4話 羽化
ナズニアと別れ、教室に戻る。幸いまだ授業は始まっていなかったので、教科書と職明書を持ち、次の授業がある解剖室へ向かった。
廊下を歩き、解剖室に足を踏み入れると、先程と同様、グランの近くしか席が空いていなかった。
根回しをしておいたのだろうが、仕方がないのでそこに座る。
「ようクラウス……どうだった? まさか、いくら大魔導師様でもお前の無能さを改善することはできなかっただろうがな」
グランが悪意に満ちた表情と声でクラウスに話しかける。
彼はナズニアの言葉を思い出していた。
「先程終わり際の会話で感じたのですが……彼は平民に負けるはずがないという高い自尊心、そしてあなたを辱めたいという欲求の二つを兼ね備えています。そこを突きましょう。あなたが言うべきセリフは────」
クラウスは言った。彼の質問は一切無視して。
あくまで毅然とした態度を貫きながら。
「僕と再度決闘をしてくれないか」
「はっ、平民の分際で何をほざく……この貴族である俺の大切な時間を奪おうというのか? そもそも俺の質問に答えるのが先だろうが」
少したじろいだように見えた。
プライドという装甲の隙を突き刺すように、彼は続ける。
「グラン、お前はまさか……」
ナズニアが言っていたことを思い出しながら。一言一句違わずに、彼はグランの"濁った碧眼"を見つめ、はっきり堂々と言った。
「たかが一平民の、その上【無職】の僕に負けるのが怖いのか?」
グランの目が血走り、真っ白な肌に青い血管が浮き上がった。
「……お前。あの女に何を吹き込まれたのかは知らないが……いいだろう。そうだ、この【賢者】である俺が貴様に負けるはずがない! 今日の放課後、決闘場で待ってやる。教師に言って決闘場の使用許可をもらっておけ」
教師が入室し、部屋が静かになっていく。
静まり切る直前、グランはクラウスの耳元で囁いた。
「覚悟しておけ。俺に刃向かったことを絶対に後悔させてやる」
その後、初めて反抗したという事実にクラウスは授業中、手が震えて気が気でなかった。
しかし同時に、彼女と出会ったことで自分が変われるかもしれないと思い、高鳴る鼓動を抑えられずにもいた。
◆ ◆ ◆
「何の策があるのか知らないが……お前が俺に勝てるわけないだろう」
夕闇が迫る決闘場。もうすぐに、クラウスのこれからを決める戦いが開始しようとしている。
ナズニアはギャラリーの日陰に座り、審判を務めていた。
「二人に告ぐ! この決闘はお互いの命を狙わないこと。どちらかが木刀を落とす、降参する、あるいは意識を失って動かなくなったらその時点で終了です」
「よろしく、グラン。今回は負けない」
クラウスの言葉を無視して、彼は位置についた。
「始め!」
「集え火球、我の敵を殲滅せよ」
試合開始とほぼ同時の詠唱。
炎の球がクラウスに迫る。だが彼は、ナズニアの見ている前ということもあって不思議と落ち着いていた。
クラウスが移動前最後に見たのは、グランの勝利の確信に満ちた汚い笑顔だった。
彼は少し息を吸って──
「──『裏へ至る』」
「なっ……!」
突然炎をすり抜けたように、目の前に瞬間移動してきたクラウスにグランは驚きの声を上げた。
彼は昨日までクズだと思っていた平民に、剣の間合いまで近づかれてしまったのだ。
今回は、火球は背後に隠していないようだった。
振りかぶって打ったクラウスの攻撃を、グランは受ける。続いて繰り出される袈裟斬り、突き……バックステップで避けるも、グランはどんどん追い詰められていった。
状況的にも、精神的にも。
「誘い込め、炎の海へ」
しかしクラウスの連撃は、魔法によって止められることになる。
グランが突然しゃがみ込んで剣戟を避け、地面に手を叩きつける。
その瞬間、うねるような炎が彼の周囲の地面から浮き上がったのだ。
「……ッ! 裏へ至る」
間一髪、クラウスは後ろに瞬間移動することで避けることができたが……距離を取られてしまった。しかし今の彼には関係のないことだ。再びグランの背後に移動する。
「終わりだ……グラン」
