2話 決闘
クラウスは彼女と出会った噴水のある広場まで戻り、正面玄関から学院内に入った。
廊下を歩いているとき、モンスターの身体構造を学ぶ解剖室から悲鳴が聞こえた。
おおかた内臓や血液に耐性のない者の声だろう。今本当に叫びたいのはこっちの方だ、クラウスはそう思った。
向かうは講義室だ。踊り場の窓から朝日が射し込む幻想的な階段を上り、少し歩いた。
彼は、扉が軽く開いた部屋の前に立ち止まった。扉を右手で開け、
「すみません、遅刻しました」
と言いながら静かに入ったが、ひげの長い教師はちらりとこちらを見て、
「遅刻とは、珍しいですね」
と言ったあと、講義を続けた。
他の級友たちは無関心を貫いていたが、数人だけが口角をニヤリと上げた。
貴族のグランを中心とするグループだ。
グランは透き通るような橙色の髪と碧眼で美しい顔立ちをしている。貴族の血を継ぐ嫡男で、権力も持っていた。
その上、職明書が示していたのは【賢者】。魔法系職の上位に位置するそれは戦闘能力が高い。そして彼は成績優秀であり、教授たちにも一目置かれていた。
そんな完璧人間としか言いようがない彼だが……クラウスに対して酷く当たった。
グランは権力があって、有望で、将来が保証されている。それは学院の名誉が保証されていることと同義であり、学院はグランの行為を大目に見ていた。
例え真実を外部に告発しようとも、普段のグランしか知らない人が信じるはずがない。
つまりクラウスは味方がいない状態でグランのストレス発散、ないし遊びに使われていたのだ。
講義室内の席はほぼ埋まっており、座る場所はないように思えた。
しかしたった一箇所だけ、グランの席の前だけが、空いていた。
あいつ……自分の席の前に誰も座らないよう言っていたに違いない。人が座っていない席全てに荷物が置かれているが、それにも関係していそうだ。
クラウスはそう思い、なにかされるであろう危険を感じてはいたが、そこに座らざるを得なかった。
「おはよー、随分遅かったじゃん。心配したよ」
「……」
妙に明るいグランに恐怖を覚えながら、彼は布袋から教科書を取り出して座った。
途端、背中に感じたのは熱。グランは涼し気な様子で魔法を用い、クラウスの背中を熱していた。
クラウスは振り返って殴りつけてやろうと思った。
だが、そんなことはできない。クラウスに味方はいない。クラウスに後ろ盾がないのに対し、グランは貴族の嫡男だ。
どんなことをしても退学どころかお咎めを食らうこともないだろう。
だから、クラウスは我慢するしかなかった。
しばらくして講義が終わり、クラウスは次の時間、絶対にグランの近くには座るまいと思った。
去り際、教授があることを言い放った。
「もしかして君たち、次の授業は決闘訓練かね? ……今日は王国ルノーリアが誇る英雄様がいらしておる。優秀な生徒が居れば、ぜひ弟子にしたいとのことだ。励むように」
一瞬の静寂。そして、沸き上がる歓声。
「本当か!? こんなチャンス……!」
普段から騒がしい青年が叫ぶ。
各々が希望を胸に騒いでいた。特に、腕に覚えのある者たちが。
そして、誰かがおどけて言った。
「選ばれるなら僕に違いない……みんな、すまないな」
「何言ってんだバカ! 選ばれるなら──最強のグラン以外あり得ないだろ! なぁ!?」
響いたその声に、全員が眼差しをグランに向ける。
彼は髪を触り、照れた様子で一言。
「参ったなぁ、そんなことないって。みんな、恨みっこ無しで頑張ろうな!」
グランの好青年ぶりに、またもや沸き上がる歓声。
その中で一人、クラウスだけが顔を青くし、冷や汗をかいていた。
まずい。だめだ、まずい。今の僕を英雄が見たら……! 僕の夢の実現はもう絶望的だ。能力すらない無様な自分の姿が、憧れの存在に知られてしまう……!
