ラーメンのルーツ
今回、出版するにあたって、皆さんの意見を聞きたくて投稿しました
私が書いた小説ではなくて、パソコンの苦手な知人に頼まれて投稿いたしました
今回は400ページ中15ページです、反響次第では増やしていきたいと思います
誤字・脱字が大変多くなっておりますが、評価の程よろしくお願いします
「ラーメンのルーツ」 小嶋清伸
私がラーメン屋を営んでいたことから、皆さんからよく質問された。
平成18年(2007)十月中旬に、5人の若者が訪ねて来て、支那蕎麦、中華そば、ラーメンは何処が違うのか、其れとラーメンのルーツを知りたいという。
店で其れ其れの違いを説明していたので、人伝いに聞いて訪ねてきたという。
私はいつも通りに、師匠と先輩方から聞いた事と、自分の経験を入れて答えた。
師匠などから聞いた、ラーメンのルーツとは、、、
1、明治37年(1904)に、今の中国が支那国と呼ばれていたころ、日本との日露戦争があり、兵士として支那国に行っていた人が、現地で支那生地麺に出会ったのが、支那蕎麦、中華そば、ラーメンと出来た総ての始まりである。
2、支那生地麺とは、、、小麦粉だけを粘ったのが「うどん」で、小麦粉に塩、卵、水、そして「かんすい」というものを粘ったのが、今の「中華麺」である。
戦地から帰国してから天然の「かんすい」を探したが、見つからず、東京の中華料理店で分けてもらって、明治37年~40年頃に、東京の繁華街で、「支那蕎麦」と命名して商いをした。
3、支那蕎麦
鶏がらのみのスープ
4、中華そば
昭和初期に大阪から、鶏ガラ7割、豚骨3割で作られたスープ。
その数年後に「うどん出汁」に、中華そばの「元ダシ」を入れて作られた物も、「中華そば」と言う。
そう言う事で、中華そばには、二つの作り方のスープがあるのである。
5、ラーメン
終戦後(1945)に中華料理チーエン店から、鶏ガラ3割、豚骨7割と、レシピに記載されて作 られたスープ
6、博多そば(のちの豚骨ラーメン)
昭和18年に、中華そばのスープを一晩置き、トンコツ骨を多く入れたスープ。
7、ラーメンの名の由来
豚骨を多く入れた事により、豚油が多く取れ、別の容器にいれて置いていたら、油が固まりラード になっていた
当初は脂麺と書いたが読みようが無いので、ラードのラーを取り「ラーメン」と名付けたと言う。
世間一般に品名が知れ渡ったのは、昭和30年(1955)頃からで流行する。
だけどラーメンの名の由来は、他にもあるという、
8、品名の違いは、骨の種類と分量に寄って、時代と共に変化して作られたスープである。
師匠から聞いた話を、簡単に纏めるとそういうことである
職人が年数を掛けて、試行錯誤して作り上げた味である。
ラーメンは今現在でも日々新しい味が作られている。
材料、時間、火加減、作る人、場所、気候、季節、天候等により、微妙に味が変わる摩訶不思議な逸品である。
此処までラーメン文化を賑わしてくれたのは、支那国で支那生地麺に出会って、今の中華そばを作ってくださった人の御蔭である。
此処までこの話を主体にして話したところ、若者たちは目を丸くして感銘したと言う。
しかし、私の話に疑いを持つわけではないのだろうが、「本当に?」と念を押すように聞く。
なぜなら、彼らが本で学んだことと、大分どころか全く話が違うというからだ。
学「だけれども、小父さんの話し方の方が、解りやすく、説得力がある」という。
師匠などから聞いた有りの儘の話を、具体的に話続けると、彼らは、
学「小父さん、文を書いてよ」
私「そんな素質も無いし、責任のある事を書けるかい」
学「兎に角一度、ラーメンに関する本を読んで」とくどいほど勧められて、読むと約束させられた。
数日後、私は市立図書館に行き、三冊ほど本を借りてきて、自宅で呼んで本当に驚いた。
私が師匠などから聞いた話は全く書いていない、、、、、、、、
そのあと、数十冊ほどの本を読んだが、書いてあることは殆ど同じような事ばかりである。
麺に関して難しい事ばかりと、ラーメン店が各地で開店した事ばかりが多く、具体的に支那蕎麦、中華そば、ラーメンの違い、それぞれの品名の由来など殆ど出てこない。
ほんの少し書いてある事もあるが、私が聞いてる話とは全然違う。
これでは彼ら学生が「本当に?」と言う訳だ。
