アリシアの秘密
とりあえず前半だけupします。(8/18)
その日は、屋敷内の雰囲気が違っていた。朝食を取ろうと歩けば、行き交う使用人達の憐憫と好奇の混じった視線を感じ、アリシアは居心地悪そうに身動ぎする。
そしてその理由が明らかになったのは、オレイアと二人で過ごすアフタヌーンティーの時間だった。
「ア、アリシア、様。実は、お話したい事が」
オレイアが何か言いたそうな顔をずっとしていた事は感じていたので、アリシアは黙って頷く。
「お気を確かになさってくださいませね。……実は、御父君が……国に、捕まったそうです」
「……え?」
「言い難い事ですが。御父君は、その……法に触れる事に幾つか携わっていたようでして。何処からかの密告により、数年は牢の中だと、今朝通達が」
一瞬、アリシアの頭が真っ白になった。けれど直ぐに冷静を取り戻せたのは、きっとこうなる日が来てもおかしくない事を、アリシア自身が分かっていたからかもしれない。
「それで、ベルジェ家は?」
「……ルーベン侯爵は爵位剥奪。実質上、その」
「崩壊、というわけね」
どうりで視線が痛い上に、誰もが言いにくそうにするわけだとアリシアは思った。
「ア、アリシア様」
「大丈夫です、オレイアさん。こんな事を言うのは薄情だと思われるかもしれないけれど……納得してしまうの。ずっと、父を見て来たんだもの」
そう言って、アリシアはテラスから遠くに見える街を見た。
「アリシア様……」
「それでも、昔は優しい父だったのよ」
――あの日までは
ベルジェ家は、最初から今ほど廃れていたわけではない。アリシアが物心つく頃には母は既に居なかったが、それでも屋敷には多くの使用人がいた。
「おとーさま、今日もお忙しいの?」
5つになったアリシアは、そうやって父に遊んでくれるようせがむのが習慣だった。
「お父様は仕事があるんだ。アリシア、これをあげるから良い子でいられるね?」
その日もらったのはキラキラと綺麗な金平糖で、いつも同じように菓子で良いようあしらわれているのにも気づかずに、アリシアはキャッキャと喜んで駆けていく。そうして決まって向かうのは、水回りの掃除を担当しているレアンという少年の元だった。
「お嬢様、あんまり此処に来ないでください。俺が御主人様に叱られます」
レアンは決まってそう言うのだが、その願いはアリシアに届かない。年が近い事もあって、アリシアは彼に一番懐いていた。
「ねえ、レアン。これね、コンペイトウっていうの。綺麗でしょ?」
まじまじとそれを見つめるレアンに、アリシアは得意げになって一つ差し出す。
「……これは何をする物なんです?」
「食べ物よ! とーっても甘いの」
ひょいっと口に入れるアリシアを真似て、レアンも恐る恐る齧った。
「……美味しい」
「でしょー? 沢山あるから、半分あげるね」
レアンの返事も待たず、アリシアはそれをハンカチに移し始めた。そうして真剣な目をして半分を見極める少女に、レアンは戸惑ってしまう。
「お嬢様、そんなに頂くわけには……」
「だーめ! レアンはいっつもそう言って、貰ってくれないんだから」
そう言って押しつけられれば、レアンは渋々ながらも受け取らないわけにはいかなかった。
「御主人様には言わないでくださいね。酷い目に遭わされるのは御免です」
「おとーさまは、そんな事しないもん。レアンはアリシアよりお父様と一緒にいるのに、どうしてそんな意地悪言うの」
思えば、それが引き金になったのかもしれない。レアンはキッとアリシアを睨み、そして無言で掃除に戻った。しかしアリシアはそんなレアンの態度が気に食わず、彼の傍に行っては構ってと駄々をこねる。
「……お嬢様、いい加減にしてください」
「だ、だって……レアンは“どれい”って人達なんでしょ? “どれい”は皆アリシアのお願い聞いてくれるんだって、おとーさま言ってたもん!」
言い訳が出来るのならば、当時のアリシアは奴隷が何なのか全く理解していなかった。ベルジェ家の侯爵令嬢らしいと言えばらしい少女に、すくすくと育っていたとも言えなくもない。
