第31話 「同じ屋根の下/近すぎる生活音」
夕方の風が、家の前の小さな風鈴を鳴らした。
からん、と軽い音がして……みるくは、家の扉の前で立ち尽くしていた。
(……ほんとに……ここに……一緒に住む……?)
小さな家。
部屋はふたつ。
台所と、共用の居間。
……今までずっと、ひとりで暮らしてきた場所。
「……みるくさん?」
後ろから、少し遠慮がちな声。
振り返ると、リオンが荷物を抱えて立っていた。
その足元では、ノアが興味深そうに家を見上げている。
「あ……うん……その……」
みるくは慌てて鍵を開けた。
「ど、どうぞ……!せ、狭いけど……!」
扉が開くと、夕焼けの光が部屋に差し込む。
リオンは一歩足を踏み入れ、きょろきょろと見回した。
「……落ち着く家ですね」
「え……?」
「静かで……あったかい」
その一言で、胸の奥がふわっとする。
荷物を置き終え、ふたりは居間に座った。
座る場所が、思ったより近かった。
畳一枚分もない距離。
膝と膝が、ぎりぎり触れないくらい。
(……ちかい……!)
みるくは、無意識に背筋を伸ばす。
リオンも、同じことを考えているのか、どこかそわそわしていた。
その沈黙を破ったのは……。
「みるく〜、ドキドキ音、すごいよ〜?」
ラテだった。
「ちょ、ラテ!!」
「だってね〜、ふたりとも心臓が“どくどくどくどく”って、競争してる〜」
「競争してないっ!!」
リオンが、困ったように笑う。
「……ラテは……正直ですね」
「えへへ〜。ラテ、うそつかないもん〜」
ノアはそんな空気を察したのか、ふたりの間にちょこんと座った。
……少しだけ、距離が離れる。
(……助かった……)
みるくは立ち上がり、台所へ向かった。
「……あ、あの……お茶、いれますね……!」
「ありがとうございます。手伝います」
「えっ!?」
気づいた時には、リオンがすぐ後ろに立っていた。
近い。
思ったより、ずっと。
背後から聞こえる呼吸。
衣擦れの音。
(……音……近すぎ……)
「……あ、あの……」
「すみません……近かったですね」
リオンは一歩下がるが、耳まで赤い。
「……慣れなくて」
ぽつり、と漏れた言葉。
みるくの胸が、きゅっと鳴る。
「……わたしも……」
それだけで、また空気が甘くなる。
ラテが、棚の上でごろりと転がった。
「ふたりとも〜、これね……“同居あるある・第一段階”だよ〜」
「第一段階!?」
「うん。“なにをするにも距離がちかすぎて、いちいち意識しちゃう期”〜」
「ラテ!!」
夜。
ランプの灯りが、部屋を柔らかく照らす。
ノアはすっかり落ち着き、丸くなって眠っていた。
みるくは布団を敷きながら、ちらっとリオンを見る。
「……あの……部屋……大丈夫……?」
「はい。十分です。むしろ……申し訳ないくらい」
「……そんな……」
一瞬、沈黙。
そして、みるくは思い切って言った。
「……その……夜、何かあったら……声、かけて……」
言った瞬間、後悔した。
(なに言ってるのわたし!?夜!? 声!?)
でもリオンは、真剣に頷いた。
「……はい。みるくさんも……何かあったら……」
その視線が、優しくて……心臓が、またうるさくなる。
布団に入ってからも、みるくはなかなか眠れなかった。
壁の向こうから、微かに聞こえる音。
リオンが、寝返りを打つ気配。
ノアの小さな寝息。
(……同じ家に……いるんだ……)
怖くはない。
むしろ、不思議と安心する。
ラテが、みるくの枕元に現れた。
「みるく〜」
「……なに……?」
「さみしくない?」
「……うん」
即答だった。
ラテは満足そうに笑う。
「そっか〜。じゃあね……今日は、いい一日だったね〜」
みるくは、そっと目を閉じる。
(……うん……)
同じ屋根の下。
近すぎる生活音。
まだ恋とは言えないけれど……確実に、距離は縮んでいた。
静かな夜が、ふたりと二匹を、そっと包み込む。




