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隣で添える色


アリシアは、そっとテラスへと抜けて行ったリカルドを追った。

早鐘を打つ胸にはほんの少しの後悔と、そして比べようもない程の達成感が満ちている。

夜風がアリシアの頬を撫で、その熱った頬を心地よく冷やした。テラスの隅に佇む姿を見つけ、アリシアはそっとその隣に立つ。リカルドの視線が一瞬此方へ向いたが、しかし彼は何も言わなかった。


「差し出がましい事をいたしましたか?」


アリシアの声が、沈黙を破った。


「……いや」


少し間を置いて、リカルドがアリシアを見ずに答える。


「正直に言ってくださっても結構です。そうしろと仰るのでしたら、謝罪もいたします」


そうしてじっとリカルドの言葉を待つアリシアに、しかし次の瞬間聞こえたのは、くくっという、リカルドの押し殺した笑い声だった。


「リ、リカルド様……?」


「い、いや……失礼。ははっ、しかし、ルイスの、あの、顔っ!!」


ついに腹を抱えて蹲ってしまうリカルドに、アリシアはどうして良いのか分からずにオロオロした。十分と言える時間笑ったリカルドは、一つ咳払いをしてアリシアを見つめた。


「しかし、お前意外と喧嘩っ早いんだな」


先程の名残なのか口元に笑みの残るリカルドに見つめられ、アリシアは少し頬を染めて俯く。


「……意外、でしたか?」


「ああ。意思の薄い可憐なだけの娘だと思っていた」


「……」


正直に言って良いと言ったアリシアだが、しかしその正直すぎる言葉にムッと顔を膨らませる。


「くくっ、そう怒るな。俺はこれでも褒めてるつもりなんだ。いや、本当に。しかしこんなにスッキリとした気分は久しぶりだよ」


頭をぽんと撫でられそれ以上怒る事の出来なくなったアリシアは、そんな優しさをズルイと思いつつ、ドサクサに紛れてリカルドに寄りかかった。


「……ルイス様の事、嫌いじゃないんじゃなかったんですか?」


「好きじゃない、という言葉を否定しただけだ。嫌いじゃないと言ったわけではない」


「……屁理屈」


「うるさい」


不貞腐れた声に、アリシアは案外子供っぽい所もあるのだと笑った。




「リカルド様、大丈夫ですよ」


「何がだ」


「リカルド様は、きちんとブラン家を受け継がれています」


「……聞いたのか」


オレイアに少し、と言えば、リカルドはやや苦い顔をした。そうして遠く夜の闇を見つめるリカルドの瞳を、アリシアはそっと見つめる。


「確かにルイス様は、先代のブラン伯爵と同じものをお持ちです」


「……」


「コバルトブルーの瞳、そして美しいゴールドの髪」


「……そんなもの」


「気にしていませんか? 本当に?」


問えば、リカルドは黙ったまま否定しなかった。けれどアリシアがルイスを見た時感じた以上に、リカルドも思った筈だとアリシアは確信出来る。

オレイアは、お互いがお互いにコンプレックスを感じていると言っていた。先代の肖像画を見て、リカルドが負い目と感じるとすればそれはやはりブランの血だろうとアリシアは考えるのだった。



「リカルド様、見て下さい」


パッとリカルドから離れたアリシアは、表情の無いリカルドの視線の先で、くるりと回る。美しく広がるのは、月光に照らしだされた、コバルトブルーのドレス。そして、肩から腕にかけて掛けられた、ゴールドのストール――


「……お前」


「リカルド様が足りないと御思いならば、私が隣でその色を添えましょう。コバルトブルーだってゴールドだって、貴方様の物です」


アリシアの姿をじっと見ながら、リカルドは暫く無言だった。そしてふっと表情を崩し、それからアリシアに近づいて、その肩にそっと額を寄せる。


「――お前は、本当に馬鹿だな」


「ふふ、この間も同じ事を言われてしまいましたね」


「本当の事だからな」


「それは……申し訳ありません」


二人で笑い合いながら、アリシアはそっとリカルドの身体を抱く。湧き上がる熱い想いを胸に、この人をずっと支えて行きたいと強く思った。






そんな二人を現実に引き戻したのは、ギィッと軋む、バルコニーへの扉が開く音だった。慌てて離れ、熱っぽい雰囲気がまだ色濃く残る中、二人はお互いに気まずい思いで無言を貫く。