彼の頭の中を巡るのは焦りと絶望、そして諦め。
もう英雄の弟子になどなれなくてもいい、だからせめて、英雄になるという夢だけは見させていてほしい。
その夢がら現実味を帯びていると錯覚していた。決闘訓練で能力の使用が解禁されるほんの数年前までは。
そう考えて落下していく感覚に包まれていると、不意にクラウスはグランに肩を叩かれた。振り返ると、もうほとんどの人が講義室に残っておらず、彼とその取り巻きらしき数人がいるのみだった。
「あ……グラン……」
クラウスが頭を上げてグランの顔を見ると、視線の先にいる彼は、いかにも意地の悪そうに言った。
「次の授業……決闘訓練だってな! 【無職】のお前の無様な姿をご覧になった英雄様がどんな反応をするか楽しみだ。軽蔑の眼差しだけで済むといいけどなぁ……ま、せいぜい頑張れよ」
言い終わると彼らは笑いながら去っていった。
その言葉、いわば確定的な予言を突きつけられ、再びクラウスの心は暗く沈んでいく。
まだ始まってすらいないのに、もう終わってしまうのか……。
そんな感情に押し潰されそうになったまま、彼は一人決闘場へと向かった。
決闘場は円形になっていて、ギャラリーが見下ろすように階段状に並んでいる。
その中で、四十人弱の生徒たちが教師を待っていた。
陽射しが強く、肌をジリジリと焼かれるような、そんな暑い日だ。
「全員いるな? 始めるぞ」
筋肉質で体格の良い教師が入場し、歩きながら言った。
それまで話し、騒いでいた生徒たちは打って変わって静かに、いつにもまして真剣な様子になった。空気が張り詰める。
英雄の弟子になれば生活は一変し、圧倒的な地位を約束されると言っても過言ではない。自分の人生を変える最大のチャンスに、緊張しないわけがないのだ。
「既に耳にした者も多いと思うが……今から始まるのはただの決闘訓練ではない。本日は三英雄の一人が見学にいらっしゃった」
ざわつきすらしない。全員が黙り、高鳴る鼓動を必死で抑えている。
「英雄は多忙であり、普段ならば貴様らのようなひよっ子がお目にかかることのできないお方だ。心して決闘に挑むように。では……」
「お待ちください、自己紹介をさせていただけますか? 初めて会う子たちなので……」
誰もいなかった場所。教師の隣、その瞬間の前までは影すらもなかった場所に、彼女は立っていた。
──空気が再び変わる。静けさとも、緊張とも違う雰囲気。
その場にいる人どころか、光、足元の砂一粒までもが、容姿は非力な彼女の言葉を待っている。そう感じても不思議ではないほど、彼女の立ち振る舞いは威風堂々としており、別格な存在感を放っていた。
「えー、ごほん」
静寂に咳払いが響いて。
「私はナズニア。職業は【大魔導師】……英雄です。今日は弟子候補を探しに来ました。どうぞよろしくお願いします」
その場の全員が圧倒されている中、クラウスは目を見開いていた。
クラウスよりも一回り近く小さな体、分不相応に大きな黒いとんがり帽子を載せた、銀の長髪。
眼前の少女が、英雄だと名乗った彼女が────ついさっき教員室まで案内した迷子だったからだ。
その驚きの余韻に浸る間もなく、教師は言った。
「で、ではミリアムとティルハ以外はギャラリーへ移動しろ。決闘が終了する毎に二人ずつ呼名する。聞き逃さないようにな」
名前を呼ばれた二人は木刀を受け取り、その他の生徒たちはギャラリーへと先行するナズニアの背中を追った。
全員が移動し終わると、決闘場に教師の野太い声が響いた。
「ここは実際に決闘が行われていた神聖な場所だ! 騎士の精神を胸に、正々堂々と戦え! もちろん能力の仕様は許可するが、あくまで狙うのは木刀だということを忘れるなよ────開始!」
木刀を構えた二人は、教師の掛け声で決闘を始めた。
【魔法使い】のティルハが水魔法を飛ばす。しかし木刀を狙ったはずのそれは、壁に当たった。
魔法は調節が難しく、よほどの熟練者でなければ狙った場所に当てるのは難しい。
反面、【剣士】のミリアムは素早いステップで撹乱し、距離を縮める。当事者の二人は盛り上がっている。白熱した戦いだ。
しかしその一方ギャラリーでは……ナズニアの話題で持ちきりだった。
「可愛くて強いとか……反則だろ!」
「ああ、弟子にしてくれねぇかなぁ……」
