縮まぬ距離※
「私は、アリシア様は悪くないと思うのです」
「……なんの話だ」
書斎にズカズカと乗り込み、腰に手を当てて憤っているのは、オレイア・ボドワンだった。昔馴染みな所為か、屋敷の主人にも遠慮の無い所はアロイスと同じだが、今はアリシアに敬慕している分性質が悪いとリカルドは思う。
「確かに、アリシア様の晩餐会での振る舞いは、淑女として見れば少しばかり常識外れだったかもしれません。しかし、全てリカルド様の為になさったことですわ!!」
どうやら例のダンスパーティの事らしいと気付いたリカルドだが、しかしそれで何故自分が使用人に怒られねばならないのか。
「俺は別に、そのせいでアリシアを叱った覚えは無いが」
困惑したリカルドの視線を受け、オレイアはきょとんとした。
「……では、アリシア様がお悩みな様子なのは、旦那様の所為ではない、ということでしょうか?」
些か気まずそうにオズオズと問われれば、リカルドも返答に困ってしまう。どうやらアリシアはここ数日ぼーっと過ごす事が多いらしく、そしてそれを目の前の侍女は、アリシアがパーティであんな事をしたからだと思っていたらしかった。それは間違いだが、しかしアリシアの様子がおかしいのは、確かに自分が原因だと感じるリカルドは、何も言えずに黙りこんでしまう。そんな彼の様子に、やはりオレイアはリカルドが原因だと認識したらしい。再びムッとした顔をして、彼女はリカルドを睨む。
「アリシア様の境遇を、私も少しは聞き齧っております」
「……」
アリシアが使用人のような生活をしていた事は、あの杜撰なルーベンの管理では隠し通せていなかった。噂は噂を呼び、そして余計な尾ヒレも多々ついて周囲の人間に浸透している。理由を話せない分、リカルドはこの侍女の鬱憤を聞いてやるかと溜息を吐く。けれどオレイアは少し寂しそうに、視線を下に逸らした。
「あの時、アリシア様は、ルイス様にとても怒ってらっしゃいました」
「……色々言われたんだろう。俺は慣れているが、初めてならばきっと頭にきたに違いないさ」
「違いますわ、リカルド様。私は、きっとアリシア様は自分が貶されることに慣れてしまわれているのではないかと思うのです」
そうして、オレイアはその時のアリシアの様子を少し語った。確かに、これまでの生活は、彼女のプライドなんて粉々にしてしまうものだっただろう。この屋敷に来た当初も、自分の事だけでなく家事もやろうとして使用人達を驚かせていたようだし、蔑にされる事に慣れてしまっていても納得できるという物だった。
「……だからやはり、アリシア様は私達の為に怒ってくれていたのだと、そう考えてしまうのはおかしいでしょうか」
「……」
分かっている、とリカルドは思う。だから彼女の仕返しは、全てリカルドの為の物だと感じるし、それ故に馬鹿な事をするものだと思うのだ。そして、身体を張って自分やこの家の為に怒るアリシアに、不思議な感じを抱いてしまう。
「それだけ、アリシア様が私達の事を大切に思ってくださっているのだと、私は信じる事にいたしました」
「そうか」
リカルドは頷く。それは自分には決してできない選択だが、けれど間違っているようには思えなかった。
「だから――だから、リカルド様もどうか、意地になり過ぎませんよう」
「何の話だ」
「……いいえ。何でもありませんわ」
その時、コンコンとドアがノックされた。現れたのはアロイスで、ちらりとオレイアの方を見たが何も言わなかった。
「リカルド様、お客様がお見えです」
「誰だ」
「ローレン・アルバレス様とクラウス・ドゥーケ様ですが、お通ししても?」
「ああ。サロンに通してくれ」
アロイスが去ると、リカルドはオレイアの方を向いた。彼が口を開く前に、オレイアは一つ頷く。
「仕事に戻ります」
「ああ」
その表情は何処か諦めにも似ていて、リカルドは複雑な気持ちになる。しかし、この先アリシアとどのように関わっていけば良いのか、彼には測りかねるのだった。
サロンに入れば、ローレンのからかいを含んだ視線がリカルドを迎えた。
「侍女と密会中だった?」
そう軽口をたたいた所を、クラウスが窘める。しかし彼もまた何か言いたげにリカルドを見ていた。
「……何だ?」
「いや、その……最近どうだ」
気まずそうに視線を逸らされて、何て不自然な質問なんだとリカルドは思う。全く訳が分からずローレンを見れば、彼は肩を竦めた。
「いやね、さっき使用人が噂してたもんだからさ」
「噂?」
「……奥方と上手くいっていない、のか?」
余程意を決しての質問だったのだろう。クラウスの真剣な眼差しを受けて、リカルドは脱力した。
多分噂していたのは下働きの女達だろうと当たりをつけながら、リカルドは二人の様子を伺う。先日の晩餐会で色々言ってしまった分、アリシアと自分の関係を気にしているのかもしれなかった。
「いや、気にする程の事でもない」
「そう? 侍女との秘め事がバレたのかと思ったけど」
「ロ、ローレン! 何て事を言いだすんだ!」
真っ赤になって慌てたのはリカルドではなくクラウスだ。けれどその慌てぶりが、彼もそう想像したのではないかとリカルドに思わせた。リカルドは軽く溜め息を漏らし、それから二人に言う。
「この間の俺達の会話を、聞かれていたらしい。それでややご機嫌斜めなだけだよ」
「……それは」
真実は告げられないから、半分本当で半分嘘だ。それでもクラウスは責任を感じて俯いてしまうし、ローレンもやや気まずそうに眉を顰めた。
「大したことじゃない。ああ、この話は止めだ。丁度珍しいゲームを仕入れた所だから、用意させよう。どうせ暇で遊びに来ただけなんだろう?」
無理矢理重い空気を断ちきれば、それが苦手であろうローレンがホッとしたように見える。
そうして彼らは、下町で流行っているというボードゲームに興じる事になるのだった。
あまり話が進まなくてごめんなさい;;
ここから、クラウスの出番がちょっと多くなる……予定です




