第28話 光のノアと影の主
森の深層は、昼なのにまるで夜のようだった。
ひゅう、と細い風が吹き抜ける。
木々が軋む音が、生き物の息のように響く。
みるくとリオンとラテは、ノアの小さな足跡を辿りながら慎重に進んだ。
やがて……森が突然、開けた。
木々の隙間から、一筋の光が地面に落ちている。
「あそこ……!」
みるくが指さす先。
そこには、うずくまる小さな茶色の猫……ノアがいた。
「ノア……!」
リオンが走り出そうとした、その瞬間。
「まってリオン!」
ラテがリオンの足元へ飛び出し、両前足を広げて必死に止める。
「まだ近づいちゃだめっ!」
みるくもリオンの腕をつかんだ。
「どうして……?」
リオンが息を呑んだそのとき──
ノアの真正面に、もうひとつの“ノア”がいた。
透き通った白い毛並み。
淡い光でできたような小さな猫。
光のノア。
「な……に……?」
みるくは思わず息を呑んだ。
光のノアは少し首をかしげ、しゃらん……と鈴のような音を立てる。
うずくまっている本物のノアに、そっと鼻先を近づけた。
その背後には──
ゆらゆらと黒い影が脈動している。
かすかに人型のような、獣型のような……
しかし形は常に揺らぎ、定まらない。
影は揺れながら、ノアの“光の分身”から何かを吸い取るように脈動していた。
みるくは震える声を漏らした。
「な、なに……あれ……」
ラテはみるくの肩の上で、小さく震えていた。
「……あれが……“影のひと”の、本当の姿だよ……」
「影の……ひと……」
「ううん……もう“ひと”じゃない……。この森にずっと閉じ込められすぎて……形が消えちゃったんだと思う」
ラテの声はいつもより小さく、弱い。
「影のひとが求めてるのはね……“帰り道の光”。その光をノアちゃんが持ってたから……ずっと追ってたの」
「帰り道……?」
みるくの声は震えていた。
ラテは頷く。
「うん。影のひとはね……むかし、リオンと同じように“世界の外”から落ちてきたんだと思う」
「!!」
リオンの目が大きく開かれた。
「……そんな……僕と同じ?」
「でも、帰れなかった。だれにも見つけてもらえなくて、名前もなくして……そのまま“影”に溶けちゃったんだよ……」
みるくの胸がぎゅっと痛んだ。
(そんな……ひとりで……)
ラテは目を伏せ、小さく言った。
「その“帰り道の光”が……リオンと一緒に来たノアちゃんの中に、少しだけ残ってるの」
「だから……ノアに……」
「うん。“返して”ほしいの。そうしないと、影のひとはどこにも行けないから……」
光のノアは、本物のノアの頭にそっと触れた。
「にゃぁ……」
ノアは怯えた声でかすかに鳴く。
リオンはこらえきれず、一歩踏み出した。
「ノア!!」
「リオンさん!!」
みるくとラテが同時に腕をつかんだ。
「まだだめ!いま近づいたら、ノアちゃんの“光”まで影に吸われちゃうよ!!」
「……っ」
リオンの顔がくしゃりと歪む。
光のノアは、弱っている本物のノアにやさしく寄り添っていた。その背後の影は……ゆっくりと両者を包み込もうとしている。
まるで、“ふたりをひとつにして連れて行こう”
そんな意志を持っているかのように。
……このままじゃだめだ……」
みるくは唇を噛んだ。
(ノアちゃんが……消えちゃう……)
怖い。
影は近づくだけで心臓が凍るようで、あと一歩さえ踏み出せない。
でも……。
みるくは一歩、前に出た。
「み、みるくさん!?」
「みるく!!あぶないよ!!」
ラテが焦って羽ばたくように飛び跳ねる。
でもみるくは震える足で前を向いた。
「だって……ノアちゃん、すごく怖そうな顔してる……助けなきゃ……!」
光のノアがみるくの動きに気づいて振り返る。
その瞳は、悲しげに揺れていた。
みるくは思った。
(光のノアちゃんも……きっと苦しいんだ……だって、“離れた心”なんだもん……)
ノアの“力”と“本体”。
本来ひとつであるはずの心が、引き裂かれたまま。
影に導かれ、奪われそうになって。
「……ノアちゃんを……返して。リオンさんの……大切な子なんだから」
みるくがそう言ったとき……。
影が動いた。
黒い渦が大きく広がり、みるくへ伸びる。
「みるく!!」
「みるくーー!!」
リオンの怒号と、ラテの悲鳴。
みるくの視界が暗く染まりかけたその瞬間……。
小さな茶色の影が飛び出した。
「――――にゃああああ!!」
ノアだ。
本物のノアが、震える体でみるくの前に立ちはだかり、影へ威嚇していた。
みるくは息を呑んだ。
「ノアちゃん……?」
「にゃ……!」
ノアは震えている。
本当は怖くてたまらないはず。
それでも……“光のノア”の前ではなく、みるくとリオンの側に立った。
その瞬間。
光のノアの体が、かすかに揺れた。
影も……動きを止めた。
ラテが呟く。
「……ノアちゃん……自分で選んだんだ……“どっちの道に行きたいか”……」
影が、低く、低く唸るように揺らめいた。
光のノアはノアを見つめ……ゆっくり、ゆっくり……みるくとリオンの方へ近づいてきた。
まるで、「わたしも……戻りたい」
そう言っているかのように。
そして光のノアがノアに触れようとしたその瞬間、
影が吠えた。
「――――返セ」
黒い波が一気に押し寄せた。
リオンがみるくを抱き寄せ、叫ぶ。
「隠れて!!」
ノアと光のノアが重なり合い、
森が強い光に包まれた。




