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16.最後の灯火

 朝の光が窓から差し込む頃、私はアルノルト様の腕の中で目を覚ました。

 彼の温もりがまだ肌に残っていて、まるで夢の続きにいるような錯覚を覚える。

 けれど、胸の痣は昨日より更に淡くなっていた。この炎は、日々着実に私の命を燃やしている。


 もう、あとどれほどの時間が残されているのだろう――。


 彼の胸に顔を埋めながら、そっと目を閉じ、祈る。


 たとえこの命が尽きるとしても――。

 たとえ、もう子供を産む時間が残されていないとしても――。


 私の魂は、この一夜を永遠に忘れない。

 そして、彼が私を愛してくれたことも――。


 この胸の奥に、消えない熱を刻みながら。


 けれど、そんな甘い余韻に浸る間もなく、アルノルト様が突然苦しみ始めた。


「う……っ」

「……旦那様?」


 その苦しそうなうめき声に、私はすぐに顔を上げる。


「どうしたのですか!?」


 彼は胸を押さえ、顔を歪めて苦しみを耐えようとしていた。

 額には冷ややかな汗が滲み、普段の端整な顔が苦痛に歪んでいる。


「呪いが……俺の身体を蝕んでいる」

「え!? どうして……」


 押さえている彼の胸元を見ると、そこから黒い霧のようなものが立ち上がり、みるみるうちに広がっていくのがわかった。

 まるで彼を死へと誘うような禍々しい力が彼の身体を締めつけているのがわかる。


 なぜ、突然。

 アルノルト様は長命の呪いを受けているから、死にたくても死ねないはずなのに。


「……おかしいよな。あれだけ早く死にたいと思っていたのに……イレーネに出会って、俺は君ともっと生きたいと望んでしまった」

「旦那様……」


 掠れるような声で囁かれた言葉が、私の心に深く突き刺さる。アルノルト様の目が、苦しげな微笑みを浮かべながら私を見つめる。

 その瞳に宿るのは、痛みと……確かに存在する、私への想い。


 胸が締めつけられる。

 これは、呪いの反動なの――?


 禁忌とされる魔術のせいで、この呪いにかけられたアルノルト様。

 でも、過去に私の曾祖母が彼を救ったのなら――私にだってできるはず。


 大きな怪我や病気を治すには、それだけ多くの灯火を燃やす必要がある。

 でも、苦しんでいるアルノルト様を前に、このまま黙って見過ごすことはできない。


 私は決意した。この人を助けるためなら、なんだってできる。


 たとえ最後の灯火になろうと、私が――!


「もう大丈夫です。私が、必ず助けますから……!」

「何をする気だ……」

命の灯火(レーベンスフラム)よ、彼の痛みを燃やしたまえ」


 自分の胸に手を当て、命の灯火(レーベンスフラム)を燃やし始める。

 すると、左胸がぽっとあたたかくなり、薔薇の炎が現れた。その炎は、彼の痛みを燃やしてくれる。


「やめろ……! 君が死んでしまう!」

「どうせ短い命です。私はとても素敵な時間をいただきました。最後に、旦那様にお礼がしたいのです」

「だめ、だ……!」

「これが私の、最後のやりたいことです」

「……っ」


 彼の声が震えている。その瞳に恐怖が浮かんでいるのがわかる。

 その恐怖は、呪いの苦しみによるものではなく……私を失う恐怖なのかもしれない。

 最期にこんなに想われて、私はなんて幸せ者なのだろう。


 シュネーは悲しむかもしれないけれど、アメリアも、アルノルト様もいるから、きっと大丈夫。これからは彼が私の代わりにシュネーとたくさん遊んでくれるよね? だって私の旦那様は、とても優しい人だから。



