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6話 抱擁

 光る瞳。

 それは彼が持つ特別な瞳であり、彼を【医者】たらしめているものだ。患者をその目で見るだけで症状とその原因、対処法を知ることができる。


 

 この世界には、特別な瞳を持つ者たちがいる。

 例えば敵の弱点を見通す瞳、傷を完治させる瞳、鉱脈を探り当てる瞳など……それらは多岐にわたる。


 主に戦闘に使われる瞳は赤、癒やしの瞳は緑、産業に向いた瞳は青に光る傾向にあるが、極稀にどれにも該当しないものがあり、その所有者は特に優秀だとされる。


 医者であるルーテマもまた特別な瞳を持つ一人であり、彼が『診察』のスキルを使うと右目が緑に光る。

 彼はこの力でこれまで数々の人を救ってきたが、見ただけで人を癒す力を持つ【聖女】が現れたとき、自分はお役御免だと感じるようになり、酒に浸るようになったのだった。



「感染症による熱ではないようだな」

  

 ルーテマがぽつりと呟く。

 ナズニアは別の椅子にちょこんと座り、診察が終わるのを待った。


 それを横目に見たあとで視線を中空へ向け、お手上げだというように息を吐き出す。少しだけ酒の匂いがした。


「……原因がわからん。少なくとも、これまでに見たことがない」


 それを聞いて彼女は目を丸くした。

 『診察』は患者の全体的な様子から総合的に判断する能力であり、結果が間違えていることはほとんどない。

 そのうえ、使うごとに経験や知識が蓄積されるため、彼は歴史上ほぼすべての疾病を把握しているのだ。


 そんな彼がはっきりとした原因が分からないというのは初めてだった。


「まあ、恐らく身体や精神の疲れから来た物だとは思うが。安静にしていれば熱はそのうち引くだろう。あとは消化の良いものを食わせることだ」

「……わかりました」


 ナズニアの顔には不満が滲んでいた。

 彼なら原因と対処法がわかるという期待を裏切られたからだ。

 だが、それは勝手に抱いていた物であり、自分にできないことをやってもらったのだから、感謝はしなければならないと彼女は思った。 


「どうもありがとうございました。では後日、酒は持っていきますから」

「いらん」

「……えぇっ!?」


 あまりの予想外な返事に彼女は驚き、座っていた椅子がガタンと揺れた。無類の酒好きである彼が断るはずがないと思っていたからだ。


「結局わしはそのガキの役に立てんかった。何も礼をされるようなことはしておらん」

「でも……」


 ナズニアは困った。自分としては礼をしたいが、頑固な彼は受け入れようとしないだろう。ここは自分が引くしかないだろうか。

 そうこう考えているうちにルーテマは部屋を出ていこうとしている。

 彼は去り際に言った。


「とにかく温かくして休むことだ」


 そして扉が閉まり、階段を降りる音がして、彼は家を出ていった。

 

「リジェ、来てくれませんか?」


 彼女の呼ぶ声に応じるように、グラスの中の水が揺れ、再び女の形を成した。


「なに?」

「先程はこの子、クラウスのことを見ていてくれてありがとうございました。それで、何か気づいたことはありませんか?」


 水の女神はいかにも不機嫌そうだった。

 慣れた様子で問うナズニアに、リジェは窓の外を見ながら返す。


「わかんない。なんか変な感じはあったけどすぐに消えたし、ただの熱でしょ」

「そうですよね……」


 彼女は少し安心した。医者と水の女神が言うならばそうだろう。少し心配しすぎていたのかもしれない。


「あと、私はまだその子に関わらないから。さっきはナズニアが気にかけてる子ってことで冷やしてあげただけ。信頼できるかわからないし」

「わかりました」


 それだけ言い残してリジェは消え、空になっていたグラスは再び水で満たされた。


「……はやく良くなるといいですね、クラウスくん」


 独り言に返事をするものはいない。

 

  

◆ ◆ ◆


 

 朝日が窓から射し込んでいた。

 それは目覚めたばかりの彼にとってはあまりに眩しく、再び目を閉じて眠りに就こうとした。しかし、体が休養を求めていないのか、いつまで経っても眠れる気がしない。


 目を開けて、脳を働かせる。

 ナズニアに体調不良を訴えたのが昨日の朝、ってことは丸一日も寝ていたのか。


 しかしそれほど眠ったおかげが倦怠感は回復していた。


 いつもの朝のように、上半身を起こす。

 そこにはあったのは、見慣れないもの。

 

