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壊れた祠と見えるオジサン

作者:



 視線を感じる。

 あの日からずっと。


(やっぱり、あの祠が……)


 崩れ落ちた祠を思い出し、まさか、と首を振る。

 そうして記憶を頭の外へと追い出して、


「ヒッ」


 たった今まで読んでいた本が血に濡れたように真っ赤で、べっとりしていて、思わず本を投げ捨てた。

 いや、本だけじゃない。机もだ。真っ赤な手形が側面にも引き出しにもべたべたとついている。


「……ッ!」


 ガタガタ、と窓が揺れる。

 窓は閉まっているし鍵だって掛かっているのに、カーテンが内側から風に吹かれたみたいに揺れていた。窓の外側か、それとも内側か、どちら側かはわからないけれどキィキィと爪の先でガラスを引っ掻くような音がする。


「……ひ、ぅ」


 耳を塞ぐ。小さくなる。考えたくない。何も見たくない。もういや。


「姉ちゃん、風呂どうす――……何やってんの?」

「あ……」


 部屋の扉を開けた弟が、怪訝そうにこちらを見る。椅子の上で丸くなって耳を塞いでいたらそうもなるだろう。

 気付けばカーテンは揺れるのをやめていたし、キィキィ音も消えていたし、机の上の手形も、壁に投げられた本のべっとりした赤い何かも消えている。


「最近おかしいぞ姉ちゃん。受験ノイローゼ?」

「……そう、かも」


 そう頷くと同時、壁にベチャベチャと赤い何かが出現し始めた。

 ハケで赤いペンキを適当に塗りつけるように壁が赤く染まって行き、けれど弟はそれに気付かず心配そうに見ているだけだ。

 そう、誰も気付かない。気付いてくれない。主張したってわかってくれない。

 最初はこの異常現象についてを訴えたが、誰も理解してくれなくて、ノイローゼと判断されて終わってしまった。

 今だって、言ってもどうせそう思われるだけだろう。


「俺先に風呂入るから、姉ちゃんも早めに勉強切り上げて入れよな!」

「うん」


 弟が扉を閉める。同時、室内に鳴り響く銅鑼の音。それだけならまだしも、キリキリという神経に響くような音も混じっている。

 耳を塞いでも振動として伝わってくる音が酷く不快で、気持ち悪くて、ベッドの下から聞こえるガリガリと爪で引っ掻くような音も椅子の下から聞こえてくる男の調子外れな歌声も、何もかもが精神を軋ませようとする。


「……どうして……」


 どうして、こんな事になってしまったんだろう。





 これが始まったのは、数日前。

 帰り道を少し外れたところにある、さびれた通り。そこにある祠。

 通る時には何となくお辞儀をしてこそいたけれど、誰も見向きもしなければお世話もしないような祠だった。祠ともわからないくらい苔むしている祠だった。

 そんな祠に、近所の子供達がぶつかった。


「うげー、きったね」

「何これ」

「壊したら怒られるぞー」

「壊してねーし!」


 子供達はそんな事を言いながらそそくさと立ち去った。

 祠は壊れていなかったが、少しだけ歪んでいるように見えた。

 だから、手を伸ばした。

 ずれた屋根や扉部分を少し戻そうとして手を伸ばして、触れて、動かそうとして。


「え」


 その瞬間、致命傷を負ったかのように祠がガシャンと崩れ落ちた。

 バランスを崩してしまったのかと慌てながら何とか組み立て直そうとするも、直らない。どころか手に持った破片が、湿気で固まった塩に少し力を入れた時みたいに、カシュンと崩れていってしまう。

