第49話 「満月前夜/言葉にしない想い」
夜の空気は、少しだけ澄んでいた。
家の外に出ると、風がやわらかく頬を撫でる。
空には、ほぼ満ちた月。
明日には、きっと完全な満月になる。
みるくは縁側に座り、膝の上で眠たそうに丸くなるノアを撫でていた。
(……明日かぁ……)
“手をつないで、村まで行く”
それだけの約束なのに、胸の奥がそわそわする。
戸が、静かに開く音。
「……みるく」
振り返ると、リオンが立っていた。
昼間より少しラフな服装で、髪も少しだけ崩れている。
(……ずるい……)
こういう、家の中だけの姿。
「……眠れませんでした……?」
「……うん……ちょっと……」
リオンは一瞬迷ってから、隣に腰を下ろした。
距離は、こぶし一つ分ほど。
でももう、“遠い”とは感じなかった。
沈黙。
気まずさはない。
ただ、静かな夜の音があるだけ。
虫の声。
風に揺れる木の葉。
ノアの、小さな寝息。
「……不思議ですね……」
リオンが、ぽつりと言った。
「……なにが……?」
「……こんなに静かなのに……胸の中は……すごく……にぎやかです……」
みるくは、思わず小さく笑った。
「……それ……わたしも……」
同じだった。
心臓が、少し早くて。
でも苦しくはなくて。
むしろ、あたたかい。
ラテが、屋根の上からふわりと降りてくる。
「ふたりとも〜……いまね……“言わない選択”してるでしょ〜?」
「……ラテ……」
「うんうん。言えちゃうけど、言わない。だってね〜……“明日まで取っておきたい気持ち”ってやつ〜」
みるくは、胸に手を当てた。
(……ばれてる……)
リオンは、少し照れたように視線を落とす。
「……ラテ……そういうの……全部……聞こえるんですね……」
「えへへ〜。ラテはね〜、心が“ぎゅっ”てなる音がだいすきなの〜」
ラテは満足そうに、尻尾をゆらゆら揺らした。
———
しばらくして、ノアが小さく身じろぎする。
「……あ……起こしちゃったかな……」
みるくが言うと、ノアは目を開け、リオンの方を見た。
そして――
とことこ、と歩いていき、リオンの膝の上に、ちょこんと乗る。
「……ノア……」
リオンの声が、驚きと喜びで揺れる。
ノアは一度だけ、みるくの方を振り返り、それから安心したように目を閉じた。
みるくの胸が、じんわりと温かくなる。
(……よかった……)
リオンは、ノアをそっと撫でながら言った。
「……ノア……ちゃんと……わかってるんですね……」
「……うん……“ここ”が……安心できる場所だって……」
その言葉に、リオンは少し黙った。
そして、月を見上げる。
「……僕……この世界に来て……ずっと……探してるつもりでした……」
「……ノアちゃん……?」
「……はい……でも……」
一拍。
「……見つけていたのかもしれません……ずっと前に……」
みるくは、息を飲んだ。
(……それ……)
でも、あえて聞かなかった。
聞いてしまったら――
“明日”が、少し変わってしまいそうで。
ラテが、小さく頷く。
「うんうん〜。“気づいてたけど、確かめなかった気持ち”だね〜」
「……ラテ……今日は静かに……」
「は〜い……」
珍しく素直に、ラテは口を閉じた。
———
夜も更け、そろそろ中に入ろうか、という頃。
立ち上がろうとしたみるくの手に――
ふと、指先が触れた。
リオンの手。
一瞬。
でも、離れなかった。
ゆっくりと、指が絡む。
「……みるく……」
「……うん……」
手は、つながれたまま。
でもそれ以上は、何もしない。
言葉も、ない。
それで、十分だった。
ラテが、目を細めて呟く。
「……いい前夜だね〜……満月が、ちょっと嫉妬するくらい……」
みるくは、そっと笑う。
(……明日……)
何かが、変わる。
でもきっと――
“壊れる”変化じゃない。
“重なる”変化だ。
満月前夜。
言葉にしない想いが、静かに、確かに、ふたりの間で光っていた。