直前──グランが振り向く。二人の目が合うその一瞬、クラウスは時間が止まったように感じた。
「……ッ……!」
木刀同士がぶつかり合う音がした。
先ほどと同じように、それが鋼でできた剣だったのなら、間違いなく火花が散って見えるほどの音だった。
クラウスは、グランとの差はやはり能力だけで身体的には同等であり、これまで積み重ねてきた訓練は無駄ではなかったということを再確認した。
──自分が【賢者】であることに誇りを持っているはずのグランが、木刀を両手で握ってクラウスの攻撃を受けたのだ。
グランは能力に拘ることをやめたようだった。
そして木刀を右手に持ち替え、クラウスが両手で持つ木刀を押し返しながら、左手を突き出して言った。
「吹け」
クラウスが微かにその声を聞いた瞬間、とてつもない突風が吹き付けた。その風は気を抜けば木刀が飛んでいってしまうほど強く、靴が地面と擦れ、少しずつ相手との距離が開いていく。
落ち着け、風は一直線のはずだ。
ならば『裏へ至る』でグランの背後に移動して──いや、さっき防がれた手だ。あいつなら対策しているに違いない。
クラウスはそう思ったが、何度でも背後へ回る以外の方法はないように感じた。
そうこうしているうちに、風は木刀を重点的に強く吹くようになっていった。位置を変えてもその風は追尾し、手汗で滑る。もし落としてしまったらクラウスの負けだ。
……能力を使う度、一瞬だけ視界が闇に染まる。
そして得体のしれない力でぬるっと押し出されるような感覚があり、気がつけば思い描いた場所に立っているのだ。
それはまるで、自分が矢になって弓に飛ばされるような体験。
初めて使う能力が特殊すぎるがゆえか、彼は気分の悪さに苛まれていた。このままでは決闘が長引くほど、勝ち目はなくなっていくだろう。
手遅れになる前に彼は。
「裏へ至る」
視界が切り替わり、振り返ると凄まじい形相で木刀を振るうグランの姿があった。
そう、まだまだ未熟ではあるものの、能力以前にグランは優秀であった。凄まじい反応速度で、眼前からクラウスが消えた瞬間に風魔法を解除し、移動先の位置を予測して木刀を振りかぶったのだ。
突風はクラウスの移動を誘導するための物であり、本命は木刀による打撃だった。
……流石だな。
クラウスはなぜか、悠長にそう思った。
そしてこの土壇場で──自分の能力を実験してみることにしたのだった。
「裏へ至る」
彼がイメージした移動場所は、『その場』。
思惑通り、クラウスは木刀が当たる寸前に姿を消し、グランが振り下ろし切ってから再び現れた。
それはまるで光が瞬くように。
──回避できた。クラウスは姿勢の崩れたグランを見て確信する。
グランは何も間違っていなかった。ただクラウスが一枚上手だったというだけで、結果的に空振りになってしまったのだ。
「なっ……!」
驚きのあまりグランが見開いた目の先は地面。
渾身の一撃に成果はなく、姿勢がさらに崩れていく。
そしてこれは決闘であり、敵の眼前に晒した隙が見逃されるはずもなく。
彼はグランの木刀の先端を踏みつけ、それを握る手を思いっきり打った。
突然襲う手の痺れ、鞭で打つようなあまりに強い痛みに驚き、賢者は木刀を手離し──静かに尻餅をついた。
咄嗟のことに手を打ってしまったが、そんなことこれまでされてきたことに比べればどうということはないし、審判も気にしていないようだ。
「……! 勝者、クラウス!」
ナズニアの声が、闘技場に響く。
彼が見上げたそこには、ほころぶ彼女の顔があった。
うなだれるように、地面を見ながらグランは呟いた。
「なぜだ……いつの間にそんな能力を【無職】のお前ごときが」
跪くグランを見下ろし、彼は言った。
「僕は無職じゃない。お前がこれまで馬鹿にしていた職明書、それが示していたのは【道化師】だ」
長い沈黙が流れる。やがてグランが顔を上げ、クラウスを睨みつけた。
その瞳には炎が宿っていた。この世のすべてを憎まんとするような、燃え盛る憎悪の炎が。
そしてそのまま何も言わず、彼は立ち去った。
去っていくグランを見届けると、ナズニアが降りてきた。
