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5話 住

 住宅に挟まれた、うねうねと曲がっている石畳の坂を登っていく。


 楽しそうに友達と手を繋ぎながら坂を下っていく少女、庭で父親に見守られながら魔法を使う少年。

 自分にはできなかった経験を目にして、クラウスは少し胸が詰まるような気持ちになった。


 それとは別に、頭痛もしている。


 そのままナズニアの背を着いて行く。

 ふと振り返ってみると、遠いところに王城が見えた。

 

 もうこんなところまで来ていたのか……。彼女の家はどこにあるんだろう?


 王国の中心部に建てられた王城。それがこうまで遠くに見えるということは、彼らが王国の辺境、高台にいることを示していた。


 どこまで行くのか分からなかったが、寮と学院を行き来する毎日だった彼はワクワクしていた。


 自由に使える金もなく、友達もいなかった彼は遊んだ経験がなかった。

 能力が使えない分、努力によって筆記は上位だったが、それで金が稼げるわけでもなく。


 寮母の良心で何かを恵んでもらうこともあった。

 しかし、ありがたみ以上に情けないという気持ちのほうが大きく、彼は自分を過小評価するようになってしまった。


 狭い路地を抜けると、家の少ない過疎地域のような場所に出た。湖があって自然も多いが、人のいる気配はあまりしない。

 まっすぐ突き当たりには門があった。


「ここ……ですか?」

「はい! 遠かったですよね、お疲れ様でした」


 クラウスは軽く驚いた。


 その門の向こうには丘が広がっていて、しばらく進んだ右手には森が見える。丘の一番高いところに家があった。


「ここ、全部ナズニアさんの敷地ですか?」

「そうですよ。家を建てるとき、将来の弟子のために広い場所が欲しいなと思いまして」


 門をくぐって、家へと近づいていく。


「ここ、すぐ崖になっていて開発も進まないし、欲しがる人もいなかったらしいです。でも広くて、森もあって……いいところですよ。少々不便ですが」


 近くには商業区もなさそうだ。とにかく賑わいのなさそうな、そんな雰囲気の場所だが、自分の能力を知ったばかりの彼が一から修行するには案外ふさわしい場所かもしれない。


 家の入り口まで辿り着いた。家のしばらく後ろはナズニアの行った通り崖になっていて、その下には平原が広がっている。

 地平線を望むことができ、それはまさに絶景だった。

 平原には農村や国、森などが見える。


 クラウスがその景色に見とれていると、家に入ろうとしていたナズニアが歩いてきて彼の横で立ち止まった。


「いい景色でしょう? ここを買った理由の一つがこれなんです」

「空気が新鮮で、何かこう、生きてるって感じがします! それに月が綺麗に見えそうです」


 胸を張るナズニアに返す。

 彼女はうつむいて、静かに言った。


「私、英雄になってお金に余裕ができたので、これまで色々な場所を回ってきました。でも優秀な人とはみんな気が合わなくって……」


 どこか切なげな表情ではにかむ。

 英雄になっても一切驕らず、謙虚な姿勢でいる彼女だからこその悩みだろう。


「弟子にしたいと思える人が見つからなかったんです。本当に、君と出会えてよかった」

「そんな、僕の方こそ感謝してもしきれないくらいです!」


 眺めていた風景から、ナズニアに向き直った。


 これまでの日々が頭の中を巡る。


 読めない職明書、視線、理不尽な仕打ち。

 折れた心に叶いもしない夢をひとつまみ。


 しかし今、彼は英雄の弟子となっていた。

 


