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意外な訪問者


アリシアは一人応接室(ドローイングルーム)で物思いに耽っていた。バルコニーに面していて日当たりの良いサロンは使用中らしい。

オレイアは何だか機嫌が悪そうに見えたので、気晴らしになるかとお遣いを頼んだ。心配を掛けているのは、自分でも良く分かっている。けれど気がつけばアリシアはどうしようもない虚無感に見舞われ、そしてあの夜受け止められた筈のリカルドとの因果を反芻しているのだ。

そうして再び物想いに耽るアリシアを現実に戻したのは、扉をノックする音だった。オレイアが帰ってきたのだと思ったアリシアは、何の確認もなく扉を開ける――が。


「突然すまない。少し、その、話をしたいと思ったのだが」


立っていたのは、あの晩餐会でリカルドと親しくしていた男だった。


「確か、ドゥーケ侯爵家の……?」


「クラウスだ。そう呼んでもらって構わない。……入っても?」


二人きりになる事に一瞬躊躇したが、しかしそんなことを思われるのもこの人にとっては不本意だろうと、アリシアは身体をずらして中へ招いた。使用人達に良からぬ噂を立てられないよう、一応ドアは開いたままにしておく。バネの効いたソファに腰掛けて対面すれば、何だか緊張してしまう程の真面目な青年に見えた。


「その、今日はどのような御用件で?」


おずおずと切り出したアリシアを、クラウスはじっと見つめる。言いたい事をまとめているように思えたので、アリシアも暫くは黙ったままでいた。

しかし、なんとも奇妙な状況だ、とアリシアは思う。リカルドや使用人と一緒に訪れるならまだしも、一人で来るというのはどういう事なのだろう。考えても結論の出ない疑問をぐるぐると頭の中で消化しようと頑張っていると、ようやくクラウスが口を開いた。


「……リカルドから、話を聞いたんだ」


「話を……ですか?」


コクリ、とクラウスが頷く。


「その、申し訳なかった。貴女を悪く言うつもりではなかったんだ」


悪く言われたことなどあっただろうか……そう考えて、やっとアリシアは、彼が何の話をしているのか見当がついた。つまりは、自分が立ち聞きをした事を、リカルドに訊いたらしい。


「あ、あのっ、その……」


そうと分かれば、申し訳なく思うのはアリシアも一緒だった。他人の話を、しかも故意に聞くなどと、淑女としてあるまじき行為だ。咎められても仕方が無い。


「すまなかった」


けれど彼は、アリシアの事を咎める様子など微塵も見せなかった。本当に反省していると強く感じる。アリシアは少し不思議に思いながらも、けれどその真摯な態度に心穏やかになるのを感じた。


「あの、そんなに謝らないでください。私、あまり気にしていないので」


アリシアが言うと、クラウスはまだ少しすまなそうな顔をして彼女を見た。


「しかし、私達のせいで、リカルドと擦れ違ってしまっているのだろう?」


何処で聞いたのだろう。私生活が駄々漏れなようで恥ずかしく思いながら、アリシアは静かに首を横に振った。


「私達は、最初からそんな関係ではありません。――と言うと、少し誤解を招きそうですが。私は、良きパートナーとして夫を支えていけたらと思っているんです」


「しかし」


「元々貴族の結婚とは、そういうものでしょう? 好き嫌いではなく、家柄で親が決めるもの。求められるのは恋愛感情ではありませんわ」


笑って言うアリシアを、彼は寂しい女だと思っただろうか。貴族の女ならば、幸せは親が決めた範囲の男性と築くものだ。けれどアリシアは、そういった幸せを夢見ることを止めてしまった。


「――だが」


「何ですか?」



「だが、貴女はリカルドの事を好いているのではないか」


真摯な瞳に、アリシアはつい笑みを消していた。そうして、何故だか居た堪れなくなって視線を床に下ろす。


「……良き当主として、尊敬しております」


かろうじて発した言葉を、クラウスはどう受け止めただろう。逡巡するような間があり、そうして彼は慎重に口を開いた。



「あの晩餐会の時。ルイス・ブランに凛として立ち向かう貴女を見た」


なるほど、とアリシアは思った。確かにあれは、リカルドを慕っていたからこそできた事だった。


「……事情が変わったのです。ですから、もう、野暮な詮索はおよしくださいませ」


「……レディ」


「アリシアで結構です、クラウス様。とにかく、私がリカルド様を尊敬する事はあれ、恋しく思うなど愚かな事はありません」


「愚かな事、か」


「ええ。御存知でしょう? 私は罪人ルーベン・ベルジェの娘。一途さなど、似合わないのです」


言って、アリシアは自分で納得していた。リカルドの秘密は、ベルジェ家との因果でもあるものだった。


「――すまなかった。きっと私は余計な世話をやいてしまっているのだろうな」


困ったように笑うクラウスに、アリシアは微笑んだ。


「そうやって心配してくださる友人は、きっと夫の力になります。ですから、どうかお気になさらずに。私も、少しうじうじと悩み過ぎていたようです。遅く始まったマリッジブルーのようなものでしょうかね」


