第48話 「満月まで、あと二日/名前を呼ぶ距離」
朝の台所に、包丁の軽やかな音が響く。
みるくとリオンは、並んで立っていた。
肩と肩が、触れそうで触れない距離。
(……近い……けど……昨日より……平気……)
みるくは、玉ねぎを切りながら、ちらりと横を見る。
リオンは真剣な顔で鍋をかき混ぜていた。
袖を少しまくった腕。
火に照らされて、柔らかく見える横顔。
「……リオンさん……」
思わず、そう呼んでいた。
「……はい?」
振り向いた瞬間、視線がぶつかる。
近い。
思っていた以上に、近い。
「……あ……えっと……」
みるくは、慌てて目を逸らした。
(……呼んだだけで……こんなに……)
リオンも、少しだけ耳が赤い。
「……みるくさん」
「……な、なに……?」
「……名前……」
彼は、一拍置いてから言った。
「……“さん”……なくても……いいですよ……」
心臓が、どくん、と鳴る。
「……え……?」
「……嫌……でしたか……?」
不安そうな声。
みるくは、首をぶんぶん振った。
「……ち、ちがう……!……その……呼ばれ慣れてなくて……」
リオンは、少しだけ安心したように微笑む。
「……じゃあ……」
彼は、深呼吸して――
ゆっくり、確かめるように呼んだ。
「……みるく」
その一言で、世界が静かになる。
鍋の音も。
外の鳥の声も。
すべてが、遠くなる。
(……名前……だけ……)
「……は、はい……」
声が、少し裏返った。
ラテが、棚の上でごろりと転がる。
「わぁ〜……いまね……“距離が一段縮んだ音”したよ〜」
「ラテ……!」
「だって〜……心と心が、ちょっとくっついたもん〜」
リオンは、照れたように視線を落としながらも、ぽつりと言った。
「……僕も……呼んでもいいですか……?」
「……え……?」
「……みるく……僕のことも……」
みるくは、一瞬、言葉に詰まる。
でも――逃げたくなかった。
「……リオン……」
小さく、でもはっきり。
呼ばれたリオンは、目を見開いて――そして、柔らかく笑った。
「……はい」
それだけで、胸がいっぱいになる。
———
昼過ぎ。
ふたりは、家の縁側に並んで座っていた。
ノアが、みるくの膝の上で丸くなり、喉を鳴らす。
「……ノア……」
みるくが撫でると、ノアは安心したように目を細めた。
リオンは、その様子を見て、静かに言う。
「……不思議ですね……」
「……なにが……?」
「……ノアが……こんなふうに落ち着いてるの……」
みるくは、少し考えてから答えた。
「……たぶん……“居場所”って……感じてるんじゃないかな……」
リオンは、そっと頷く。
「……僕も……そう、思います……」
その言葉が、胸に残る。
———
夜。
布団を敷いたあと、みるくは少しだけ迷ってから声をかけた。
「……リオン……」
「……はい」
「……明日の“ひとつ”……決めても……いい……?」
リオンは、微笑んだ。
「……もちろん」
みるくは、ぎゅっと指を握りしめて言う。
「……明日は……手、つないで……村まで……行きたい……」
一瞬の沈黙。
そして――
「……はい」
即答だった。
「……喜んで」
ラテが、ぱたぱたと尻尾を振る。
「ふたりとも〜……“約束が未来になる音”してるよ〜」
満月まで、あと二日。
名前を呼ぶ距離は、もう――離れなかった。




