第24話 影の正体/呼ばれ続ける名の意味
夜の村はいつもより静かだった。
まるで、世界そのものが息を潜めているかのように。
みるく、リオン、そしてラテは、村外れの小道をそっと踏みしめて森へと向かっていた。
昨日から続く“冷たい風”──
そして、ラテが感じた“影のひと”の気配。
それは今も、森の奥からじわじわと広がっていた。
「……ラテ。今も、いる?」
「うん……。いるよ……ずっと前から……みるくたちのこと、見てたみたい。今日は……特に強い」
ラテの声はふだんの甘ったるい調子ではなく、震えていた。
みるくは知らず、リオンの袖をぎゅっと掴む。
リオンはその手を優しく包み返し、まっすぐ前を見た。
「大丈夫。僕がいます。……みるくさんも、ラテも絶対守る」
その声音は震えていなかった。
優しくて、強かった。
そこに、ひゅうう……と風。
木々が揺れ、それと同時に――
「……きたっ!」
ラテが叫ぶ。
時間が一瞬だけ、止まった。
みるくにはもう分かる。
ラテが“何か”を察知したときは、外の音も動きもすべて凍りつくのだ。
月明かりの下。
森の奥から、黒いもやのような影がゆらりと現れた。
みるくは息を呑む。
「……あれ、が……?」
影は形を持たない。
しかし“誰か”の輪郭だけが、ゆっくりと浮かび上がっていく。
ラテが小さく震えながら言った。
「……あのひと……。ノアちゃんを探してるの。ずっと……」
みるくがリオンを見上げる。
リオンの表情は強張り、しかしどこか覚悟を決めたようでもあった。
影がふわりと揺れ、声とも風ともつかない響きを漏らす。
『……ノア……どこ……?』
その声は、泣いているようで、苦しんでいるようでもあった。
みるくの背筋を冷たい何かが走る。
「り……リオンさん……。この影って……」
「うん。気づいたかもしれないけど……」
影が一歩、近づく。
風が、逆流するように巻き上がる。
「この影は……“ノアを探している人”なんじゃない。ノアを探し続けて、形になった“残りもの”だと思う。この世界に飛ばされるとき……ノアとはぐれた“感情”だけが、ここに残されたんだ」
みるくは震えた。
感情だけが形を持った……?
そんなことが、本当に?
(……ラテも……きっと……そうやって……)
胸がざわつく。
影の声が、今度ははっきりと聞こえた。
『……ノア……返して……返して……』
「返す……?」
みるくはつぶやき、次の瞬間、影が一気に近づく。
「っ!」
リオンがみるくを抱き寄せて庇った。
「みるくさん! 下がって!」
影はみるくではなく、リオンだけを見ていた。
その理由はすぐに分かる。
『……ノア……あなたの……一部……』
「一部……?」
みるくの心臓が跳ねる。
「リオンさん……どういう……」
リオンは静かに息を吸った。
「……僕は、ノアと一緒にいたとき……“ノアを守りたい”って強く願った瞬間に、光に飲まれたんだ。たぶんその願いが……ノアへの想いが……この世界に残った。それが影の正体なんだと思う」
影はゆらゆらと揺れ、まるで泣きつくようにリオンに伸びる。
『……ノア……寒がり……お腹すいて……泣いてる……さみしい……』
その声に、リオンの瞳がゆれる。
「……ノア……!」
影は続ける。
『……あの子を……一人にしたくない……』
そこで、みるくは気づく。
(この影……リオンの“願い”そのまま……)
ラテが小さく震えながら言った。
「みるく……あれはね……リオンの“心の一部”が、世界の外にこぼれ落ちて、形になったんだと思う」
「……リオンさんの……心……」
「うん。だからね……あれは“悪いものじゃない”んだよ……ただ……」
「ただ……?」
ラテの目が悲しげに細められる。
「ノアちゃんがいない世界で……壊れちゃいそうになってるの……」
みるくは息を呑む。
リオンが、一歩前へ出た。
「……ごめん。影……」
影はピタリと動きを止める。
『……りおん……?』
「ノアを……一緒に探そう。俺も……怖いんだ。ひとりで泣いてるんじゃないかって……だから……」
影のゆらぎが弱まる。
『……いっしょ……?』
リオンはうなずいた。
「みるくさんと、ラテと……みんなで探す。だから……もう、僕を呼ぶのはやめてほしい」
影は少しのあいだ沈黙したあと――
ふっと風に溶けるように薄くなり、
『……たの……む……』
最後にそう言い残して、消えた。
時間が、動き出した。
風が戻り、木々が音を立てた。
みるくはほっと胸を押さえ、リオンを見る。
「……リオンさん……大丈夫……?」
「うん。……少し怖かったけど」
そのとき、ラテがぽつりとつぶやいた。
「影さん、泣いてたね……。ノアちゃんのこと、ほんとうにだいすきなんだね……」
リオンの目が少しだけ潤む。
「……うん」
みるくはその手をそっと握った。
「……ノアちゃん、絶対見つかるよ。わたしたちなら……きっと」
リオンは驚いたあと、静かに微笑む。
「……ありがとう、みるくさん」
その笑顔は、ほんの少し寂しくて、でも温かかった。
森の奥で吹いた風は、さっきまでの冷たさを失っていた。




