01.もうすぐ死ぬ運命の私
『イレーネ、おまえはもうすぐ死ぬ。その前に子供を産め』
十八歳の誕生日を迎えたその日。父であるブラフィン男爵に告げられたのは、そんな無慈悲な言葉だった。
これまで父に誕生日を祝われたことなんて一度もないけれど、まさか自分の命の終わりを宣告されるとは思ってもみなかった。
――ああ、やっぱり父は私のことを道具としてしか見ていなかったんだ。
そんな思いが、ふっと胸に広がる。
けれど、せめてもう少し優しい言い方をしてくれてもいいのに。
そうして私は、家族に見送られることもなく、ただ荷物のように馬車に押し込まれた。
まともな支度すら許されず、持たされたのは最低限の衣類と、わずかばかりの銀貨だけ。
そっと馬車の窓を押し開けると、見慣れた屋敷の門が遠ざかっていく。
誰も、見送りには来ていない。
それが何よりも、この家にとっての私の価値を物語っていた。
向かう先は、遥か遠くの辺境の地――。
〝呪われた辺境伯〟と呼ばれる男のもと。
「……ふぅ」
薄暗い馬車の中で、窓の外をぼんやりと眺める。
馬車は石畳を離れ、土の道を進んでいるのだろう。時々車輪が跳ねる衝撃が伝わり、そのたびに身体がわずかに揺れた。
父の話では、私はあと二、三年しか生きられないらしい。
突然余命宣告をされたわけだけど、私に驚きはあまりなかった。
私は長く生きられない。そんなこと、ずっと前からうすうす感じていたのだ。
母が亡くなったのは、私が三歳の頃。享年二十一。
母のことは朧げにしか覚えていないけれど、最期に私を抱きしめながら「産んでごめんね」と囁いた声だけは、今もはっきり耳に残っている。
あの頃はそれがどういう意味かはわからなかったけど、今なら痛いほどよくわかる。
私には、人にはない特別な力がある。母も私と同じ力を持っていた。
命の灯火――。
それは他者の傷や病を癒し、呪いすらも浄化する、類い稀な奇跡の力。
けれど、その代償はあまりに残酷だった。
私たち一族に代々伝わるその力は、生命を蝕む。
自分の寿命を燃やすことで他者を救う力なのだ。
母も、母の母も、そのまた母も、皆若くして命を落としている。
その事実を知ったとき、私は自分の運命を恐ろしく感じた。
だけど、それ以上に――私は自分の力を誇りに思った。
誰かの苦しみを癒せるのなら、それはとても素晴らしいことだと。そう信じていた。
けれど、それを金儲けの手段としてしか見ていない父のもとで、私はただ〝利用される道具〟にすぎなかった。
父は私の力を使って、貴族や裕福な商人たちから膨大な額の金銭を受け取っていた。
私が触れるだけで治る傷や病。彼らは涙を流しながら感謝し、父に大金を渡した。
そのたびに、私は父の顔を見た。彼の目には、ただ金しか映っていなかった。
そして、私の寿命が残り少ないと悟った父は、死ぬ前にこの力を受け継ぐ子を産ませようとしている。
私の意志など関係ない。生まれたときから決まっていた運命。
「……持ってあと二年というところかしら」
辺境の地へ向かう馬車の中、私はそっと胸元に手を当てた。左胸に刻まれた薔薇の痣を見つめて、小さく呟く。
この痣は生まれつきのもので、私が成長して力を使うにつれ、少しずつ花びらを落としてきた。今ではほとんど枯れかけ、あと数枚を残すのみ。
自分のことだもの。残された時間があとどれくらいなのか、なんとなくわかるわ。
私は母が父と出会ったときの年齢より、もっと若い頃からこの力を強制的に使わされてきた。
だからきっと、母よりも早く死ぬ。
この花びらがすべて散ったとき、私の命も尽きるのだろう。
生まれたときは燃えるように鮮やかだった赤い髪も、力を使うたびに色褪せていき、十八歳になった今では儚げなシルバーピンクへと変わり果てていた。
それでも父は、私が死んだ後も金儲けを続けるつもりだ。
同じ力を継ぐ子供を産ませることで、永遠に〝命の灯火〟を利用しようとしているのだから。
そんな父の思惑を噛みしめていると、馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて完全に止まった。
窓の外に目をやると、そこにはどこか寂れた雰囲気の漂う、古びた城のような屋敷がそびえ立っていた。
重厚な石造りの外壁は年月を感じさせるが、不思議と荒れ果てた印象はない。
むしろ、静謐で凛とした佇まいをしている。
冷たい霧が辺りを覆い、屋敷の輪郭をぼんやりと滲ませていた。
ここが私の嫁ぎ先――シュテフェルド家。
この地の領主、アルノルト辺境伯は王都では謎多き男として知られている。
彼はめったに公の場に姿を見せずに、ひっそりと辺境の地に引きこもっているため、実際に顔を見た者はほとんどいない。
「既に八十を超えているらしいわね……」
王都ではそんな噂が囁かれていた。
それどころか、彼は〝呪われた一族〟の末裔であり、人の生き血を啜って生き永らえているとも……。
もし、本当に八十を超えているなら――子供を作ることなんてできるのかしら?
それに、父が金に目がくらんで私を売ったのは明らかだけど、それならなぜもっと若くて確実に子供を作れる相手ではなく、〝呪われた辺境伯〟だったのか。
父が私の寿命のことを正直に話しているとも思えない。
単純に、私のような者をもらってくれる若い貴族がいなかったのかしら?
この力のことは公にはされていない。
父が母の力を利用して成り上がった成金男爵であることを考えれば、いくら莫大な金額を積まれたとしても、私を手放すとは思えないもの。
何か裏があるはず。
疑念を抱きながら、私はひんやりとした空気の中、一人でその地に降り立った。
足元の石畳は冷たく、しっとりと湿っている。空には厚い雲がかかり、辺りは昼間だというのに薄暗い。
ひと雨来そうだわ。
すると目の前に建つ屋敷の扉が静かに開かれ、中から一人の侍女が現れた。
「お待ちしておりました、イレーネ・ブラフィン様」
はきはきとした声で私を迎えてくれたのは、六十歳ほどの品のある老婦人だった。
年齢相応の皺が刻まれているものの、背筋はぴんと伸び、その立ち居振る舞いには一分の隙もない。
会釈をして、屋敷に足を踏み入れる。
視線を巡らせると、屋敷内も同様だった。
歴史を感じさせる古い造りにもかかわらず、隅々まで丁寧に手入れが行き届いており、家具や調度品にも埃一つ見当たらない。
使用人の数は多くないようだけれど、一人一人が洗練された動きを見せていた。
……思っていたよりもずっと、秩序が保たれている。
これが〝呪われた家〟の光景とは、とても思えないわ――。
「旦那様がお待ちです。こちらへどうぞ」
「はい」
侍女に促され、私は静かに歩みを進めた。目の前に現れたのは、威圧感すら覚えるほどの大きな扉。
「イレーネ様がお見えになりました」
「入れ」
中から響いてきた声は、八十を過ぎた老人のものとは思えない、低くよく通る威厳に満ちたものだった。