「おめでとうございますクラウスくん! ほら、私の言うとおりだったでしょう?」
「……はい。ありがとうございます」
グランは自分の能力に溺れていたわけではなかった。
性格こそかなり悪かったが、みんなが帰ったあとも一人訓練場で魔法の練習をしていた。学院に残って自習をし、日が落ちてしばらくした頃に帰るとき、彼はその様子を見かけていた。
扱いが難しい魔法をこうまでうまく使えていたのも努力の賜物だ。
二人は、努力の理由は違えど似た者同士だったのだ。
ほんの少し風の吹く向きが違っていれば、二人は誰よりもお互いのことを分かり合えていたかもしれなかった。
どうしてあれ程に辛く当たられたのか、いじめられたのかを、彼は知らない。
ただ、こんなにあっけなく……
グランとの確執が消えるとは思えなかった。
言葉にできないほど複雑な感情が胸の中を渦巻いているクラウス。
それを知ってか知らずか、にっこりと笑い彼女は続ける。
「あの後もいくつか訓練を見学させていただいたのですが、あなた以上に興味を惹かれる人はいませんでしたよ」
微笑みが愛らしい彼女は胸の前で手を組み、見るからに上機嫌に言った。
「クラウスくん、これで晴れてあなたは、正式に私の弟子ってことになりますね。……じゃあ学院、やめましょっか!」
「へっ?」
クラウスは驚き、情けない声を出したが……もう彼をいじめる者たちに会うこともなく、彼女と二人で修行ができるのなら……全然悪くない、むしろ────
「最高じゃないですか!」
「えへへ、そうでしょう? ではお祝いに、ご馳走でも食べに行きます? 何がいいですか?」
彼は思案した。寮で出る食事は贅沢なものではない。
極たまに出る、当たりメニューを思い出していた。
「獣肉のステーキとか?」
「君は安上がりですね。ふふ、私も好きですけど」
二人は闘技場の出口へと歩き出す。
「ナズニアさんと食べられるなら何でも楽しみです」
彼女は頬を赤らめ、少し照れたように微笑んだ。
◆ ◆ ◆
一見整っているように見えるが、机の上は羊皮紙で乱れている部屋。本棚には数々のモンスター学に関する本や、名だたる英雄たちが残した巻物の写しがあった。
その机の向こう側、学院長が椅子に座っていた。
そこに向かい合って、クラウスが立っている。
帰ろうとしたとき、すれ違った教師から学院長の伝言を受け取り、彼はこの場にいた。
「クラウス。突然呼び出してすまないな。実は大切な要件がある」
「いえ、僕の方こそ、伝えなければならないことが」
学院長は先日、苦渋の決断をしたのだった。
クラウスが努力しているのは知っている。
【無職】とからかわれながらも、彼なりに頑張っていることは。
能力が解禁される学年になるまでは、彼はグランと首席を争っていたのだから。
しかし、能力無しでこの学院にいるということが問題になっているのだ。
本来学び舎というのは生徒同士で高め合うのが理想というもの。
その点、クラウスの存在は誰の益にもならない。
むしろ見下される対象になり、他の者の安心感を生む存在になっている。
それでは、育つ若手も育たなくなってしまう。
それに……実らぬ努力をし続けるというのも、辛いだろう。彼はかつて冒険者として働いていた時の自分を、彼に重ねていた。
先日の決闘訓練でクラウスが無惨に敗北したこともあり、その後の再戦結果を知らない学院長は、彼を退学にすることにしたのだった。
大変申し訳ないが、クラウス。君を──退学にさせてもらう。
能力無しで生きていくのは大変だろうから、獣肉処理の仕事をしている友人を紹介しよう。
そう言いかけたその時だった。
「大魔導師様の弟子になることが決まりましたので、僕は学院をやめます。先に言わせていただきたくて……それで、大切な要件というのは何でしょうか?」
クラウスが先に言い放った。
学院長の目と口が開き、塞がることを忘れてしまった。
【無職】のクラウスが英雄の弟子!?
大魔導師……ということはナズニア様……!
気でも触れてしまったのか……!?
そう思い、彼の言葉は驚きのあまり喉につっかえて出てこない。
いや、違う。気が触れたのはクラウスの方だ──!
