24.生きていく
甘やかな余韻の中で、俺は幸せに浸りながら眠りについていた。
胸の中には、愛おしいイレーネがいる。
彼女のかすかな呼吸のリズムと、布越しに伝わる体温。すべてがあまりにも優しくて、心の奥まで満たされていた。
鳥たちのさえずり、カーテン越しの光……朝の気配が静かに近づいていたが、俺は気づかないふりをした。
起きたくない。どうか、この幸せな時間が永遠に続けばいい……そう願った。
しかし、俺の呪いは容赦なく身体の中で暴れ出す。
突然、ずしん――と重く響く痛み。骨の芯まで突き刺すような熱が、暴力的に身体の内側を這いずり回った。
「う……っ」
たまらず呻いた声が、喉から漏れた。
身体の芯が軋む。押し寄せる闇の力が、内側から俺を裂こうとしている。
まるで俺がようやく手に入れた〝生きたい〟と願う感情に、呪いが嫉妬しているようだった。
「……旦那様?」
イレーネの声が聞こえる。しかし、顔を上げる余裕すらない。
胸を押さえ、必死で歯を食いしばる。
「どうしたのですか!?」
焦りの滲む、イレーネの声。
……見せたくなかった。こんな醜い姿、見せるつもりはなかったのに。
「呪いが……俺の身体を蝕んでいる」
吐き出すように言った瞬間、視界の端で黒い霧が立ち上るのが見えた。
ああ……父と同じだ。俺も、失敗したのか――。
俺は、こんなにも彼女を愛しているというのに。
禁忌とされている魔術への代償――死をもって受け入れなければならない覚悟は、できている。
だが俺は……もっと彼女と、生きたかった。
ようやく出会えた大切な人。
運命は、あまりに残酷だ。
俺か彼女、どちらかしか生き残る道はないのだから――。
しかし……たとえ俺が死んでも、彼女だけは……彼女だけは、どうか……助けてくれ――。
強くそう願ったとき、イレーネが強く、優しく、言った。
「――もう大丈夫です。私が、必ず助けますから……!」
しかし、その言葉が告げたのは、俺が最も恐れていたことだった。
「何をする気だ……」
「命の灯火よ、彼の痛みを燃やしたまえ」
彼女は胸に手を当て、力を灯し始めた。
――やめろ。
彼女の胸の痣から薔薇の形をした炎が浮かび上がる。
なんて美しい炎だろう。彼女は、その力すらも美しいのか。
だが、それは彼女の寿命を削る力だ。使えば、命が尽きる。君の曾祖母と、同じように――。
「やめろ……! 君が死んでしまう!」
必死で彼女を制止する。しかし、イレーネは聞かない。
「どうせ短い命です。私はとても素敵な時間をいただきました。最後に、旦那様にお礼がしたいのです」
俺の静止を、やわらかく拒む声。
笑って、泣きながら、彼女は俺の死を請け負おうとしている。
「だめ、だ……!」
必死に手を伸ばす。けれど、彼女はもう決めていた。
「これが私の、最後のやりたいことです」
「――っ」
その言葉に、胸が締めつけられる。
俺には、その気持ちが痛いほどわかってしまったのだ。
俺も……たとえ自分を犠牲にしてでも、彼女だけでも救いたいと願った。
きっと立場が逆ならば、俺も同じことをしただろう。
しかし、だめだ――、だめなんだ。君が死んでは、意味がない。
「旦那様、今までありがとうございました。私はあなたに嫁げて、とても幸せでした」
イレーネから告げられたその感謝の言葉に、俺は息を呑んだ。
そんなに幸せそうに、嬉しそうに言われて……。彼女の想いが痛いほど伝わってきて。
それでも俺は、彼女にだけは生きていてほしいと願うべきなのか。彼女にこれまでの俺と同じ思いをさせることが、正しいのか――。
葛藤する俺に、唇が重ねられた。
――あたたかい。
涙が頬に触れる。彼女の涙だ。
幸せそうに微笑んで、静かにその命を燃やしていくイレーネ。
しかし、それでも。
……それでも、俺は。彼女に生きていてほしい。彼女が思うのと同じくらい、俺も。
「やめてくれ、イレーネ……お願いだ……!」
泣き声のような叫び声が喉を突いて出た。
だが、薔薇の炎は、ただ静かに俺の胸へと消えていく。
俺の腕の中で、彼女の命が音もなくこぼれ落ちていく。
ようやく見つけた光が――また、遠くへ行ってしまう。
これは、彼女を置いて逝こうとした俺への、罰なのか――。
イレーネ――。
しかし光が弾けた瞬間、俺の中の何かが確かに変わった。
それはたとえるなら、何十年も凍りついていた血が、ようやく流れ出すような感覚だった。
心臓が音を立てて、生きるという営みを思い出していく。
俺の時間が、ようやく動き出したのだ。
そして。目の前にいる彼女の心臓もまた、ドクンと脈を打つのがわかった。
「どうして……私は、生きてるの?」
戸惑っているイレーネの胸元に、あの薔薇の痣はない。しかし、彼女は確かに生きている。
まるで夢かと思えるようなそんな現実に、俺は思わず笑ってしまう。
呪いが、解けたのだ。
そう、彼女の一族にもまた、長く理不尽な呪いに縛られていた。あれは、まぎれもなく、呪いだった。
誰がいつ、彼女の一族に呪いをかけたのか。それはわからないが、俺の呪いも、彼女の呪いも――あの呪縛が、今すべて消えた。
信じられない思いだが、確かに奇跡が起きたのだ。
俺たちはただ生き延びたわけではない。どちらも犠牲になっていない。
〝真実の愛〟が、呪いを打ち破った。
魔術は、理屈ではない。
ただ一つ、俺とイレーネの想いが、長い呪いの鎖を砕いた。
そのことが、たまらなく嬉しい。
これから俺は、イレーネとともに時を重ねられる。心から愛する人と、一緒に老いていける。
そんな当たり前の未来が、こんなに尊いものだと、今やっと知った。
「……この力は、旦那様の呪いを解くためにあったのですね」
俺の首に腕を回し、ぎゅっと抱きつくと、イレーネはそっと微笑んだ。
その笑顔を、これから何十年と見ていける。
――ああ、本当に。
一つ一つの小さなことが、たまらなく嬉しい。
俺はこれから、彼女とやりたいことがたくさんある。
そして、彼女がやりたいことも、たくさん叶えてやれる。
生きている。生きていける。命がある。時間がある――。
それだけで、なんだってできるのだから。
明るい未来が、俺たちには待っている。
お読みいただきありがとうございます。
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『幼女になったら喧嘩ばかりの騎士団長が溺愛してきた。とりあえずおやつ食べます!』
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