14.私の優しい旦那様
思えば最初からずっとわからなかったことだけど――。
「どうして旦那様は、私との結婚を受け入れたのですか?」
私の問いに、アルノルト様は少し目を伏せた。
「……実は俺は、かつてイレーネの……おそらく曾祖母に、救われているんだ」
「え? 曾祖母に?」
信じられない思いで聞き返すと、アルノルト様はゆっくりと頷いた。
「父の魔術で俺にこの呪いがかけられたとき、俺は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた。しかし、治癒の力を持つ女性によって、救われた」
「それが、私の曾祖母?」
「ああ。父は王宮魔術師で、この魔術は密かに行われたものだったが……その場に、部下の魔術師が一人だけいた」
遠い過去を思い出すように、アルノルト様は静かに語る。
「イレーネと同じ、シルバーピンクの髪をした女性。俺を救ってくれたとき、彼女の左胸の辺りから、小さな炎が現れた。君のその痣によく似た、薔薇の形をした炎だ」
そう言って、アルノルト様が私の胸もとに視線を向けた。
今日のドレスはデコルテが大きく開いたデザインで、薔薇の痣が見えていた。
髪で隠していたけれど……アルノルト様には見られていたのね。
「曾祖母は……もうとっくに亡くなっています。でも、だから私を妻に?」
「その女性は、その後姿を消してしまった……。もしかしたら、俺のせいで最後の灯火を使ってしまったのかもしれない」
アルノルト様は目を細め、静かに呟く。
「本人ではないが、その子孫である君に、せめて最後は贅沢をして、安らかに逝ってほしいと……そう思った。それが、俺なりの礼だと」
彼の声は穏やかだったけど、どこか苦しげな響きがあった。
「イレーネ、君は彼女にとてもよく似ているよ」
曾祖母を思い出しているのか、アルノルト様の表情が少しやわらかくなった。
きっと曾祖母が亡くなってからもずっとその子孫がいないか、探してくれていたのだろう。
「だが……」
少しの間を置いて、彼は静かに続けた。
「時々、思うんだ。もしかしたら、俺はあのとき死んでいればよかったんじゃないかと」
その言葉に、私は息を呑む。
胸がぎゅっと締めつけられて、涙がこみ上げてきそうだった。
「曾祖母を恨んだことも……あるのですか?」
「……否定はできない。俺のために、君の曾祖母が命を燃やすことはなかったと」
アルノルト様の視線が遠くを彷徨う。彼の瞳に映るのは、過去の苦しみと、決して消えない罪の意識。
長い年月をかけても、消えなかったその想いが、今も彼の心を締めつけているのだろう。
「だが、それでも今こうして君といる。それが、俺の答えなのかもしれないな」
「……」
嘘偽りなく答えるアルノルト様の瞳に、ふっと優しい光が宿る。
「君を妻にもらう条件として、君の父親には『必ず子を作れ』と言われた」
「……やっぱり」
「だが、子供は作らない」
「どうしてですか?」
私が問うと、アルノルト様は静かに目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げた。その瞳はまっすぐで、迷いがなかった。
「君の一族の運命は……俺が終わらせてやる」
彼の言葉は、皮肉に聞こえるはずだった。
けれど、それは驚くほどに優しい響きを持っていた。
――私の代で終わる。
アルノルト様が、私の一族の苦しみを終わらせてくれるのだ。
母が最期に言った言葉を思い出す――。
『産んでごめんね――』
あのときはわからなかったけど、今の私にはその意味がよくわかる。
もしこの想いが届くなら、私は母に『産んでくれてありがとう』と伝えるだろう。
心の奥に張り詰めていたものが、ふっと緩む。
彼はきっと、そのことだけは私を妻に迎えたときからずっと決めていたのだと思う。
私はアルノルト様の手をそっと握り、紫色に輝く瞳を見つめた。
「ありがとうございます。……私の優しい旦那様」
彼は少しだけ驚いたように瞬きをして、それから微かに微笑んだ。
その笑顔は、今にも泣いてしまうのではないかと思うほどの悲しみが含まれていた。
短命の私と、長命の彼――。
あまりにも違いすぎる人生を生きてきた私たちが出会ってしまったのは、運命なのだろうか?
馬車の揺れが心地よく、私の心の中に静かなあたたかさが広がっていく。
でも、一つだけ、間違いなく言えることがある。
私は、アルノルト様と出会えてよかった。