「旦那様、今までありがとうございました。私はあなたに嫁げて、とても幸せでした」


 彼の瞳を見つめ、そっと唇を重ねる。

 アルノルト様の温もりが、伝わってくる。涙が頬を伝い、胸がいっぱいになる。

 愛する人と最期の瞬間を分かち合う――とても幸せな終わり方だわ。


 薔薇の花がゆっくりと消えていく。




「――え?」


 けれど。私の命が尽きることはなく、淡い光が私たちを包み込み、互いの力が溶け合うのを感じた。


「どうして……私は生きてるの?」

「……ハハ、ハハハ」


 光が消えたとき、アルノルト様の乾いた笑いが部屋に響いた。

 私の胸の痣も消えたけど、彼の苦痛も消えたのだろうか。


「旦那様が壊れた……?」

「呪いが解けた。俺の時間が動き出した」

「え?」


 アルノルト様の手が力強く私の頬に触れた。その手のひらは驚くほど熱く、震えていた。


「数十年ぶりに、身体に血が通っていくような感覚がする。自分でわかる。呪いが解けたんだ。俺の呪いも、君の呪い(・・)もな」

「え――っ」


 嘘……信じられない。

 まさか私の一族にかけられたこの力が、呪いによるものだったなんて――。


「……本当、ですか?」

「ああ、本当だ。俺はこの数十年、魔術について学んできた。もちろん、この呪いを解く方法も探ってきた」


 でも、呪いを解くには誰かを犠牲にする必要があると言っていたような……?

 まさか、自分を犠牲に?


「では、旦那様ご自身の力で呪いを解いたのですね?」

「それは少し違う。俺が犠牲にしたのは、君だ。イレーネ」

「……私?」


 アルノルト様の視線がまっすぐ私に注がれる。

 私を犠牲にしたと語る彼の顔には、確かな愛情が滲んでおり、なんとも言えない矛盾を感じる。


 でも、私は生きている。しかも呪いまで解けてしまったのは、一体どういうこと?


「俺の寿命を君に分けることができれば、君は長生きできる。だから昨夜、俺の寿命を君に注いだ」

「旦那様の寿命が、私に……?」


 なるほど。元々短命な私なら、寿命をもらって困るなんてことはない。


「そんな方法があったなら、なぜすぐに試してくださらなかったのですか?」

「言っただろう? 成功する保証がなかったんだ。成功には、〝大きな想い〟が必要だった」


 魔術には優れた技術や魔力が必要不可欠だけれど、〝人の想い〟は時として、それ以上の大きな力となる。正しい想いは、魔術を正しいほうへと導くのだ。もちろんその逆もあり得るけれど。


「それでも……試してみたのですか?」

「俺は君を心から愛した。そして、君もそうだった。俺たちの愛が、あの呪いに打ち勝ったんだ」

「愛が、呪いに勝った……」


 その言葉が、私にとてつもない喜びをもたらした。

 それにしても、アルノルト様は一体いつの間にそんなことをしたのだろう。

 ……昨夜の私は、それどころではなかった。


「とにかく、俺の寿命を君に分けることは成功した。俺たちの呪いも解けた」

「……では、私は旦那様の寿命をいただいたおかげで、花が散ったのに生きているのですか?」

「そうだろう。その代わり、俺はこれから老けるぞ」


 老けることを、とても嬉しそうに語るアルノルト様。

 その表情には、これまで長い時を生きながら、誰よりも時間を持て余してきた者の安堵が滲んでいる。


「……私も、おばあさんになれるのでしょうか」

「なるさ。君も俺も、一緒に歳老いる」

「一緒に?」

「ああ」


 私の胸が、あたたかさで満たされる。


 嬉しい。好きな人と一緒に歳を重ねていけることが、とても嬉しい。

 こんなに嬉しいことが起きるなんて――奇跡だわ。


 これでアルノルト様はこれから普通に歳を取ることができ、私ももっともっと彼と一緒に長生きすることができるのね。


 私は思わず、アルノルト様の首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。


「ありがとうございます、旦那様」


 彼の大きな手が、優しく私の背中を撫でる。


「ありがとうは、俺の台詞だ」


 この温もりも、この幸せも、もう決して失うことはない。

 ……いや、いつかそのときは訪れてしまうだろうけれど――そのときに向かって、私たちは一緒に歩むことができる。



「……この力は、旦那様の呪いを解くためにあったのですね」


 その言葉に、アルノルト様が初めて心の底から笑った気がする。



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