だが、クラウスはそうも言っていられない。
周囲が彼女の話題で盛り上がるほど、その憧れに失望されたときの自分が浮かび、落ち込んでいく。
帰りたい。彼女は手の届かない存在でいい……弟子にもなれなくていい。だから、どうか希望を奪わないで欲しい
彼はその一心だった。
元々彼は優秀な生徒だった。
決闘も、グランといつも一位、二位を争っていた。
入学してから三年が経ち、決闘においての能力使用が許可されるまでは。
試合が終わり、終わって、終わって────。
他の人の試合すら気にならないほどに放心した状態のクラウスを、無慈悲に教師は指名した。
「クラウス……そしてグラン!」
対戦相手は……何の因果か、彼の大嫌いなグランだった。
クラウスが彼と相対したとき、グランはいつもの調子で言う。
「へっ、先生は俺に見せ場を用意してくれたのかな? まさかこの優秀な俺と無能のお前を組にするなんて……悪いな、恨むなよ」
その言葉の後、間髪入れずに開始を告げる声が響いた。
「開始!」
ついにクラウスの運命を決める戦いが始まった。
負けてもいい、圧倒的でさえなければ。
しかし実質【無職】──能力無しの彼にとって、能力使用可のこの形式は余りにも不利だった。
「グラン……!」
クラウスは一直線に走る。グランが【賢者】だと知っているからだ。詠唱の隙を与えないことが、対魔法に有効だった。
しかし職業と才能に恵まれた彼は、驕るだけの力を持っていた。
「火球、我がもとに集え」
クラウスは間に合わなかった。グランに詠唱を許してしまったのだ。
グランの周囲を炎の玉が揺らめく。それは一直線にクラウスの木刀へ向かい──。
クラウスは、木刀を決闘服の内側に隠し、炎魔法に当たらないようにした。能力がないとはいえ、訓練を欠かしたことはない。素早い身のこなしで、前転するようにして火球をくぐり抜け、グランとの距離を縮めた。
姿勢を走りながら正して、顔をあげる。
そこには、相手が目の前──魔法職にとって不利な距離にいるのに、冷や汗ひとつかいていないグランの姿があった。
嫌な予感がした。けれど、せっかく縮めた距離だ。下がるなんて手段ははなからない。クラウスはその勢いのまま木刀で強くグランめがけて打ちつけた。
カンッ!! 音が、響いた。
その一太刀は見事に受けられていた。ジリジリと、ふたりは押しあった。それが真剣なら、火花が飛び散っていたに違いない。
そのときクラウスの瞳に、灯りが灯る。
反射して、赤く光る。
「ばーか、俺を侮ったな」
グランは自らの背後に火球をもうひとつ隠していた。クラウスと押し合う力を少しも緩めないまま、それを高速で飛ばす。
クラウスの木刀に火がつき、瞬く間に黒くなっていく。グランは自らの木刀に延焼しないように、クラウスの腹部を蹴り飛ばした。
もはや持つべき武器も失った青年が、空を仰ぐようにして寝転がる。彼は、希望も、勇気も……あらゆる思いも、失っていた。
木刀以外への攻撃は禁止と言っていた教師は、何も言わなかった。そして、英雄ナズニアも。
「勝者──グラン・ルナウディ!」
教師が満足気な顔で叫ぶ。
──負けた。それも圧倒的なんてレベルじゃない……惨敗、これが実戦だったら……。
クラウスはギャラリーに座るナズニアを見上げようとして、やめた。視界の端で、微かに開いて、閉じる彼女の口が見えた。
「残念です」
そう、言ったのだろうか──わからない。どんな顔をしているかくらいは予想できたが、それを確認してこれ以上惨めな気持ちになるのは嫌だった。
「俺は優秀だからな……お前のようなクズとは格が違うんだよ」
放心状態のクラウスの横を通るときグランが言ったその言葉が、訓練が終わるまで彼の頭を反芻していた。
心臓が急速に熱を失っていく。
この体から、あらゆる闘争心が抜け出して、闘技場の砂の一部になっていく。
人生は、夢は、今終わりを告げた。
あっけなく、蝋燭の火が強風に消えるように。
全てはあの日得た職明書次第なのか……?
僕のような【無職】のクズは、努力すら実らせることができないのか?
クラウスはそう思わずにいられなかった。
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