貴方に贈る物
「アリシア様っ!!」
自室に戻ると、ガバッと抱きついてきたのはオレイアだった。涙を浮かべて擦り寄る彼女に、アリシアは戸惑いつつも暫くされるがままでいた。
「オレイアさん……あの、その」
「アリシアさまぁーっ!! 酷いですわーっ!!」
「か、勝手な事をしてごめんなさい」
「何で私を連れて行ってくださらなかったのですかぁっ!!」
わんわんと泣くオレイアに、アリシアはどうして良いのか分からない。
「その……危険な場所ではないから、大丈夫かと思って」
そういう問題では無いのは分かっていたが、アリシアにとってみれば何処にでも侍女を連れ歩く淑女のような行為は、未だ慣れないものがあるのだった。それに危険な場所ではないと言いつつも、かなり冒険してきたような自分の格好では説得力がない。
「うう……今後はこのような事をしないと約束いただけますか?」
まだぐずぐずと鼻をならすオレイアに、アリシアは不謹慎にも暖かい気持ちになった。
「ええ、約束します。その、本当にごめんなさいっ!」
アリシアが頭を下げると、オレイアは少し落ち着いたようだった。どうやって償って良いものか分からないアリシアは、彼女の好きな物はなんだったか必死で頭を巡らせる。
「そ、そうだ。これからライラさん達と出かけるのだけれど、その、とってもお洒落をしたい気分なの」
そう言うと、オレイアの顔がパッと輝いた。普段から最低限しか身だしなみに気を使わない主人だから、きっと物足りないだろうとアリシアは考えたのだ。あの晩餐会の時も凄く生き生きとしていたオレイアを思い出して提案してみれば、彼女は途端にいつもの様子に戻っていた。ほっとしつつも、適度にお願いね、とアリシアは注文した。
ライラ・ドゥーケは、オレイアの言った通りの人物だった。洗練されたドレスは、最近流行の淡い色が可愛らしさを感じさせるのに、フリルやレースが少ないせいか幼い印象は与えない。大ぶりで濃紺のコサージュは、クラウスと同じシルバーグレイの髪に良く合っていて、ワンポイントなのがかえって本来の彼女の美しさを際立たせているように思えた。同じ侯爵家の人間として育ってきたのに、どうしてこうまで気品が違うのかと考えてしまう。
「あ、あの、今日はどうして市街地へ?」
「あら、女同士楽しむのなら、買い物が一番でしょう?」
クラウスはどうなるのだ、と思ったが、彼は護衛目的らしく必要以上に話しかけてくる事は無かった。それが物すごく申し訳なく感じて謝れば、自分が好きでやっている事だからと言われてしまう。
「……とは言いつつも。ねぇアリシアさん、リカルドにプレゼントでも選んだらどう?」
リカルド、と親しく呼ぶライラに、何だかもやもやとしたのは言わないでおこうと思った。こういう感情も、要らないものだ。
「プ、プレゼントですか?」
「そうよ! 聞けば何だか喧嘩中らしいじゃない? 倦怠期ってやつかしら。リカルドって変な所頑固だから、やっぱり仲直りにはきっかけが必要だと思うのよね」
どうやらクラウスから少し聞いたらしい。アリシアは申し訳なく思いつつも、リカルドとの気まずい距離を縮められるならと頷いた。
向かった先は他領から来た商人達が集う出店通りだった。こういう場所で買える商品は一期一会な物が多いからと、プレゼントにするなら最適らしい。
「リカルドなら、こんな物はどうかしら」
ライラに言われて覗きこんだ先には、色とりどりのカフスが並んでいた。はめ込まれている石はどれもこの付近では見かけないものばかりで、きっと他所の特産品なのだろうとアリシアは思う。
「どうせなら、身に着けてもらえるものが嬉しいと思わない? リカルドってあんまりこういう物に拘らないし、夫の身だしなみを整えるのも妻の大事な役目の一つよね」
一つ一つ手に取って行くライラを真似て、アリシアも素敵だと思ったものを眺めて行く。けれどライラに言われた通りにしかしていないアリシアには、何処かリカルドの為に選んでいるという実感が持てずにいた。
「……でも、喧嘩だなんて言って、なんだかんだ上手く行っているのね」
「え?」
此方を見ずに呟いたライラを、アリシアは手を止めて見やる。
「忘れたの? さっき私達の前で、抱きしめ合っていたじゃない。見せつけてくれるわ」
そんなんじゃない。普段はあんな感じではないし、アリシア自身、どうしてリカルドがあんな態度に出たのか分からないのだ。けれどどうしてだかそれを言いたくなくて、アリシアはだんまりを決め込んだ。
「羨ましいわ」
「ライラ、さん?」
物憂げな顔のライラに、アリシアは言い知れぬ不安を感じて問い返す。それにライラはハッとした顔をして、瞬時に笑みを作った。
「な、なんでもないのよ。ただ、ね。その、私にも、婚約者がいるものだから」
「そう、なんですか」
あまり上手くいってないのだろうか。そう考えつつも、何故かほっとしている自分がいることに、アリシアは気付かないフリをした。
「ところでアリシアさんは、お兄様の事、どう思う?」
急に問われ、戸惑いつつもアリシアは少し離れた所で腰掛けているクラウスをそっと伺う。
「その、とても……誠実な方だと思います」
「そう。そうね。少しお堅い所もあるけれど、他人を思い遣れる人なの」
こくり、とアリシアも同意する。リカルド達の会話を盗み聞いたと知った時も、まずは自分の事を心配してくれたクラウスだ。ハーブの事だって、社交辞令かと思いきや本当に持ってきてくれるし、こうして買い物にも付き合ってくれる。
「クラウス様とは、まだ知り合ったばかりですけれど。なんだか何でも話してしまいそうになります」
