10.一生のお願いです
「――旦那様、私のお願いを聞いていただけますか?」
その日、私はアルノルト様の部屋を訪れ、思い切って口を開いた。
今の私に、怖いものなど何一つない。
どうせもうすぐ死ぬのだ。そう思えば、〝呪われた辺境伯様〟にだって、なんでも言える。
「……なんだ」
彼は書類から顔を上げ、無機質な声で返す。
冷えた紫色の瞳が、静かにこちらを見つめる。
広い机の上には、いくつもの書類が積まれていた。
「死ぬ前に、パーティーに行きたいのです。来週、王宮で開かれる舞踏会で、私をエスコートしてくださいませんか?」
「……パーティー、だと?」
アルノルト様の表情が、わかりやすく険しくなる。
彼が社交の場を苦手としていることは知っていた。だから、嫌がるとは思っていたけれど――私に折れる気はない。
「招待状はご覧になりましたか? シュテフェルド辺境伯として、顔を出したほうがいいと思います」
「断る。これまでも参加してこなかったが、問題はなかった。どうしても行きたいのなら、アメリアと行ってこい」
「妻のエスコートは、旦那様がするものです」
言い切ると、アルノルト様の目がわずかに細められた。
その視線は、まるで私の意図を探るかのように鋭い。
「……俺は行かない」
アルノルト様は、そう言って再び書類に視線を落とした。
ペンを取り、カリカリと紙の上を走らせる。
その顔はまるで無関心を装っているようだけど、どこか不器用な頑なさを感じた。
真面目に執務に励む彼は、世間で噂されているような怠惰で薄情な男ではない。
余命わずかな私に好きなことをさせてくれる、優しい人。
かと思えば、本当に好きなことばかりしている私を心配してくれる、あたたかい人。
彼にも何か秘密があるようだけど、こんなに優しくて素敵な方が、ずっと誤解され続けてきたなんて――。
「お願いします。死ぬ前に、広い会場で思い切り踊ってみたいのです!」
少しだけ感情を込め、彼の机に身を乗り出す。
アルノルト様は小さく息を吐き、ペンを置いた。
それでも黙ったまま、私のことを見つめる瞳には、確かに戸惑いが宿っていた。
「……」
「一生のお願いです!!」
言葉に熱を込め、じっと彼を見つめる。
すると彼は眉間を押さえ、わずかに肩を落とした。
「……はぁ」
深く息を吐き、しばし沈黙が流れた後。
「……わかった。その代わり一度踊ったらすぐに帰るぞ」
「ありがとうございます!」
根負けしたかのように頷くアルノルト様に、私は満面の笑みを向けた。
その瞬間、彼の目がかすかに揺らぎ、すぐに視線を逸らされた。
まるで私の笑顔を直視するのが恥ずかしいかのように。
……なんだか、可愛いかも。
そんなことを思いながら、私は早速、舞踏会の準備を始めることにした。
そうと決まれば、とびきりのドレスを用意しなくちゃ!