「自分に何ができるかすら分からないまま時間だけが過ぎていって、あのままでは無駄に人生を終えるところだったんです。でもナズニアさんが来てくれて」


 視界が滲む。彼女の美しく整った顔立ちが不自然に歪んでいく。


「僕は……」


 転生なんてありもしないと、そう思っていた。

 ただ今だけは、それを信じても良いかもしれないと、運命の存在を確信しても誰も笑いもしないだろうと思った。


「私は文字を読んだだけです。これまでのクラウスくんの努力があってこそ、ですよ」


 ナズニアが人差し指を指揮棒のようにくるくると回していた。

 クラウスの瞳からこぼれ落ちる雫が顔を離れ、宙を舞う。

 夕日を受けてキラキラと光るそれは、涙のフィルターを通してみても綺麗だった。


「でも、クラウスくんの道はまだまだ遠いですよ〜! 私、甘くするつもりはありませんからっ!」

「はっ、あはっ」


 クラウスは思わず笑って、そしてまた泣いた。


 醒めない夢のように、長く続く微睡みのように。

 西日にもたれて、風に支えられて。


 彼はしばし久々の安息ある時間を堪能したかった。


「ほら、中へ行きましょう。今は中でゆっくりと泣くのが一番ですよ、きっと」 


 そう言ってその小さな背を向け、扉へ向かって歩き出す。

 彼は目を拭いながら彼女を追った。

 足が軽くふらついて、頭がぼうっとする。


 扉が開き──閉じた。



◆ ◆ ◆


 

 与えられた二階の部屋のベッドに彼は眠っていた。

 しばらく誰もいなかったのか少し埃っぽい部屋だったが、寮に比べたら広く、幾分か快適そうに見える。


 昨日は結局あの後、二人で少し話して早めに床についたのだった。


 朝日が昇り、鐘が二度なってだいぶ経つが、クラウスが目覚める様子はない。



 一方ナズニア。早起きする用事もなく、二度目の鐘で目覚めた彼女は、寝間着のまま朝食を作っていた。

 彼女の低い身長に合わせられた台所。質素な作りで、壁には調味料の瓶やハーブなどの薬草がかけられている。


 彼女が指を鳴らし、かまどに火をつける。

 風魔法で野菜を切り、干し肉と一緒に鍋の中に入れていく。水を注いで、火にかけた。


 しばらくして煮立ち始め、味見をしながら塩と胡椒で風味を整えていく。味に満足したのか、顔を綻ばせ、火を消した。


 そして、保存用の固いパンを取り出すと、それを机に置き、両手の指で虚空に流れるような曲線を描きはじめる。


 空気中の水蒸気を操り集める魔法、炎魔法の応用である熱を操る魔法を組み合わせると、そのパンは瞬く間にふかふかで食欲を唆るものに仕上がった。


 スープを皿に二人分取り分ける。それを机に置き、彼女は満足気な表情を浮かべた。


「クラウスくん、朝食ができましたよ」


 そう言いながら階段を登っていく。


 やけに起きるのが遅いとは思ったが、決闘や慣れない能力を多用したことによる疲れが出ただけだろう。

 ナズニアはそう考え、気を遣って起こさずにいた。


 扉をノックする。

 反応はない。まるで、この家に一人しかいなかったときのように。


「クラウスくん? 入りますよ……?」


 静かに扉を開ける。軋む音の後に、慌てて歩くような音。

 彼女はベッドに駆け寄って行っていた。


 彼女が見たその顔は赤く、汗を浮かべながら、苦しそうな呼吸をしていた。その額に自分の額で触れると、明らかに熱があった。



「大丈夫ですか?」


 彼女は顔を離して静かに尋ねた。大きな声は病人に良くないと思ったからだ。


「ナズ、ニア……さん……?」


 意識が朦朧とするのか、途切れ途切れに返す。


「決闘の後から……気分が悪くて、迷惑……かけちゃってごめんなさい……」

「大丈夫ですよ。今、医者を呼んできますから、少し眠って待っていてください」


 自分が風邪を引いたとき何をしてもらっていたか。正直よく覚えていなかったが、記憶の限り自分に今できることをしようと思った。


 彼女は足音が騒がしくならないように急ぎながら、再び台所に向かい、桶から水を汲んで氷嚢に入れた。

 遠心力を使って振り回しながら、指を回るそれに向けて振る。すると中身はあっという間に冷え、たくさんの小さな氷ができた。

 

 そして棚からグラスを一つ取り、水を注ぐ。


 それらを持ってクラウスの元へ向かい、仰向けでうなされたように眠る彼の額に氷嚢を、ベッド横の机にグラスを置いて家を出た。


 

 扉を開けた途端に感じたのは、吹いているそよ風。


「お願いします、ルラン」


 彼女は風に乗っているかのように速く走り出した。

 一身に受けるは風の女神の祝福。

 小柄な体が閑静な道を駆けていく。 


 目指す先は昔から面識がある医者、そう遠くない。



「ルーテマさん! 今すぐ来てほしいんです!」

 