誰か涼みにやって来たのかとアリシアがそっと伺うと、そこには二人の男が見えた。


「あぁリカルド、此処に居たのか……っと、すまない。邪魔をしてしまっただろうか」


チラリとアリシアを一瞥したその青年は、どうやらリカルドを探していたらしい。差し込む月光が、彼のシルバーグレイの髪をキラキラと輝かせていた。色白の肌が一瞬儚げな印象をアリシアに与えたが、しかし彼の纏う生真面目そうな固い雰囲気が、それを直ぐに打ち消す。


「中々お熱いじゃないか」


そう茶化すように、もう一人の人物が進み出る。その姿をはっきりと認めた時、アリシアはよろりと後ずさった。サアッと、血の気が勢いよく引いて行く。


「ああ、クラウス、ローレン。すまないな、少し涼んでいたんだ。――アリシア、此方は」


リカルドが二人を紹介しようと此方を振りむく。しかしアリシアを見た途端、慌てたような表情に変わった。


「大丈夫か? なにやら顔色が……」


「リカルド、察してあげれば?」


心配するリカルドに声を掛けたのは、ローレンという青年だ。リカルドは一瞬困惑した顔をしたが、何かに思い当たったのかハッとした。知っているのだ、とアリシアは思った。


「……彼らは友人だ。その、ゆっくりと話をしたいから、別室に行くことにする。お前も疲れているだろう、もう休むと良い」


そう一方的に捲し立てて、リカルドはアリシアに背を向けた。アリシアはその言葉を茫然と聞きながら、何とかしなければという焦燥に駆られる。



――秘密が、ばれてしまう


リカルドがローレンと呼んだ男の後ろ姿を、アリシアの視線が射抜く。8年前別れた時よりも、随分と背が伸び声も低くなった。それでも変わらない飄々とした雰囲気が、アリシアを過去へと引きずりこむ。


ローレン・アルバレス――アリシアの初恋で、元婚約者。

アリシアの秘密を知っている人。




結局、アリシアは3人の後をつけていた。はしたないと分かっていても、あの男がリカルドに余計な事を喋るのだけは阻止せねばと思ったのだ。もしかしたら既にリカルドは知っているのではないかと一瞬アリシアは疑ったが、それなら自分を妻にするはずがないと打ち消した。


火傷の事を、知られたくない、と強く思う。けれどアリシアは、何故そう思うのか、分からなくなってきていた。

甘い言葉は嘘だと知っていて、ベルジェ家の娘だと疎まれているのも感じている。そんな自分に、今更何か守りたいものがあるのだろうか。そう、アリシアは静まり返った回廊を、身を隠して歩きながら考えた。



そして、結局思う。


――私は、蔑まれたくないのだ


ベルジェ家の娘として嫌われるのは良い。侯爵家の娘だと利用されるのだって問題ない。けれど、アリシアという一人の人間を否定されたくないのだと思う。

かつて優しかったローレンが自分に向けたように、冷たく侮蔑を隠さない視線を、リカルドに向けられるのだけは耐えられない。

いつかは避けて通れぬ道だと分かっている。子をなすという事がどういう事なのか、アリシアだって知らないで嫁いだわけではない。けれど好きだと自覚してしまった今、その恐怖は一段と大きくアリシアを襲った。

結局は、“リカルド様が、もしかしたら……”という可能性が感じられる状況を、長引かせたいだけだった。



3人は、一番近くにある客間に入って行った。アリシアはそっとその扉に身を寄せ、聞き耳を立てる。幸い晩餐会に使用人が駆り出されている為、アリシアのその行為を咎める者は誰も居なかった。




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