07.大きな犬
屋敷の門が見えてきたとき、私はふと、門の脇にうずくまる白い塊に気がついた。
「あれ……?」
近づいてよく見ると、それは大きな犬だった。
ふわふわとした白い毛並み……いえ、泥と埃にまみれて、灰色の塊のようになっている。
「迷い犬……?」
馬車から降りてそっと手を伸ばすと、その子はピクリと耳を動かし、薄汚れた顔をこちらに向けた。
大きく、空色の瞳が私をじっと見つめる。その瞳には、不安と警戒が混じっていた。
でも、ほんの少しだけ――助けを求めるような色も見えた気がする。
「大丈夫よ、おいで……?」
視線を合わせてそっと声をかけると、小さく鼻を鳴らしながらも、ゆっくりと私の手に顔を擦りつけてきた。
ひどく怯えている様子もない。むしろ、どこか安心したように、しっぽを弱々しく振る。
かすかに震える身体から、わずかに草や土の匂いがした。
この子は、一体どれだけの間、こうしていたのだろう。
「……放っておけませんね」
「屋敷に連れ帰ってもいいかしら?」
隣で見ていたアメリアが、優しく微笑んでくれる。
「もちろんですよ」
「ありがとう! まずは綺麗にしてあげなくちゃ」
「おいで」と声をかけると、その子は頼るように私の後についてきた。
よろよろとしながらも、確かに足を踏み出す。
屋敷内の灯りが近づくにつれ、この子の瞳がかすかに輝きを取り戻していくような気がした。
「――わぁ、すごい汚れね」
浴場の床に座らせた犬は、長旅の疲れからか、おとなしく目を細めている。
時折、鼻先を少し動かして湯気の匂いを嗅いでいるのが可愛らしい。
使用人たちが用意してくれた湯桶にお湯を張り、私はこの子の身体にそっとお湯をかけた。
最初は少し驚いたように耳をピクリと動かしたものの、すぐに気持ちよさそうに目を細める。
流れ落ちる泥水。
茶色く濁った水が浴場の床を伝い流れていくたびに、白い毛並みが徐々に現れてくる。
「わ……あなた、本当はこんなに綺麗な毛をしていたのね」
優しく石鹸を泡立てて、毛の奥まで丁寧に洗ってあげる。
泡がふわふわになり、犬の姿がまるで大きな雪玉みたいになってくると、私は思わずくすっと笑った。
「ふふ、なんだか可愛い」
「イレーネ様、私どもがやりますのに……!」
「いいのよ、私も一緒にやりたいの!」
アメリアや使用人たちと一緒に、この子の身体を洗って、しっかり拭いて、風魔法で乾かして、毛を梳かして――。
その間、ずっとおとなしく身を委ねてくれていた。
時々、くすぐったいのかピクッと耳を揺らしたり、鼻を鳴らしたりするのが愛らしい。
アメリアが櫛を通すと、さらさらの毛並みが風になびくように揺れる。
最後にふわふわの毛並みを整えたら、目の前には見違えるほど美しくなった白い犬がいた。
「……すごい! ぴっかぴかになったわ!」
「わふっ!」
嬉しそうにふわふわのしっぽを振って、私の頬をぺろりと舐める。
改めて見ると、この子はかなり立派な体格をしている。
優雅な毛並みと、聡明そうな空色の瞳。
どことなく気品を感じさせる佇まい――。
もしかすると、どこかの貴族に飼われていたのかもしれない。人にも慣れているし。
「あなた、迷子になったの? それとも……」
「くぅん……」
そこで私は言葉を詰まらせた。
首輪はしていないし、もしかしたら捨てられてしまったのかもしれない。
「あなたは私と同じなのね」
「くぅん……」
「……うちの子になる?」
すると一瞬、驚いたように耳を立てた。
けれどすぐに瞳を輝かせ、しっぽをぶんぶん振り始める。
「わふっ!」
私の問いの意味がわかるみたいに、嬉しそうに跳ねると、その勢いのまま、私の胸に前足を乗せてきた。
「わっ! 待って、あなた大きすぎて、倒れちゃう!」
「あらあら、イレーネ様。大丈夫ですか!?」
「わふ! わふっ!」
私はその大きな頭を撫で、ふわふわの毛に顔を埋めた。
やわらかく、温かい――。
まるで大きな毛布に包まれているようだ。
「ふふっ……なんだか、家族が増えたみたい」
この子の名前を、考えてあげなくちゃね。