 少し触れただけで、粉になってしまった。

 そんなに古いものだったのかと驚きつつ、祠が修繕不可能な程に壊れてしまったのを見て、どうすれば良いのかわからなくなった。

 咄嗟に近くに咲いていた名前も知らない雑草系の花を供えて、直せないどころか壊してごめんなさい、と手を合わせて立ち去った。

 変なばい菌があったら怖いから、帰ったらすぐにしっかりと手を洗った。

 その日は、それだけだった。


「……?」


 でもその日の夜には、もう何かが始まっていた。

 見上げれば黒い影があって、髪の毛みたいなものが垂れていて、何なのかよくわからなかった。


「っ!?」


 でもそれが人の形をしていると気付いて、家族の誰ともシルエットが一致しないと気付いて飛び起きた。誰も居なかった。


「ゆ、夢……」


 祠を壊してしまったという自責の念からあんな夢を見てしまったのだろう。

 その時はそう思ったものの、それ以降、自分にだけ見えるおかしな現象が起き始めた。





「どうしたら……」


 学校帰り、公園のベンチに腰掛け頭を抱える。

 家の中で起きるおかしな現象以外にも、困った事が発生していた。

 命の危機だ。

 何とか無傷で済んでいるけれど、それでも、命の危機が頻繁に襲って来ていた。

 ブレーキが利かなかったり、居眠り運転だったりの車が飛び込んで来た。駅で電車を待っていたら後ろに人がぶつかって来て落ちそうになった。工事中の建物を横切ったら上から鉄骨が落ちて来た。

 そんな、危機一髪があれ以降頻繁に起こっていた。

 一度なんて線路に落ちかけるどころか本当に落ちてしまった程だ。

 幸いにも電車が来るにはまだ時間があった為、気付いた他の人が腕を伸ばしてくれたし駅員さんも協力して引っ張り上げてくれたので無事にホームへと戻る事が出来たが、もしもの事があったら。

 ぶつかった人もちょっと談笑してたらぶつかってしまったようで本気で泣きながら謝って来たので、悪意は無かったのだろう。

 ただ、その人からではない、悪意のような殺意があったのかもしれないだけで。


「……ホームセンター、とか」


 それっぽい板とかを買って、図工の成績に自信は無いけどなんちゃって祠をハンドメイドというかお手製クラフトというか、そういうアレをしてごめんなさいをする。もうこれしかない。

 きっと他にもいっぱい良い手はあるんだろうけれど、寝ようとしても怪音が響く状態ではとても安眠出来なかった。お陰で数日間寝不足だ。

 家族には学校を休んだらと心配されたが、家に居ても自分にしか観測出来ない怪奇現象によって気が狂うので、せめて他の人の気配が多い場所が良い。

 もっとも学校への行き帰りで命の危機が三回くらい訪れる為、どこに行っても安心なんて出来ないけれど。


「こりゃあ随分なモンに関わったなあ、お嬢さん」

「え」


 顔を上げたら、オジサンが居た。四十代前半くらいの見知らぬ人だ。

 伸ばしっぱなしらしいボサボサの髪を首の後ろで乱雑に括っているが、散髪に行っていないのか前髪が酷く邪魔臭そう。顎には不精髭が生えているし、着ている服だって甚兵衛だか作務衣だか、といったもの。

 正直言ってお酒の瓶を手に持っていても不思議じゃないタイプの雰囲気が滲み出捲っている胡散臭い見た目だったが、


(視線、が)


 最初、こちらを見ていなかった。その周囲、輪郭を見るような目をしていた。こちらがオジサンに目を向けた事で、ようやく目が合った、といった様子だった。

 じゃあ、見えているのか。今悩まされている、正体不明の何かが。


「……オジサン、何かわかるんですか?」

「祠関係。何かヤバい雰囲気のヤツに狙われてる。直接的に首を絞めたりって感じでは無いけどな」

「――!」


 わかるのか。わかる人なのか。

 じゃあ、何とかも出来る人なんじゃないのか。

 そう期待してオジサンを見れば、オジサンはにんまりと目を細め、指を丸めた。


「オジサン、お仕事でコレやってんの。助けて欲しいんなら助けるが、勿論しっかり有料だぜ」

「おいくらですか」

「んー」


 どう言えば良いかなあ、とオジサンは目を細める。


「オジサンが何かしてやろうってすると、オジサンにも命の危険があるのはおわかり?」

「……はい」

「ついでに言うと、中途半端でやめるとお嬢さんにも被害が出る。ストーカー相手に喧嘩売って取っ組み合いして、なのに相手を確保も改心もさせずにサヨナラしたら過激な行動に出るのは目に見えてるだろ?」