思わず笑みが漏れれば、先程まで感じていた不安は薄らいでいた。その様子にライラは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「けれど、どうして急にそんな事を?」
「い、いえ。お兄様はあんな方ですから、誤解されてしまう事もありますもの。心配で」
成程、とアリシアは頷いた。アリシアにもあんな兄が居たら、きっと大好きに、そして心配になるだろう。
「とても良い方だと思っていますよ。私、ちゃんとお友達を作るのって初めてで」
「……お友達、ですか」
「はい! あっ、お友達というのは少し不躾でしたでしょうか」
クラウスはじきに侯爵家を継ぐ人間だ。アリシアにあまり親しくされるのは、ライラにとっては面白くない事かもしれない。
「いいえ、いいえ! これからも是非気軽に呼びつけてしまってくださいな」
慌てて言うライラに、やはりあまり甘えてしまってもいけないなとアリシアは思いなおした。
「本当に、それで良かったんですの?」
プレゼント選びをしている間にクラウスが見つけてくれたカフェで昼食を取りながら、ライラが少し不満そうにテーブルに置かれた包みを見遣る。
「ええ。私、贈るなら残らない物が良いと、思ったんです」
水色の四角い箱をそっと撫でながら、アリシアはそう笑って言った。その中には、万年筆用のインクが入っている。アリシアが選んだリカルドへのプレゼントだ。容器の硝子に埋め込まれた、ある地方の海辺でしか採れない貝殻が綺麗で気に入ってしまった。
「……そう、なの。私なら、ずっと持っていて欲しいと思うけれど」
「ライラ」
ぼやくライラを、クラウスがそう窘めた。その様子に曖昧に笑って、アリシアはカップの紅茶に映る自分と見つめ合う。もし一生残る物でも渡せば、それと共に何かいけない感情までもをずるずると引きずってしまいそうで、アリシアは怖かった。
リカルドと過ごしてもう随分と経つのに、アリシアは彼の好きな物すら分からない。けれど一つだけ思い当たる節があって、二人には内緒でそれをこのインクと一緒にこっそり託す事にした。アリシアにとってはそちらがメインなのだが、リカルドが気付くのはまだまだ先の事だろう。
「そうだ、クラウス様。その、一つお願いしたい事があるのですが」
真剣な顔をしたアリシアに、クラウスも持ったカップを置いてアリシアを見つめた。
「聞こう」
「国王陛下に謁見できる機会を、作っていただけませんか」
「……陛下に?」
怪訝そうな顔をされて、アリシアは気を張る。全ての貴族は国王に仕え、そして民を守る義務を負う。だからそう簡単に目通りが叶う訳でない事は重々承知していた。
「陛下にどうしても直接お話ししたいことがあるのです。けれど私が一人赴いても、追い返されてしまうだけでしょう? 侯爵家からの口添えがあれば、もしかしたらと思ったのですが」
そうして、あの地を自分に託してもらわなければならない。その為の交渉材料を、一つだけアリシアは見つけていた。しかしそれは、国王陛下の判断如何ではアリシアの身を滅ぼすものでもある。
「難しい、でしょうか」
「出来ない事はないが……しかし」
言葉を濁すクラウスに、思わずアリシアは目を伏せた。まだ侯爵家の娘でいられたなら希望はあったかもしれない。けれど犯罪者の娘というレッテルを貼られたアリシアに、国のトップに時間を割いてもらう程の価値はないのだ。優しいクラウスはハッキリと言わないが、そういう事なのだとアリシアには分かってしまった。
その時、黙って聞いていたライラがフゥ、と溜息を吐いた。チラリとクラウスの方を見、そして事も無げに言う。
「何をそんなに迷ってらっしゃるの、お兄様」
「……お前にも分かるだろう。陛下に謁見というのはだな」
「難しい、と仰るのでしょう? それなら、来月のパーティに連れて行ってあげたらどう?」
ライラの言葉に、クラウスは眉根を寄せる。
「しかし、アレは陛下にお前を紹介する為の機会でもあって」
「そんなの、次でも良いじゃない。アリシアさんは急用なのでしょう? パートナーにしてあげるべきだわ」
ピシャリと言われ、クラウスはそれでも少し迷ったようだが、やがて諦めたように一つ息を吐いた。
「まあ、それなら少し時間を取って頂けるかもしれん。私からも手紙を書いておこう」
「ええと、?」
話が見えなくて、アリシアは困ったようにクラウスを見る。そんなアリシアに、クラウスは顰め面を笑みに変えた。
「来月、王太子殿下の誕生パーティが催されるんだ。私も招待を受けている。パートナーとして女性を一人連れていけるから、アリシア嬢さえ良ければ参加すると良い」
「あらお兄様! 女性をお誘いするのに、そんな言い方ありませんわ」
「ラ、ライラさん」
可笑しそうに茶化すライラに、クラウスはすっかり困っているようだった。
「ふふ、冗談よ。アリシアさん、これで良いでしょう?」
出会ったばかりのアリシアの無茶を聞いてくれる二人に、アリシアは泣きそうになるくらい嬉しかった。生家で過ごしていた時、買い出しで出た街中で、同じ年頃の女の子達が楽しそうに買い物をしていたのを遠くから羨ましく思っていた自分を思い出す。ベルジェ家での暮らしはアリシアにとって決して辛いものではなかったが、それでもふと独りだと感じる時が寂しくて仕方なかった。
それが今、無償で支えてくれる人達が居る。慕ってくれる人も居る。アリシアは、この恩に報いなければと強く思った。
「クラウス様、ライラさんっ、本当に、有難うございます!!」
このチャンスをモノにすることが、アリシアがこの先ブラン家の一員として生きて行く条件だ。
頑張ってクラウスを売り込むライラ