 ナズニアが椅子に座ったままクラウスのベッドに突っ伏すようにして眠っている。

 あたりを見回せば机の上には水の入ったグラスと冷めたスープ、枕の横にはぬるい氷嚢があった。


 それを見た彼は、彼女が一生懸命に介抱してくれていたことを悟った。


「ナズニアさん……」


 ふと口をついて出る。息を吐くように無意識に出たもので、全くそんなつもりはなかったのだが、その声はナズニアを起こしてしまった。


「ん……はっ、クラウスくん!? 目が覚めたんですね!」


 彼女は飛び起きて、まだ眠そうな目を見開いて言った。

 驚き、安堵したような様子で、今にも目に涙を浮かべそうな勢いだ。

 クラウスは少し大袈裟だと感じたが、心配性な彼女に可愛げも覚えた。


「大袈裟ですよ、一日熱で寝込んだくらいで」

「だって全然目覚めないものですから……」


 彼女はルーテマが帰った後に回復術師を呼んだのだった。

 主に、医者は病の類が、回復術師は外傷の類が専門だ。

 それを承知の上彼女はダメ元で回復術師に来てもらったのだが、結局役に立つことはなかった。そうして不安の中、クラウスが目覚めるまで看病を続けてきたのだ。


「体調はどうなんですか?」

「絶好調ってわけじゃないけど……だいぶ良くはなりましたよ」

「熱は完全に引きましたかね?」


 そう言って立ち上がった彼女はクラウスに顔を近づけて、自分と彼の額とを触れ合わせる。

 突然の接近に、彼は顔の火照りとやけに響く心臓の鼓動を感じた。

 どこか落ち着く……石鹸のようないい匂いがした。


「まだ少し熱があるかもですね……」

「あ、あの、水をもらってもいいですか?」


照れてしまって仕方がないので、彼はとりあえず顔を遠ざけたかった。机の上のグラスに視線をやる。


「はい、では新しいお水を持ってきます」


 彼女は背を向けて遠ざかり、扉が閉まる。

 クラウスは一息ついた。

 

 ……疲れが出たのだろうか。

 思えばあの日、自分の能力を初めて知り、グランを倒して、と疲れる要素が満載だった。


 これまで能力を使ったこともなかったのだからなおさらだ。

 

 しかしまだ稽古も始まっていないのにここまでお世話になってしまって、申し訳ない。

 礼をして、これからの成果で応えるしかないだろう。


 階段を登る音がする。

 扉が開いて、彼女が入ってきた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 差し出されたグラスを右手で受け取る。

 喉を冷水が通っていく感覚は久しぶりで、気持ちが良い。


「病み上がりでいきなり訓練をするのも良くないですし、しばらくは近くを散歩でもしませんか?」


 クラウスの体を気遣ってナズニアが言う。

 

「わかりました」

「近くの森での活動も考えていますし、このあたりの地理にも詳しくなっておいたほうがいいでしょう」


 彼はこれからの修行を考えてわくわくした。

 学院での訓練はほとんどついていけなかったが、彼女なら無理強いはしないだろうし、それに能力使えるようになった今はなんでもできる気がする。


「じゃあぜひ、今からでも行きませんか?」


 そう提案するクラウスに、彼女はそれを好ましく思わないような顔をした。


「だめです、また体調を崩したら本末転倒ですよ」

「でも……」

 

 せっかく気づいた本当の力を試したくて、うずうずしている。『裏へ至る』で飛び回りたい。

 彼がそう思っているのをナズニアはわかっていたが、やはり体が一番だという考えは変わらなかった。


「せめて明日にしましょう。今日は安静にしていてください」

「……わかりました」

  

 彼は不服そうだったが、それも仕方ないと気持ちを切り替えた。


「そうだ、得意料理のスープをご馳走しますよ! 寝込んでいる間何も口にできませんでしたし」

「……! 楽しみです」


 実は机の上のスープがずっと気になっていた。

 彼女の発言からして、あれはナズニア自身が飲んだものだったのだろう。


 彼女は立ち上がって一階へ向かおうとした。

 しかし途中で何かを思い出したようで、足を止めて振り返った。

 その顔には申し訳なさが滲んでいる。


「あ、それと……私、用事があるのでしばらくしたら出かけますね。夜になる前には帰ってきますので……ごめんなさい」

「いえ、気にしないでください」


 結局この日、彼は何回かに分けて、少しずつ冷めていくスープを飲みながらベッドの上で一日を過ごした。


 彼がその間考えていたのは、『裏へ至る』がどこまで自由に移動できるのかということ。

 ナズニアがどこへ出かけたのかということ。

 そして、どちらも敬語で話すのは少し気まずいなということだった。

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