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結婚話は突然に



「――シアっ、アリシア!!」


鍋の底にこびり付いた焦げを夢中で落としていたアリシアを現実世界に戻したのは、屋敷中に響き渡る怒声だった。ドスドスという足音まで聞こえてきそうで、アリシアは直ぐに作業を中断し、客間へと走った。


「は、はい! 何の御用でしょう、お父様」


息を整えるアリシアを、そして彼女が着る使用人のお仕着せ服を、部屋にいたルーベン・ベルジェが忌々しそうに見遣った。はぁ、と大きく溜め息を吐き、それから口を開く。


「急な来客の予定が入った。今すぐ一番上等な服に着替えて、もてなす準備をしろ」


ルーベンの言葉に、アリシアは思わず目を見開いた。それくらい、ベルジェ家への来客は珍しい事だった。それはもう、本来客間としてある筈のこの部屋を、ルーベンが第二の自室として使用してしまうくらいのご無沙汰ぶりだ。


「聞いているのか、アリシアっ!」


「は、はい!!」


思考の部屋に入り込んでいたアリシアはその声に全身をビクリと撥ね挙げ、すぐさま準備に取り掛かるのだった。






「こんなもので良いのかしら」


一番高級な皿に飾りつけた焼き菓子を見て、アリシアは溜め息を吐く。なんとか良い紅茶を棚の奥から発掘したものの、なにしろ急な話でお茶受けがない。仕方なく用意したのはアリシアが昨日焼いたマドレーヌだ。


「まあ、失礼にはならない筈、よね」


悩んでいても埒が明かないので、アリシアはそう言って無理矢理自分を納得させた。



ベルジェ家は、歴とした侯爵家だ。そして勿論アリシアは、侯爵令嬢という身分であった。しかし代々浪費家の多い事が祟って家が廃れて以来、もう十数年もの間、彼女はこの家の全ての家事を一人で担ってきた。何しろ使用人を雇う金もないくらい貧しいのに、ルーベンの浪費癖は未だ直る兆しもないのである。だから彼女が用意できた一番上等なドレスは、一昔流行った色の、その上一人で着られる簡素な物でしかなかった。



焼き菓子を飾り付けた時点で、客人が着いたようであった。アリシアは紅茶を入れ、盆に乗せて客間へと急ぐ。室内からは話し声が聞こえ、そっと様子を伺うと、いつになく上機嫌なルーベンの姿が見えた。客人はと言えば、下手をすれば親子だと言えるくらい歳の離れた青年である。ただし顔の造りの善し悪しを除いて考えれば、という話ではあるが。


「おお、アリシア! 何をしている、此方へ来なさい」


漂う紅茶の香りに気付いて、ルーベンがアリシアを手招いた。アリシアは頷き、盆を一端置いてから、ルーベンの隣に並ぶ。


「ブラン伯爵。これは娘のアリシアです」


「アリシア・ベルジェです。お初にお目に掛かります」


ドレスの裾を軽く持ちあげてする挨拶に、目の前の青年は目を細めて優しく笑った。


「これはご丁寧に。私はリカルド・ブラン。こちらこそよろしく」


手を差し出されて、促されるままに握手を交わす。近くで見れば見るほど、整った顔をした男だった。たしかブラン家の領地はベルジェ家のそれと隣接していた筈だ、とアリシアは思い出しながら、随分と若い当主だなぁという感想を抱く。



「で、お話というのは?」


そう切り出したルーベンを見て、この先は女が聞くものではないと、アリシアはお茶を出して直ぐに部屋を辞そうとした――のだが。


「ああ、貴女も聞いてくれると嬉しいんですが」


リカルドがそう呼び止め、アリシアは父が頷くのを見て渋々腰を下ろした。


「ありがとう。では、本題に入らせてもらいます。私が爵位を継いで、もう10年になります。大分仕事にも慣れ、大きな問題も無い――となれば、次に期待されるのがどういったものか。ベルジェ侯爵なら分かりますね?」


問われ、ルーベンは一瞬考える素振りを見せたが、直ぐに目を見開いた。


「まさか――いや、しかし」


チラリとアリシアに視線が移り、一人着いていけないアリシアは居心地悪げに身動ぎする。


「意外、ということはないでしょう? 失礼承知で申し上げれば、少し遅いくらいだ。其方にとっても、悪くない話かと」


「しかしそれはまた……急な話ですな」


沈黙が降りる。アリシアがそっと伺うと、リカルドはその沈黙を楽しむように笑っていた。まるで父が掌の上で転がされているように思え、アリシアは気味の悪い物を感じて慌てて目を逸らす。


「ああ、勿論、此方への融資はさせていただきますよ」


ハッと、息を呑む音が隣から聞こえた。爛々としたその瞳に、アリシアは、ルーベンがリカルドを金の出所にしか見えなくなっていることを悟る。何故自分が此処に残るよう言われたのかは分からないが、どうやら想像していた通り金銭がらみの話のようなので、アリシアは夕食の献立を考え始めていた。



「と、いうわけですが。――如何ですか、アリシア嬢」


「っ、え?」


急に話しを振られたアリシアは間抜けな声を出し、ルーベンに睨まれる。此処で粗相して父への融資話が白紙に戻ったらと恐怖が背を駆け上ったが、アリシアには何が『と、いうわけ』で、『如何』なのかサッパリ分からない。


「あ、の。……つまり?」


おずおずと尋ねたアリシアに、リカルドは可笑しそうに小さく笑って、それからこう告げた。




「つまり、アリシア嬢をいただきたい、という話です」




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