私は、中華麺に携わる人達が皆、ある程度知っているものと思っていたが、私の勝手な思い込みだったようだ、、、
これでは、それぞれの味と、品名の由来を説明したところで、異議と異論を唱える意見が多く数出るだろう。
しかし、多数の本を読んで確信をもった。
師匠等から聞いた話も、本の中に具体的に出てこなくても、全く話が違う訳ではない。
其々の味の違い、品名の由来については師匠等から聞いた話が本筋だと思う。
其れと私自身が前々から心の奥底にもやもやした物を持っており、それで皆から聞いた事と教えてもらった事と自分が経験した事を、全部正直に伝えたいと思うようになってきた。
其れをどうやって伝えるかがむずかしい、、、
若者たちに詳しい事が書いてなかったら、文に書くわと冗談では言ったが、嫌な事が脳裏を掠めた。
5年程前に店を閉めた時に、甥っ子とラーメン談義を話していて、店でもよく質問されていたので
「中華麺の名前の由来などを誰かに頼んで書いてもらいたい」と甥っ子に言うと
甥っ子はこう言った「ラーメン好きな人は、美味しいラーメンを食べたいだけで、其々の違いなんて関係ないわけで、態々金を出してまでして本を読んだりはしないよ」と、、、
私は、そんなことは無いと思いながらも、言われてみれば確かにその通りかも知れないと思い、それから私は消極的に陥っていた、、、、、、
しかし私は現在63歳で、残る人生も先が見えてきているのである、、、
そういう状態では説明できる人も殆ど居ないだろうし、真剣に聞いて呉れる人もすくないだろうし、、、、
そんな中に能能若者たちが訪ねて来てくれた。
なんとか知りたいと言う人達だけでも、伝えたいと言う気持ちが高まってきた。
でも、口頭と文で説明しても直ぐに忘れてしまうだろうし、甥っ子の言う様に誰も読んでくれないかもしれない。
如何すればいいか迷うが、迷うことは無い。
文章では上手く書くことが出来ないが、作って食べてもらえば必ず解ることだ。
其々の出来た順番に食べてもらうことにしよう。
自分で作って食べれば、先人達の苦労の足跡が見えてきて、其々の味の違いがはっきりとわかってくる。
何処に繊細な食べ物なのか(?)本当に改めて解ると思う。
そうなるともっと調べて確実な事を抑えておきたいと思い、図書館には頻繁に行き、気になる資料を揃えてもらった。
古い資料の本などは一か所の図書館では全て揃わず、国立図書館、県立図書館、他県図書館からも取り寄せてもらった。
そして正月の休みを利用して、五日から三日間、大阪の師匠と先輩を訪ねてきた。
新しい情報もいくつか教えてもらったのと、気になっていた処も確認する事が出来た。
彼ら(学生)が訪ねてきて呉れてから、知らぬ間に年が明けて来週から二月に入る。
私の方はすべて準備が整ったので、連絡先を聞いていた若者に電話をした。
私の思っていることと、心情を話したいと言うと
学「今晩寄らせていただきます」っと、底抜けに明るい返事が返ってきた。
19時頃に先日の学生4人と、30代の男女が一組と40代の男性が一人みえた。
先日若者たちが来てくれた時は妻は留守だったが、今日はあまりの人数に驚いた顔をしている。
妻はニコニコしながら「狭くて汚い所ですが上がってください」と2階へ案内している。
私たちが今住んでいる処は、金沢の中心部から少し端の方だが、静かな住宅地である。
隣は立派な家ばかりであり、当家も1階は六畳二間と、2階も6畳二間の立派な借家である
家は中途半端に古いから、外から見ても借家には観えないたたずまいである
2階から賑やかな笑い声がしている
2階に上がると我が家の番犬ならず番ネコの姫が尾を太くして皆を威嚇している。
尾も白い可愛い猫である。
ふすまがはずしてあるので、6畳続きになっているので、皆に適当に座ってもらって、自己紹介をしてもらう。
若者4人は前に会って知っているが、一人は今日用事があってこれなかったという。
5人は近くにある金沢工業大学の学生で、リーダー格はS君である。
30代の女性の方は「Nです、ラーメンが大好きです、、其れと支那蕎麦とラーメンの違いを、前から知りたいと思っていたら、此の人達から話を聞いたので、もっと詳しく教えてほしいと思い連れてきてもらいました。よろしくおねがいします」と自己紹介してくれた
30代の男性は最初に会った時から、意味ありげな笑みをしている
「Kと言います。おっちゃん覚えていないかな?おっちゃんお店に2,3回食べに行ったんだけど、、、」
