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1話 予兆

 目の前の少女は、大魔導師の服を着ていた。

 銀色の長い髪が風になびく。

 純粋な眼差しが、僕を見つめる。鼓動が高鳴った。


 彼女は上目遣いで言った。


「ところで本題ですが……私の弟子になってくれますか……?」


 僕はあまりに虫のいい現実を疑いながら、この瞬間に至るまで、今日何をしていたかを思い返していた。



◆ ◆ ◆



 青年が飛び起きる。右手で髪を乱し、ため息をついた。


「はぁっ、はぁ……夢か……」


 冷や汗によってシャツが背中に軽く貼り付いている。じっとりとした気持ち悪さとは対照的に、外は快晴だ。


 また、あの悪夢を見た。職明書を受け取る儀式の夢だ。彼の現状を示唆するかのように、その夢はいつも暗闇に吸い込まれて終わる。


 

 彼は名をクラウスという。


 鏡を覗きこむと、そこにはいつもの顔があった。特徴的なのは癖のついた金髪と碧色の目だけで、気の弱そうな顔立ちをしている。力のない情けない顔だと、自嘲する。


 そして、あの日──職明書を受け取った日からずっと立ち止まったままの自分に、嫌悪感を抱いていた。


 肩を落としたとき、遠くで鐘が鳴った。二度、三度と荘厳な音色が響き渡る。


 その鐘は王国ルノーリアの夜明けの象徴である。鐘は人々が活動を始める合図なのだ。

 

「急がないと遅刻する……! くそっ、あんな夢見たせいだ!」

 

 彼は飛び起き、急いで学院のローブに着替えた。

 教科書、そして役に立たない職明書を布袋に入れ、駆け足で狭い一人部屋を飛び出す。


 複数の扉が向かい合った狭い廊下を、つまずきそうになりながら走る。


 そして寮を抜け、石畳をしばらく駆ける。

 こんな状況なのに、やけに爽やかな風が逆に鬱陶しい。

 ようやく、学院の大きな門が見えてきた。


「やっぱり誰もいない……遅刻とか目立つようなことはしたくなかったのに……」


 彼の心情はもう諦めの境地に突入し、もはや走るのをやめていた。帰って寝ようかとも思ったが、これまで休まずに頑張ってきたんだ、ここまで来たことだし出席しようと思った。


 門をくぐって見えてくるのは、美しい花々が咲き乱れる庭園。道が交差する場所には広場があり、その中央には透き通った水が流れ続ける魔法の噴水。


 そしてそれらの背景となるのは、豪華な造りの雄大な校舎。

 王都中等学院、テネリットだ。


 

 今の時間帯、クラウス以外誰もいないはずのその景色の中に一人、見慣れない少女の後ろ姿があった。


 まず目につくのは、腰のあたりまで長く伸びた美しい銀髪。見かけたことがない、珍しい色だ。

 そして、その小さな図体に似合わぬ大きなとんがり帽子を載せている。

 身に纏うローブは体よりも少し大きめなのか、袖からのぞかせているのは指先だけだった。

 一冊の本を抱え、辺りを見渡しながら、トコトコと歩いている。


 

 ……迷子だろうか。


 クラウスは思った。どうせ遅刻である事実が変わらないのなら、困っている人を助けよう。こんな僕でも、何かしら人の役に立てることはあるはずだ。


 彼は少女に向かってゆっくり歩き始めた。するとあちらも気づいたようで、明るい顔をして駆け寄ってきた。途端────


 ズサッ、と地面の擦れる音がして、足元に小さな振動が伝わる。遅れて、一冊の本が落ちる音。



 ──少女は思いっきり転んでいた。



「……え」


 口から軽く声が漏れ、一瞬時間が止まったように感じた。

  