 わかりやすい説明に絶句した。確かに、中途半端な手出しは怒らせるだけに終わり、逆に悪化を招くだろう。


「しかし、オジサンは高い。自他共に認めるゲバオジサンは命懸けには相応の代金を要求するよ。学割とかやってないからね」

「ぜ、銭ゲバ……」

「命懸けだもん」


 へらへらと呑気な顔でオジサンは笑う。

 それだけ見るとやっぱり詐欺なのではと思うのだが、先程からベンチにべたべたと増えていっている手形を、順番に、確かに目で追っている様子から、見えているのは本当なのが窺える。

 藁にも縋りたい気分の中で蜘蛛の糸が垂らされたなら、飛びつくのが人間だ。


「……ローンって可能です?」

「お嬢さんに用意出来る限界額程度じゃ無~理♡」


 人差し指と人差し指でバッテン作って愛嬌たっぷりに言われた。この野郎。なら何で話しかけた。


「お金以外の、例えば一緒に居てくれる人とかをね? 探してるんだけどさぁ」


 細められた目がニッコリと笑っている。つまり、


「肉体労働?」

「まあ、広義的には?」

「エロ方面とか……」

「やりたい?」

「いいえ」

「やりたくないならやらなくて良いよぉ」


 へらへらした笑みでさらっとそう言われた。

 そして今の会話で、何となくわかった。つまりこういったゴーストバスターとかゴーストスイーパー的な業務の助手が欲しい、という事だろう。

 そういった能力があるかはともかくとして、今回こんな事になってしまった以上、こういった世界があるという事は理解している。理解したくなくとも理解してしまっている。

 色々と説明する手間を考えれば、確かに人材としては有用だ。


「……わかりました」

「お?」


 もう少し悩むと思っていたのか、オジサンは意外そうな声を出した。


「やれる範囲にはなりますけど」


 けれど今この瞬間も圧と奇怪な現象を目の当たりにしている身としては、他に道なんてどこにも無い。


「何でもします」


 だから、そう言った。

 言い切った。


「……そうか」


 オジサンは静かに頷き、屈みこんで目線の高さを合わせ、


「っ!?」


 ガッと掴み掛かるように顎を掴まれた。


「、ひ」


 オジサンの、口が。

 ミシリという音が聞こえたかと思えば、目の前で、オジサンの口が耳の端までグバリと裂けた。

 口の中には歯が無くて、舌も無くて、赤色も無くて、ただひたすらに黒色と、影で出来た立体的な複数の手が喉奥からうぞうぞと蠢いているのが見える。


「よく ぞ 自分か  ら 言って く れた  ね」


 その日彼女は失踪し、二度と帰らないままだった。





 女子高生

 入りたい大学があったので勉強を頑張ってた高校三年生。祠を直そうとしたが崩壊してしまった上、その後酷い目に遭いまくった。

 まるで退魔士みたいな事を言うオジサンにまんまと騙され、あちら側へ連れて行かれた。


 オジサン

 胡散臭いが能力はホンモノなオジサン。そう、間違いなくホンモノだった。

 散々怖がらせてたのも、自分から応じてもらう為の布石でしかない。だから命の危機は無かった。無理矢理連れて行くのは可哀想だけど、自分から言ってくれたなら良いよね。


 祠

 土地神が昔々に封印されたもの。人間に惚れがちだった。でも人間を連れて行くのは可哀想なので、村で幸せに暮らせるようにしてあげてた。

 最初に惚れた時は、ずっとお天気にしてあげた。怖がられたし、社の前で「自分の命を捧げるから雨を降らせて」とよくわからない事を言って自殺されてしまった。

 次に惚れた時は、ずっと雨にしてあげた。凄い罵倒されたし、呼ばれた術師によって祠へと封じられた。悲しい。

 そして三度目、祠を壊して自由にしてくれた子に惚れた。でも今まで気遣いから攫ったりせず人間世界で楽しく生きられるようにしてあげたのに散々拒絶されまくった実績があった為、もう連れて行っちゃおうかな、となった。

 でも無理矢理連れて行くのは可哀想なので、自分からお願いしてくれるようにした。うんうん、お願い叶えてあげるからね。



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