06.お出かけ
馬車が街に近づくにつれ、活気のあるざわめきが聞こえてきた。
露店が立ち並び、色とりどりの果物や布、工芸品がずらりと並んでいる。
「街に出るなんて久しぶりだわ……」
私は馬車から降り、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
パンが焼ける香ばしい匂い、香辛料の異国めいた香り、通りを駆け抜ける子供たちの楽しげな笑い声。
すべてが新鮮で、まるで夢の中にいるような気分だった。
「イレーネ様、何か召し上がりますか?」
「ええ、せっかくだし、街の美味しいものを堪能したいわ!」
私は興奮気味に答えると、アメリアが微笑んで応える。
「へい、お嬢さんたち! ジビエの串焼きはどうだい!」
いい匂いに誘われて近づいた露店では、肉厚の鹿肉をじっくり炭火で焼き、スパイスをたっぷりまぶした串焼きが目の前に並ぶ。
香ばしい匂いが鼻をくすぐり、私のお腹がぐぅっと鳴った。
「これは美味しそうね……!」
「うちの串焼きは間違いねぇぜ! 塩とスパイスの配合にはこだわってるんだ。ほら、一本どうだ?」
「じゃあ、いただくわ」
私は焼き立ての串を受け取り、熱々のお肉を一口頬張った。
じゅわっと肉汁が口の中に広がり、スパイスの香りが舌の上で踊る。
「美味しい~!」
頬をほころばせながら、私はもう一口食べた。
噛みしめるたびに、肉の旨味が口いっぱいに広がる。外は香ばしく、中は驚くほどやわらかい。
夢中になって食べていると、アメリアがくすくすと微笑んだ。
「まぁ、イレーネ様。いい食べっぷりですね」
「こんなふうに焼き立ての串にかじりつけるなんて、幸せだわ!」
私が顔をほころばせてそう言うと、アメリアも微笑みながら頷いてくれた。
「お嬢さん、お酒はどうだい?」
そんな私を見て、串焼きの隣の屋台で、陽気な店主が声をかけてきた。
大きな樽から琥珀色のお酒を注ぎ、木製のカップを差し出してくれる。
「お酒……?」
「地元で採れた果実を使った特製酒だ。美味いぞ~!」
「へぇ……それじゃあ、一杯いただこうかしら」
お酒なんて飲み慣れていないけど……これからは好きに生きていいのよね。
飲んでみたい……!
そう思い、ドキドキしながらカップを受け取り、そっと口をつける。
フルーティーな香りと、喉を通る心地よい熱が広がる。
「……美味しい」
果実酒のまろやかな甘みが広がり、ほのかに感じる酸味がとても美味しい。
「そうだろう! でも飲みすぎには気をつけな!」
「ふふ、ありがとう。ねぇアメリア。旦那様は、お酒は好きかしら?」
「ええ、嗜む程度には飲まれますが」
アルノルト様が静かに酒杯を傾ける姿を想像する。
無口な彼が、ゆっくりとお酒を味わうところを見てみたい――なんて思ってしまうのは変かしら?
「それじゃあ、このお酒を旦那様のお土産に買っていってもいい?」
「きっと喜びますよ」
にこりと、優しく微笑んで頷いてくれるアメリア。
私には、父が持たせてくれた少しの銀貨がある。こんなに素敵なドレスを用意してくれたアルノルト様へ、ほんの小さなお礼。
楽しい気持ちになりながら、私はアメリアと一緒に市場の喧騒を満喫した。
*
市場を目いっぱい楽しんで、そろそろ帰ろうかと、馬車に乗り込もうとしたとき。
「うわぁぁん!」
ふと、通りの向こうから、子供の泣き声が聞こえた。
見ると小さな男の子が転んで膝を擦りむいている。兄らしき少年が慌てて駆け寄るも、どうしたらいいのかわからない様子だった。
「イレーネ様……!」
アメリアに呼び止められたけど、私は悩む間もなく足を向け、男の子の前にしゃがみ込む。
「大丈夫?」
「いたい……!」
「見せて。ちょっとだけ、我慢できる?」
男の子は涙目のまま、小さく頷いた。
私はそっと彼の膝に手をかざし、目を閉じる。
〝命の灯火よ、この子の傷を癒したまえ――〟
次の瞬間、胸元にある薔薇の痣が、ふわりと光を放った。
やがて、その光は揺らめく炎となり、私の指先を通じて男の子の傷へと流れ込んでいく。
炎は優しく、温かく傷を包み込む。
男の子の表情が、驚きと戸惑いに変わる。
傷口の痛みが、じんわりと消えていくのを感じたのだろう。
兄と思しき少年も目を丸くして、じっとその様子を見守っていた。
そして、炎が消えると男の子の傷も綺麗に治っていた。
薄く赤くなっていた肌も、まるで最初から傷などなかったかのように、滑らかになっている。
「よかった。もう痛くない?」
「うん……、おねえちゃんが、なおしてくれたの?」
自分の膝を見て、男の子は驚きに目を見開いた。
その兄も、信じられないといった顔で私を見つめる。
「お姉さん……一体……?」
「ふふ、ただの通りすがりよ」
私はしーっとするように人差し指を立てて自分の口に当て、彼らにウインクをして立ち上がる。
「もう転ばないようにね」
「うん、ありがとう、おねえちゃん!」
男の子が両手をぶんぶんと振ってくれる。
その横で兄の少年も、まだ驚きを隠せないまま、それでも深々と頭を下げていた。
「本当にありがとうございました」
私は小さく微笑みながら、その場をあとにする。
するとアメリアがそっと寄り添い、低く囁いた。
「……イレーネ様の力を、誰かが見ていたかもしれませんよ」
そんなに驚いてはいないところを見ると、彼女もこの力を知っているようだ。
つまり、アルノルト様も当然知っているのだろう。
でも、私の力を金儲けに使う気はないのかしら。
「大丈夫よ。あの子たちは誰かに言ったりしないだろうし」
「ですが、その力を使うと――」
「いいのよ、アメリア」
心配そうに私を見つめるアメリアに、私はそっと微笑む。
「どうせもうすぐ死ぬのだから、誰かの力になりたいの」
「イレーネ様……」
私は聖女でもなければ英雄でもなんでもないけれど。
でも、きっとあの兄弟にとっては、小さなヒーローになれたかもしれない。
そんなくすぐったい気持ちで笑って、今度こそアメリアと一緒に馬車に乗り込んだ。