 ドジっ娘だ……って、そんな場合じゃない。


 我に返った彼はしゃがみこみ、急いで手を差し伸べて声をかけた。


「大丈夫? 怪我はない?」

「あっ、ごめんなさい……!」


 彼女は上半身を起こしクラウスの手を取った。

 優しくその手を引くと、彼女がまるで風であるかのように、軽やかに立ち上がったことに彼は少し驚いた。


 近くで見る彼女は幼い子供ではなく、少し大人びていた。転倒でできた目に見えるような傷はなく、落ち着いた様子でぺこりと頭を下げる。


 クラウスは足元に落ちている本を拾い、少女に手渡した。

 分厚い本だった──その独特な感触から、おそらく職明書だろうが、表紙の文字までは読めなかった。

 

「ありがとうございます。お恥ずかしいところをお見せしてしまってすみません……」

「大丈夫。ところで、困ってたみたいだけど何かあったの?」


 その言葉を聞いた彼女が、胸の前で手を合わせ上目遣いで言う。


「学院の教員室に用があってきたのですが、場所が分からなくて……というか、もう鐘はなりましたよね? どうしてあなたはここに?」

「はは……寝坊しちゃって。よかったら案内する?」


 彼がそういった途端、彼女の目に見た目相応の輝きが現れた。


「本当ですか!? 何から何までありがとうございます。私、あまりこの辺りには詳しくなくて……」

「学院テネリットは特に複雑だよね。じゃあ、行こう」



 二人は横並びになって、庭園の中を歩いていた。


「そういえば、どんな用があってテネリットに来たの?」

「……言っちゃっていいのでしょうか……なんというか、その、少し見学をしに……」


 彼女ははにかんで、銀の髪先を人差し指でくるくるといじった。


 この年齢で見学、か。学院に入るほどの年齢には見えない。貴族の血縁か、あるいは下等学校では扱いきれなかった天才か──そのどちらかだろう。


 彼はその仕草と勤勉さに少し愛らしさを覚えながら、笑って答えた。

 

「幼いのに、真面目な子だなぁ。きっと君みたいな子がこの王国の未来を作っていくんだろうな」

「……えへへ、ありがとうございます」


 彼女はそう言うと、足元の小石を軽く蹴った。

 

 正門から教員室までは長い道のりだ。景色も退屈だし、木々が並ぶだけで、正門前の広場や庭園ほどの華やかさはない。

 遅刻という事実は変わらないものの、クラウスは少し焦り始めていた。


 それからは特に会話もなく、沈黙の少し気まずい空気が流れる。

 この雰囲気をどうにかよくしようと、彼は違う話題で話しかけてみようとした。


「あっ、そういえば、君の職明書は……」


 そう言いかけて、やめる。

 誰もが自分の職明書に満足している訳ではない、彼女にとってそれは質問されたくないことかもしれない。

 向き直ると、視線の先には彼女が目的とする教員室へ続く入り口があった。


「……って、もう北玄関だ。この扉の先を真っ直ぐ行って、突き当りの左に教員室があるよ」

 

 うつむきながら歩いていた彼女は、それを聞いて顔を上げた。


「わ、本当ですね! どうもお世話になりました。感謝します」

「それほどでもないよ。助けになれたなら良かった。それじゃあ」

  

 礼をする彼女を横目に、クラウスは庭園の路を急いで戻った。



 かわいらしい子だった。礼儀正しくて、優秀なんだろう。愛嬌もあって、誰からも好かれるような人だ。


 それに比べて僕はどうだろうか。いつまでも同じ夢を見て、過去に囚われ続けている。

 そして、身の程知らずにも──英雄になりたいとさえ思い、未だに訓練を続けているほど諦めが悪い。


 いつか、区切りをつけなければならないのかもしれない。


 走りながら、今日の授業に思いを馳せる。一限目はモンスター学だった。二限目は──最悪なことに、決闘訓練だ。


 これを思い出した時点で、彼はやはりあの時帰っておけばと少し後悔していた。


 そう考えながら仕方なく教室へと向かうクラウスは、それはありえないことだと知りながらも、グランがいないことを心底願っていた。

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