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7話 食

 翌朝。雲一つない、気持ちの良い快晴だった。

 一度目の鐘で目覚めたクラウスは、扉を開けた。


 階下から話し声が聞こえる。一方はナズニアのものに違いなかったが、もうひとりの声に聞き覚えがない。

 少し不機嫌そうな、そっけないような声だ。水のように冷たい声色だが、ナズニアが楽しそうに話しているということは悪い人ではないのだろう。


 そんなことを考えながら階下へと向かった。


 すると階段を降りるにつれて話し声が小さくなり、彼が一階につく頃には消えてしまった。


「クラウスくん、おはようございます」


 彼女が居間の椅子に座っていた。

 優しい微笑みを浮かべている。

 

「おはようございます。今、誰と話していたんですか?」

「あぁ、水の女神ですよ。恥ずかしがり屋で……まだ君には心を許していないみたいですね」


 そう聞いて、なぜかすっと納得した。

 水の女神と言われればそのまま受け入れられる荘厳さがあの声にはあったような気がする。


 初めてナズニアに会ったときも圧倒されたが、それとはまた違う。

 その威圧感が人と神との隔たり、違いなのかもしれない。 


 考えていて、彼はふと思った。

 

「……そもそも、女神って……?」


 そうだ。聞いたことがない。

 学院でも習わなかったし、言い伝えのようなものも知らない(親との関わりが薄いせいかもしれないが)。


 疑問符を浮かべるクラウスに、彼女はまるで絵本を読み聞かせるかのように言った。


「私たちが火を熾すとき、水を飲むとき、風に吹かれるとき……いつも、どこにでも女神がいるのです。人前には姿を表すことができませんが、一つだけ彼女たちと関わることのできる職業があります。それが──」


 クラウスは分かった。

 なぜここに水の女神がいたのか、そして、なぜこのか弱そうな彼女が英雄たりえるのか。

 点と点が繋がり、彼女の言葉の続きを紡ぎ出していく。


「大魔導師……」


 自然に口をついて出た。


「その通り。大魔導師に名前をつけてもらわないとこの世界に顕現できない彼女たちは、私によくしてくれるんですよ」


 大魔導師、聖女、聖騎士……といった強力な職業、いわゆる『神職』が職明書に記される者は、同時に二人以上存在しないと学院では教えている。

 その人が命を失って数年後、あるいは数十年後といった長い年月のあと、その神職が職明書に記される子供が生まれるのだ。


「まあ簡単に言えば友達です」

「すごいですね……僕も会ってみたいです」

「きっと君ならすぐに心を許してもらえると思いますよ」


 ナズニアは、水の女神、リジェが頼まれたわけでもないのに寝込むクラウスの様子を見ていたのを知っていた。

 だからこその発言だったが、その真意を知らないクラウスには意味深に聞こえた。


「そういえば、昨日はどんなことをしていたんですか?」


 彼女は用事があると言って出かけた。好奇心から尋ねる。


「あぁ、ちょっと英雄としての業務上の処理がありまして……英雄もただ戦えばいいってだけじゃなくて面倒なんですよね」


 疲れました、そう言って笑う。

 その後に彼女は弟子に提案した。


「今日は君の弟子入り記念も兼ねて、王国の中心部まで行ってみようと思うのですが、何か用事はありますか?」


 考えるまでもない。友達も家族もなく、学院をやめたクラウスにとってやらなければならないことはなかった。

 

 これから一緒に暮らすナズニアのことももっとよく知っておきたい。


「ありません。楽しみです!」 

「ふふっ、じゃあ、早速行きましょうか」



 クラウスは部屋に戻り、服を着替えようとして、自分が外出用の服を持っていないことに気づいた。

 学院と寮を往復する毎日だったからだ。

 とりあえずいつも着ていた制服を身に纏い、階下に降りていった。


 ナズニアは、さっき椅子に座っていたままの服装でいた。

 てっきり出かけるときはいつもローブを着ているのかと思っていたクラウスは少し驚いた。


「出かけるときはいつもあのローブなのかと思ってました」


「まさか。あれは大魔導師であることを示す服であって、普段は着てません。正直言って暑いし、動きにくいですしね」


 彼はそれを聞いて、動きにくいのは戦闘において致命的ではないかと感じたが、ナズニアの職業を思い出してそうでもないと思い直した。

 彼女は大魔導師だ。魔法系職業の頂点に君臨する彼女なら、そもそも近づかれることも近づくこともないのかもしれない。


 そう納得して、彼は家を出た。


 


 しばらく歩いていく。

 家の敷地外へ出ると、そこには二階から眺めていた景色が広がっていた。


 旧市街と言うべきか、今は廃れてそこかしこに開けた土地がある。


 淀んだ湖のある公園、蔦に巻かれた空き家、遥か昔に通ったであろう馬車の轍。

 英雄の一人が住んでいる場所だとは到底思えない。

 が、彼女にとってはここが居心地が良いのだろう。


 ここは辺境、王国都市部まではかなり遠い。

 彼らはしばらく歩いたあと、古びた小さな建物に入っていった。


 クラウスが何をしに来たのかを尋ねると、ナズニアは床を指さした。

 そこには魔法陣が描かれている。

 建物の外見とは裏腹に、随分と丁寧で、しかも最近描かれたようだ。

 彼女いわく、あの家に住み始めた頃、ここは寂れてこの転移魔法陣は使うことができないほど掠れていたそうだ。

 しかしそれでは不便なので、自分が描きなおしたのだと言った。


 二人その中央に立ち、ナズニアが何かを呟くとまばゆい光に包まれた。

 