「き、君! 何を馬鹿げたことを──」
その時、ノックが部屋に響いた。
「大きな声が聞こえましたが、私の弟子に何かありましたか?」
ナズニアがひょいと顔を出す。
それを見た校長は、「私の弟子」という言葉を聞いて、現実を受け入れざるを得なくなった。
「ナズニア様……いえ、失礼を……」
それを聞いた彼女は一礼して廊下に戻って行った。
「それで大切な要件というのは? 先生?」
「いや、いや……何も……」
「ああ、やめるなら関係ないってことですね。無能力だった僕を、今日まで大変お世話になりました。それでは、さようなら」
クラウスは学院長室を後にした。
扉を出ると、ナズニアが廊下で窓の外を見ながら待っていた。
「早かったですね。それで、何でした?」
「いや、わかりませんでした。とにかく、退学することは伝えましたよ」
クラウスは親が支払っている学費のことを思い出したが、勘当された身でわざわざ退学の旨を伝えに行くのは億劫だった。
親元には学院からの手紙でも届くだろうと楽観視し、今はこの鮮やかに色づいた世界を楽しむことにした。
彼女は微笑み、体よりも少し大きいローブを翻した。
「とりあえず、私の家に行きましょう。実はもう弟子の部屋は作ってあるんですよ!」
「そうですか! ふふ、今度は僕が案内される側ですね」
そんな会話を交わし、二人は歩き出した。
まず寮に寄って荷物を取りに行き、寮母にこれまでの礼をした。
そして学院を後にし、ナズニアの家へと向かっていく。
石造りの地面も、並ぶ家屋に絡む蔦も、夕闇の中さえずる鳥さえも。
今のクラウスにとっては愛おしく思え、そして自分の足が地についていないようにすら感じた。
そんな二人を、血走った目で見つめるものがいた。
グランだった。彼は学院の監視塔に忍び込み、ナズニアに照準を合わせていた。
自分を認めなかったこと、クラウスを選んだこと、クラウスに能力を与え、徹底的に自分を打ち負かしたこと……。
それら全ては怨念へと昇華し、身体の内部で燃え滾る炎になっていた。
「火球……」
手のひらに炎が燻る。
火球は、彼が最初に習得した最も得意とする魔法だ。ナズニアは見向きもしなかったが。
「もっと……もっと鋭く、もっと迅く……!」
その炎は勢いを増し、鏃のような形になっていく。身体強化、視力強化の魔法により、彼は標的を完全に捉え、完璧な瞬間を待ち望んでいた。つまり、背中を向けるその瞬間を。
思い知らせてやる。
隣で笑っている、劣等生クラウスにも。
お前の師が、如何に無能であるかということを。
「英雄になるのは俺だ!!」
炎の矢は放たれた。時間をかけて詠唱した追加魔法により、消音効果がついている。
気づかれることはない。
振り返ったとしても、その時には身体を貫いているだろう。
そして炎は全身に広がり、英雄は──死ぬ。
──その時グランは、あることに気がついてしまった。身体の中の怒りを全て炎にして放出したからか、ひどく冷静になった彼はとてつもない恐怖に戦慄いた。
俺は今、人を殺そうとしている。
そしてその相手は英雄だ。
彼は今になって、怖気付いてしまった。
ああ、どうか軌道が逸れて──!
逸れるはずがない。入念に整えたのだから。
直撃するまでの数瞬の間に、彼の思考速度は極限まで加速され、後悔を何度も繰り返した。
しかし無情にも、火球は命中する。
グランは目が離せなかった。
────ジュッ……。
火球は、消えた。
何が起きたのか分からなかった。
よく見ると、ナズニアの服の裾から、水が伸びている。妖精の尾のように──それが薄い膜のようになり、火球から彼女を守る役割を果たしたのだった。
彼女は振り返っていた。
目が合った。これだけ離れているのに、その目はこちらを捉えていた。
冷たい目だった。氷の縁のように鋭く、夜の闇のように恐ろしい。
グランはへなへなとその場に座りこんだ。
そして、泣きながら自室に戻った。道中で誰にも会わなかったことは彼にとって幸いだった。
「ナズニアさん、どうかしました?」
振り返り、立ち止まったナズニアにクラウスが尋ねる。彼女は向き直り、目を合わせた。その目は別人のように優しかった。
「いえ、少し……なんでもありませんよ」
そして微笑む。
「ここ、右です!」
ナズニアの元気な声が響く。
二人は右へと曲がる。
彼にはもう、学院への未練はほんの少しもなかった。
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