当時この国には奴隷制度というものがあり、人身売買が平気でされている時世だった。ベルジェ家の使用人も多くが金で買われた者であり、相当酷い扱いが許されていたのも事実だ。
けれど使用人にとって憎しみの対象となっていることに気付けないくらいには、アリシアは無神経であり無邪気だったとも言えた。
夜になり、眠る前に本を読んでもらおうと父親を探していたアリシアは、遠くに話し声を聞いて柱の陰に身を寄せた。
「おとーさま……と、レアン?」
2人はある部屋に消えて行き、アリシアは気になってそっと近づく。そこは日ごろから近寄るなと父に厳
しく言われていた部屋であり、その時も扉にしっかりと鍵が掛かっていてアリシアには中を覗く事はできなかった。
「なによ。やっぱりレアンは、おとーさまと一緒にいるんじゃない」
ずるい、という感情が少女の心を占めていた。プクリと頬を膨らませたアリシアは、出てきたらレアンを問い詰めてやるんだからとその部屋を見張る事にした。
物陰でついウトウトしてしまったアリシアを起こしたのは、扉が開く音だった。初めはどうしてこんな所で寝ていたのかとぼんやり考えていたアリシアだったが、そこに人影を認めてハッとする。
「……レアン?」
ビクリと人影が肩を震わせ、ゆっくりと顔が此方へ向けられる。窓から差し込んだ青白い月明かりが照らし出したのは、怒りに燃えたレアンの綺麗な瞳だった。
「お、前の、せいでっ」
「やっ、レアン!?」
グイッと襟首を掴まれ、アリシアは近くにあった客間へと連れて行かれた。歳は幾らも離れていないと言っても、働いているレアンとの力の差は明白で、アリシアはされるがままだった。
「お前が、こんなもん寄こすから!!」
床に抑えつけられたアリシアの顔の横に、バラバラと綺麗な粒が転がった。
「こ……んぺ……と、う?」
「盗んだろうって! なんて俺が罰せられなきゃならない!!」
消し忘れた暖炉の火が、チラチラと二人を照らし出す。その時になって初めて、アリシアはレアンが額から血を流している事に気付いた。
「レ、レアン、血が……怪我、してるの?」
「お前のせいだろうがっ!!」
ガッと、アリシアの頬をレアンの拳が打った。痛む頬と血の味、そして驚きの中で、アリシアはレアンが他にも色々な場所から血を流しているのを知った。
「お前は、いつもっ!! いつも!」
声にならない激しい罵りが、アリシアを打った。アリシアは感情をむき出しにする少年に、ただただ驚いて泣いていた。
「お前も! 俺の痛みを、知れば良い!!」
レアンの右腕が振り上げられる。その手に握られている物を見て、アリシアは漸く恐怖に震えた。固く冷たい床の感触。髪の毛を掴まれた痛み。
「お前が、ずっと嫌いだった!!」
レアンがひと際大きく叫び、そして――
「いやああああああ!!」
アリシアの背中に、鋭く、それでいてジワジワと侵食してくるような痛みが走った。涙がボロボロと零れ、床に飛び散る。押しつけられたのは、暖炉で熱したばかりの金属の棒だった。先端が平たくなっていて、そこにベルジェ家の家紋が鋳られた、奴隷に所有印を焼きつける為の特殊な棒だ。
気を失いたいのに出来ないくらいに強い現実の痛み。虚ろな目の代わりにアリシアの鼻が嗅ぎとったのは
――自分が焼かれていく、酷く醜悪な臭い。
レアンが逃げて行く際にも、アリシアはどうすることもできなかった。父親がアリシアの悲鳴を聞いて駆け付けた時、アリシアはようやく身体の力が抜けて行くのを感じた。
これが夢ならば良いのにと、そう願った。まさかこの出来事が、悪夢の始まりにすぎないとは思いもせずに。
「――シア様、アリシア様っ!」
身体を揺すぶられて、アリシアはぼうっと辺りを見回した。
「……オレ、イア、さん? あれ、私」
「ふふ、寝てしまわれたんですよ。良い御天気ですものね? しかしお風邪を召されては一大事です。室内へ戻りませんか」
「そう、ですね。 偶には女らしく、刺繍でもしてみようかしら」
ふふ、と笑いながら、アリシアは陽だまりを全身で感じる。こんな暖かく心地良い日々が来る事を、あの日の私は知らなかった。なんて幸せなのだろうと、アリシアは思った。