 

 光が止んで、少しずつ目を開けていく。


 すると二人は王国都市部の街、ルノーリアにある転移魔法陣の上に立っていた。

 周りには別の場所から転移してきたであろう人々が二人を取り囲んでいて、次々と建物を後にしていく。


 クラウスにとってこれは初めての体験だったので、軽く仕組みを尋ねる。


「魔法陣にはいくつか種類がありますが、あれは移動用のものです。点から点へと紐を繋ぐように、一瞬にしてものを転移させるのですよ」


 君の『裏へ至る』の大規模なものだと思ってください、と彼女は付け加えた。


 普通の転移魔法陣にはそれぞれに専属の魔法使いが居て、ある魔法を使うと転移が始まるようになっているらしい。

 あの寂れた辺境にはいないので、ナズニアがその代わりを務めているのだそうだ。

 どちらにせよ、あの辺りでナズニア以外に転移魔法陣を使う人もいないだろうが。


 二人は歩き出し、建物の外へと出た。


 そこは大通り。人々や他国からの輸入品を運ぶ馬車の往来が激しい。

 そしてその人の多さを良いことに、焼いた肉や冷やした果物を売っている屋台があちこちにある。


 クラウスは目を輝かせた。

 彼女はそれを微笑ましい気持ちで見守っていた。


 

 ナズニアの提案でまず腹ごしらえをすることになり、彼女のお気に入りだという酒場に向かった。


 まだ昼にもなっていないのに、酒場は混み合っていて酔った人の声で溢れかえっている。

 その声の主はその日暮らしの浮浪者か、はたまた金に困らないほど強力な冒険者か。


 それは分からないが、ナズニアが後者に当てはまるということだけは確実だった。

 クラウスがいつその背中に追いつけるのかはまだ不明である。


 彼女は、酒を持っていくばかりで暇していた店主兼料理人に二人分をまとめて注文した。

 安上がりですね、とからかわれた獣肉のステーキだ。  


 口ではそういっていたものの、彼女も同じくそれが好物なのであろうとクラウスは感じていた。



 運ばれてきた料理を口に運んでいく。


「普段からよく来てるんですか?」

「そうですね、ルノーリアに来るときはついでにご飯を食べていくことが多いです。お酒は呑めないのですが、料理が美味しいので!」


 それを聞いて満足気に笑う店主を、彼はナズニアの肩越しに見た。

 確かにその言葉通りで、肉は柔らかく、脂が乗っていてとても美味しい。


「この後行きたいところとかありますか?」


 ナズニアが問う。

 クラウスは自分の着古された制服を見た。

 恥ずかしさを感じながら静かに言う。

  

「服が欲しいんですけど……お金がなくて」

「私が出しますよ! 独り立ちできるようになるまでは、何か欲しいものがあればなんでも言ってください」

「あ、ありがとうございます……!」


 彼女は余裕そうに言って、懐から小さな布袋を取り出した。

 紐を解くとチャリンと音がする。

 クラウスが覗き込むと、そこにはずっしりと金貨が入っていた。

 数十枚はあるように見える。


「うぇっ! 隠したほうがいいですよ!」


 クラウスは慌てた。

 金貨といえばこの国で最も価値が高く、一枚あれば数ヶ月は食べ物に困らないと言われている。


 ギルドには毎日のように数々の依頼が舞い込んでくる。

 当然、誰でも解決できるようなものは報酬が少ない。

 しかし、誰にも解決することができなく長い時間が経ったもの、王や貴族直属の依頼などは報酬が跳ね上がる傾向にある。


 それらは最終的にギルドに所属する冒険者の頂点、即ち英雄たちのもとに舞い込んでくることになる。


 それが、英雄が巨額の富を手にしている理由だ。

    

 基本的にギルド上位の冒険者たちは金に無頓着になっていくことが多く、金に踊らされたり情報を売ったりするということはない。

 だから依頼内容を内密にしたいときなどは、彼らに頼みたがる人も多い。

 その際、時間を自分のために費やしてもらうせめてもの誠意、尊敬の念として、依頼者は多くの金を差し出すのだ。



「大丈夫ですよ、私から盗む人なんていませんから」

 

 クラウスはその言葉にハッとする。

 彼は今でこそ慣れ、普通に接しているが、他の人にとってナズニアは別格の存在であるに違いないのだ。


 入ったときは騒がしかった人たちが、先ほどから居心地悪そうにしていることに気づいた。


  

 しばらくして、彼女は食べかけのステーキの皿をクラウスへと静かに押しやった。


「よかったら食べてくれませんか? いつもは少なめにしてもらうのですが、今日は頼むのを忘れてしまって」


 自分の分を食べ終わっていたクラウスは承諾して、お役御免になったかと思われたフォークとナイフを再び動かした。



「昔から少食なんですよね……だから体が大きくならなかったのかも」


 彼女はそう言って頬杖をついた。

 どう返せばよいかわからないまま、考える。


 英雄と呼ばれるまでの彼女がどんな人間だったのかを。

 誰と過ごして、何を食べて、どうやって生きてきたのか。

 今やクラウスにとってのナズニアは噂に聞くだけの伝説ではなく、師匠であり、それ以前に生身の人間だ。

 

 しかし、それを尋ねることはできなかった。

 出会って日も浅い人の過去を尋ねるなんて、不躾な気がした。


 そしてクラウスはただ、見つめられながら物を口に運ぶ気まずさを感じていた。

読んでくださりありがとうございます!

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