何となく見たことはあるようだけど、はっきりとは思いだせない。
40代の男性は
「Mです。NさんとKさんとはよくラーメン屋で会い、其の内に仲良くなり、ラーメン屋が開店すると一緒に行くようになり、そこでS君達とも会い仲良くさせてもらっております、それでこの前、貴方の話を聞き是非とも僕たちも教えてほしいと思い、厚かましく寄らせてもらいました。よろしくお願いします」っと自己紹介してくれた
Nさんが「Sさんから聞いたのですが、何種類もスープを作っていて、其々に美味しかったと前から言っていたのが小父さんの事だったんですね」と、Sの顔を覗き込む。
するとS君が「先生が言っていました、美味しかった、もう一度食べたいが今は何処で何をしているのかと、聞いてました」
私「潰れてしょぼくれています、と言っといて」
皆が遠慮がちに笑っている
私の自分の氏名と、今日来て頂いた御礼を言って
私「彼らに言われ、本を読み資料を集めて勉強しました。その結果正直に言って本当に驚愕しました、師匠達から聞いた事、私が経験した事など、殆どと言うより全く何も書いて無かったです、私が皆さんに行っているスープの違いと品名の由来など、私たちが勝手に作った作り話かと思えるぐらいです、、、、、本の中ではラーメンのルーツ、品名の由来など少しは書いてはあるが、其れを完全に信じることはできない事と、矛盾したところが多く、其のうえ確信を持って書かれていない、、、現在の所、ラーメンのルーツと品名に対して、俗に言われている事と私たちが言っていることは、何方もなんの根拠もない事と、信憑性も証拠も無いわけです、しかしおっちゃんは、其れを説明と実証できる自信と確信はあります」
いきなりの大胆発言で一同はキョトンとしている
私「皆さんの知りたい中華麺の由来とか、ラーメンのルーツに付いては、皆さんに説明した通り、もう答えが出ている訳です、、、、、其の上で、まだ皆さんの知りたいことを質問されても1、2時間程あれば話はつきます、そして其の話が総て本当か如何なのかを、貴方達は聞きわけることが出来ないわけです」
皆は真顔で私を見ている
私「幾ら詳しく説明と話をしても、其れは能書きとしてしか受け取ってもらえないと思う、、、本当に知りたいのなら皆さんに作ってもらうしかないわけです、1から作れば嫌でも乞うでも、自然に総てが解って来るからです、、、」
すこし間が相手から其々に
若者「そんなこと僕らに出来るん?」
30代「難しいやろ」
40代「素人の私たちに出来るのか?」
などと、色んな事を言っている。
私「おっちゃんもそうやったけど、所詮最初は皆が素人なんや、屋台を引く人は、昔から三日間で全部教えてもらって商売に出る、毎日色んな経験をして一人前に成るか、売れなくて食べれなくなって辞めて行くかの、どちらかは本人次第です、本当に自分が生きていくのに命がけの仕事でした」
全員が身を乗り出して聞いている。
私「こういう話は興味ある?」
全員が口を揃えて言った
全員「もっと詳しく他の事も教えてほしい」
私「それやったら作りながら其の都度其の時に合った話と説明をするのが一番いいと思う」
皆はわかったと言うように頷いている
後は私が大阪で屋台を引いていた時の話で大いに盛り上がった。
結局作るか如何するかは、話し合って後日返事をするということで、22時前に笑顔で帰って行った
私が出した条件は、場所、道具、材料は全て向こう持ちで私は手弁当で行く。
学生に「報酬は?」と、聞かれた。
私「とんでもない、おっちゃんが払わなければいけない位や、、、支那蕎麦、中華そば、ラーメン、博多そばと言う品名がある訳で、其れを一人でも多くの人達、またラーメン好きと言うなら尚更の事、解ってほしいし知ってほしいと言うのが、生意気かもしれんが、おっちゃんの願いなんや、そう言う事で、よろしくお願いします。其れと今後、私の事をおっちゃんと呼んで」とお願いした。
中華麺に関する話をしている時に、「おっちゃん」と呼ばれると、妙に落ち着くのである。
数日後の土曜日にS君から電話があり今から行きますとのこと、、
其れから30分後ぐらいに、MさんとKさんと共にS君が見えた、、、
誤字脱字がある中、最後までありがとうございました
今後、清書して出版したいと思っています
皆様の評価の程よろしくお願いします