた自分が映っているのを、アリシアは何処か別世界の事のように感じていた。


「ア、リ……」


「……なんなら、子供でも作ります?」


パンッと乾いた音が響いた。

何が起きたのか分からなくて茫然としていると、じわじわと頬が鈍い痛みを訴えてくる。叩かれたのだと気付き、アリシアはそっと自分の左頬に手を当てた。


「何を、考えている!」


……何を? 私は、何を考えていたのだろう。混乱して、アリシアはよろよろと後退した。


「っ、」


出て行かなくては。リカルドに何も言って欲しくなくて、アリシアは走り去った。





こんなに辛いなら、早く妻としての役目を終えてしまいたいと思ってしまった。どうして、辛いのだろう。前のような暖かい恋愛感情は、確かに失ってしまったのに。

どうしてあんなに感情的になって、何を欲しているのか。分かりそうで、分かりたくなくて、アリシアは目を閉じた。


「……そうだ。お仕事、しなきゃ」


チェストの一番右上の引き出しにしまってあった鉱山の資料を取りだす。こうしていると落ち着いて、仕事に打ち込む人の気持ちが分かるような気がした。

今はこれに集中していよう。そうして何かを得られれば、リカルドと新しい関係が築ければ、きっとこの訳の分からないぐちゃぐちゃの想いは、過去のものになってくれるから。




作品を書いている中で一番苦手なのは、サブタイトルを付ける作業です

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