 病院とは思えない一軒家の扉を豪快に開け放ち、ナズニアは叫んだ。

 奥から老人の声がする。


「ナズニアかー? わしは忙しいんじゃ」

「そこをなんとか……私の弟子が熱を出してしまって、困ってるんです」


 彼女は家に上がり込み、声のする部屋へと向かった。

 そこにあったのは、酒を飲みながら安楽椅子に揺れる老人の姿。 


 部屋着でだらけきった様子だ。癖のかかった髪と伸ばした髭はもうすでに真っ白になっていて、穏やかな顔つきをしている。


「って、全然忙しそうに見えませんが……とにかく! 暇なら来てくださいよ!」

「寝間着で飛び出してきて随分慌てた様子だな」


 ナズニアは赤面した。だが、弟子が体調を崩している今、そんなことはどうでもよかった。

 

「ふぅ……それに、お前も知ってるだろ? わしはもう引退──」

「【医者】に引退も隠居もないでしょう! ああ、今度高級酒でも持っていきましょうか? それで満足です?」


 クラウスが心配で焦るナズニアをよそに、ルーテマと呼ばれた老人は悠然と酒を口にした。

 

「酒か……ちなみに、容態は」

「熱が酷くて、意識が朦朧としているような状態です。その子、能力を使ったことがなかったのに、昨日何回も使ったんです。いきなり慣れないことをしたせいだと思うのですが」


 それを聞いたルーテマの目が変わった。

 酒でぼんやりとしたような瞳がキリッとし、かつて真面目に働いていたときの輝きが戻る。


「能力を使ったことがない? 何歳だ?」

「何歳? そうですね……見た感じだと十五、六くらいです」


 ナズニアは自分がまだクラウスについて全然知らないことを実感した。

 年齢すら聞いていなかった。


「弟子だといったか? これはとんでもないやつを見つけてきたもんだ」

「ええ、それで取り急ぎ私の家まで来て頂きたいのですが」

「お前の眼鏡にかなうようなやつか……天才に違いねえな。死なせるわけにはいかん。熱程度じゃ死にはせんと思うがの」


 天才という言葉を耳にして、彼女は少し違和感を覚えた。

 クラウスにそんな言葉は似合わない。彼は環境に負けず、自分の体一つで努力を続けてきたのだから。


「天才、の一言で片付けるのは失礼ですよ。とっても真面目で努力家な良い子です」

「お前ほどの人間がこうも入れ込むとは、興味が湧いてきたぞ」


 老人が酒を机に起き、椅子から立ち上がった。

 衣装かけから白衣を手に取り、身に纏う。

 

「行ってやろうじゃないか」

「……! お願いします」

 

 家を後にした二人。歩いて先導するナズニアに、ルーテマは疑問を投げかけた。


「風に乗りはせんのか?」

「ルランは気に入った人じゃないと乗せてくれないんです。あなたはお酒の匂いが強いので……嫌がっていますよ」

 

 医者はそれを聞いて鼻で笑った。

 

「普段から風に乗るわけじゃなし、それだけで酒はやめんぞ?」

  

 と強気な態度を取っている。

 彼女はそれを、はいはいと受け流し、狭い路地を急いだ。



 しばらくのち、到着した。

 ナズニアが家の扉を開け放ち、階段を急いで駆け上る。

 

 部屋の扉を開けて彼女が見たもの。


 それは、眠るクラウスの首筋に手を当てる水の女神の姿だった。

 机の上のグラスが空になっている。


「リジェ……! 様子を見ていてくれてありがとうございます」

「……別に」


 リジェと呼ばれた、水色の半透明な肌をした服を纏わぬ女性。

 彼女はナズニアの目を見ると、それだけ言い残して瞬く間に姿を消した。

 そして残ったのは静寂と、水で満たされたグラス。


 階段の軋む音がする。


「そいつか? 熱を出したやつは」


 遅れてルーテマがやってきた。

 水の女神の姿は見なかったようだ。


「はい。昨日能力を数回使ってから気分が悪かったそうで、今朝から熱が酷くて」

「ふむ……」


 彼は許可も取らず、堂々と椅子に座った。


 クラウスを見つめるその右目が、薄ぼんやりと緑に光る。

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