言いながら、アリシアは胸の内が軽くなっていることに気がついた。いつまでも周囲に迷惑を掛けていてはどうしようもない。そうして、アリシアは自分に最終確認をする。



リカルドに恋愛感情を抱く事は、止めた。けれど、彼を支えて行く事はできる。

それはアリシアが女だてらに知識を持っているから出来る事だ。それが、アリシアの存在意義。先代ブラン伯爵の肖像画の前での誓いは、あの時思い描いていた物と違う形であれ、それで果たす事ができる筈だと思う。



「事情は分からないが、あまり無理をなさらぬよう。では、そろそろお暇しようかな」


立ち上がったクラウスに、アリシアは深く頭を下げる。そして上げたアリシアの顔に、その瞳にともる意思に、クラウスは満足そうに頷いた。


「また、会いにきても良いだろうか」


「私に、ですか?」


「ああ。その……そうだ。母が、最近ハーブの栽培に凝っていてね。アリシア嬢に、是非それを使った菓子を作って欲しいのだが」


きょとんと、アリシアは目を丸くした。急な申し出で、しかもクラウスのような硬い男が菓子などと言っている。なんだか似合わないわと思いながらも、けれどこの人に自分で焼いたケーキを食べて欲しいような気がしていた。最近あまり自分で料理をしていないなと思い出せば、俄然やる気が湧いてくる。


「是非お越しくださいませ。けれどその時は、またお話相手になってくださいな」


きっとこの青年ならば、話した事をリカルドに伝えるなどという軽い口は持ち合わせていないだろう。そう思えば、アリシアは何だか友人、というにはまだ早いまでも、そういった関係になれそうな人を手に入れたように思えるのだった。






その数日後、クラウスからアリシアに直接、訪問の許可を求める手紙が届いた。どうやら妹がいるらしく、彼女にも会わせたいと言う。リカルドではなくアリシアに届いた手紙に、受け取ったアロイスは不思議そうにしていたが、特に何も言わなかった。けれどきっと、リカルドには報告が行っているのだろう。


「それにしても、アリシア様。ドゥーケ侯爵家の御令嬢と言えば、ライラ・ドゥーケ様ですわ」


アフタヌーンティーを楽しもうと出たバルコニーで、クラウスの訪問や手紙の事を話すと、前に座ったオレイアがそう切り出した。


「オレイアさん、知っているの?」


「知っているも何も。社交界で今一番注目を浴びている方ではありませんか! その美貌やスタイルもさることながら、流行をいち早く取り入れる情報の早さは、特に若い女性にとって憧れの存在なんですよ!」


キラキラと目を輝かせて熱弁されれば、アリシアはそんなことも知らなかった自分を恥ずかしく思う。しかし、そんなカリスマ的存在が、自分と合うのだろうか。数日後に控えたクラウス達の訪問を、アリシアは少しだけ不安に思った。




「あら? なんだか、騒がしいようですわね」


オレイアが不思議そうな声を挙げ、アリシアも外に集中する。扉の外では、バタバタと人が行き交う音が重なり、確かに慌しい雰囲気が感じられた。


「何かしら」


「私、見てきますわ」


オレイアが立ち上がる。しかし彼女が扉に手を掛ける前に、バタンとそれが開かれた。危うく顔面を打ちつけそうになったオレイアが、目を丸くする。アリシアも、ノックもなしの訪問に何事かと席を立った。


「ア、アリシア様! 大変です」


入ってきたのはハウスメイドで、掃除の途中に慌てて来たのか雑巾を持ったままだった。


「何かあったの?」


オレイアが問うと、彼女は息を整え、落ち着いてください、と前置きした。


「……っ、リカルド様が、お倒れにっ!」


ガシャンと、アリシアの手からカップが落ち、絨毯に紅茶の染みが広がっていった。




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