第32話 「朝の無防備/重なった目覚め」
朝の光は、思ったよりも早くやってきた。
障子越しに差し込むやわらかな光が、みるくのまぶたをくすぐる。
「……ん……」
寝返りを打とうとして、みるくはぴたりと動きを止めた。
(……あれ……)
いつもと違う。
聞こえる音が、ひとつ多い。
規則正しい、静かな呼吸。
壁の向こうから、すぐ近くで。
(……リオンさん……)
昨日から一緒に住んでいる。
分かっている。
分かっているのに……。
朝一番に意識すると、心臓が変な動きをする。
(……意識しちゃだめ……普通、普通……)
みるくは布団の中で、そっと深呼吸した。
そのとき。
……こつ。
何かがぶつかる、軽い音。
続いて。
「……っ!?」
壁の向こうから、リオンの声。
みるくは跳ね起きた。
「リ、リオンさん!?」
慌てて立ち上がり、まだ寝ぼけたまま襖に手をかける。
(だ、大丈夫かな……!?)
……がらっ。
勢いよく開けた、その瞬間。
どんっ。
「――っ!」
「――っ!?」
鈍い音と一緒に、視界がぐらりと揺れた。
気づいたときには……。
みるくは、リオンの胸に倒れ込んでいた。
リオンは後ろに尻もちをつき、そのまま受け止める形。
……近い。
ものすごく、近い。
みるくの額は、リオンの肩に。
リオンの手は、みるくの背中に。
息が、混ざる距離。
「…………」
「…………」
数秒間、完全に静止。
(……なにこの状況……)
みるくの頭が、真っ白になる。
リオンの鼓動が、はっきり伝わってくる。
早い。
自分と同じくらい。
「あ……あの……」
先に声を出したのは、リオンだった。
声が、少しだけ掠れている。
「……だ、大丈夫ですか……?」
「……だ……だいじょう……ぶ……です……」
声が裏返った。
その瞬間、みるくは自分の姿に気づく。
(……パジャマ……)
寝起き。
髪はぼさぼさ。
顔も、たぶん……ひどい。
「――っ!!」
みるくは一気に顔が熱くなり、慌てて離れようとする。
「す、すみません!! いきなり開けて!!」
だが。
足がもつれて、またバランスを崩す。
「わっ……!」
「――っ、危ない……!」
今度は、リオンがしっかり支えた。
結果。
また、近い。
さっきより、さらに近い。
みるくの視界いっぱいに、リオンの顔。
寝起きなのか、いつもより少し柔らかい表情。
前髪が、少し乱れている。
(……こんな顔……反則……)
リオンも、完全に固まっていた。
(……近い…………みるくさん……無防備すぎ……)
ラテの声が、絶妙なタイミングで響いた。
「おはよ〜……あれ〜?」
棚の上から、ラテが顔を出す。
「……ふたりとも……朝から……ぴったんこ?」
「ラテーーーッ!!」
「ち、ちがいますっ!!」
ほぼ同時に叫ぶ二人。
ノアはその横で、欠伸をしながらのんびり。
ようやく距離ができる。
みるくは顔を真っ赤にして俯いた。
「……ご、ごめんなさい……寝ぼけて……」
リオンも耳まで赤い。
「い、いえ……僕こそ……」
少し沈黙。
気まずいのに、嫌じゃない。
ラテが、にやにやしながら尻尾を揺らす。
「ふたりとも〜、今ね……心の音、さっきよりもっと大きいよ〜?」
「聞かなくていい!!」
「ほんとだもん〜」
リオンが、咳払いをしてから、少し照れたように言った。
「……でも……」
「……?」
「……朝、顔を見られるの……悪くないですね……」
「――っ!!」
みるくの頭が、完全に沸騰した。
台所から、朝の音がし始める。
お湯を沸かす音。
カップを置く音。
さっきの事故が、嘘みたいに、日常が戻ってくる。
(……でも……)
みるくは、胸に残った感覚をそっと抱えた。
(……同居って……こういう……“不意打ち”が……あるんだ……)
ラテが、満足そうにくるりと回る。
「ふふ〜。これね……“朝の無防備イベント”成功〜」
「成功じゃないっ!!」
でも……。
みるくは、少しだけ笑ってしまった。
同じ屋根の下。
同じ朝。
近すぎる距離。
恋には、まだ名前がないけれど……心は、確実に、追いつかなくなってきていた。




