第26話 森の異形/ノア追跡者
黒い影は、茂みの奥でじっとこちらをうかがっていた。
それは“生き物”と呼べるには、あまりにも不安定だった。
形が定まらず、煙のように揺れ、時に獣のような輪郭をつくり……次の瞬間には、まるで人のような影に変わる。
みるくは思わず息を呑む。
(な、に……これ……?)
リオンはみるくの前に立ち、そっと腕を広げる。
「みるくさん、下がって──」
「だめ〜!!」
ラテがみるくの肩にしがみつき、ふるんっと震えた声をあげた。
「これね……ただの魔物じゃないよ。“ノアちゃんの匂い”を追ってきた、森の異形……」
「異形……?」
リオンが言葉を繰り返す。
すると影は、まるで人の声を真似るような音を発した。
……ォ……ア……
ノア、と言ったように聞こえた。
みるくの背中に冷たいものが走る。
「よんでる……ノアちゃんを……?」
「うん……。でもね、ノアちゃんを好きなわけじゃない」
ラテの声が震える。
「ノアちゃんの“におい”の奥にある……もっと大きな力を、追ってるだけ」
影は形をうねらせ、こちらへ一歩にじり寄る。
みるくの足が震えた。
(やだ……怖い……どうしよう……)
逃げたい。
でも、逃げたら……きっとリオンが一人で戦おうとする。
そして、何かが壊れてしまう気がした。
みるくはぎゅっと唇を噛む。
(こわいけど……でも。リオンさんが……守ってくれたから……)
震える手を、リオンの袖に伸ばした。
「リオンさん……離れないで……」
リオンは驚いたあと、静かにみるくの手を握り返す。
「もちろん。……絶対に守る」
その瞬間。
ラテがぴくっと耳を立てた。
「みるく!ラテの言うこときいて!」
「う、うん!」
ラテはみるくの頬に前足をあて……ぱちん、と小さな火花のような光を放った。
「みるく、心で思って。“止まって”って。強く、願うだけでいいの!」
「と、止まって……?」
「うん! みるくならできるよ!」
ラテの声には不思議な強さがあった。
みるくは息を吸い、震える胸に手を当てる。
(とまって……! お願い……!)
目をぎゅっと閉じた瞬間──
……キィィィン……
空気が一気に張り詰める。
風が止まり、葉が落ちる音が途中で凍りつく。
影の揺らぎですら、空中で歪んだまま固まった。
「……っ!」
みるくは目を開けた。
世界が止まっていた。
ラテは胸を張り、えっへんと笑う。
「みるく〜! やっぱり〜♡ラテの“まもりだまの力”、みるくの心と相性いいんだもん!」
「わ、わたしが……?」
「うん! いまのは、みるくの力だよ!」
みるくは息を呑んだまま動けない。
リオンは驚きながらも、すぐに現状を理解する。
「みるくさん……すごい……これが、ラテとみるくさんの……力……」
時間が止まった影は、みるくたちに手出しできない。
「いまのうちに!離れよ〜!」
ラテの言葉に頷き、3人は一気に森の出口へと走った。
時間が流れ始めたのは、森を抜けてからだった。
みるくは膝に手をつき、ぜいぜいと息を吸う。
「はぁ……はぁ……ラテ……すごいの……?いまのって……」
「うん! すごいよ〜!でもね、みるくの“こわいけど、守りたい”って気持ちがあったから……止められたんだよ」
「私の……気持ち……」
リオンがそっとみるくの隣に膝をつく。
「本当に……ありがとう。みるくさんがいてくれなかったら……僕、どうなってたか……」
その声には嘘がない。
みるくの胸が、じんと熱くなる。
「リオンさん……」
ラテが二人を見上げ、ふわっと尻尾を振る。
「ふたりともね〜……きょうだけで、また“きらっ”って音、いっぱいしたよ♡」
「ラテぇぇぇ!!」
「きら……?」
リオンが顔を赤くして呟く。
みるくは耳まで真っ赤になって、必死に否定しようとするけれど……もう言葉が出てこなかった。
ノアの足跡は森の奥へ続いている。
そして、異形はまだそこにいる。
でも……。
「明日……また探しに行きましょう」
リオンがそっと手を差し出す。
みるくは迷わず、その手を取った。
「うん……いっしょに」
ぎゅっと繋がれた手から伝わる温もりが、恐怖も不安も少しだけ溶かしてくれる。
ラテはその肩に跳ね乗り、ほわっと笑った。
「だいじょうぶだよ〜♡みるくとリオンがいっしょなら……ノアちゃん、ちゃんと見つけられるよ」
その言葉に、みるくは小さく頷いた。
(こわい。でも……一緒なら、きっと……)
夜風がそっと吹き抜ける。
明日の森の奥には、ノアと……そしてまだ知らない“何か”が待っている。




