神様と茶番
何も見えない暗闇を闇雲に走る。走らなければ殺される。逃げなければ。そう思う一心で走っていると暗闇から手が伸びてくる。目の前からいきなり出て来た手は私の首を勢いよく掴む。押し倒されるように後ろに倒れると、相手は私に馬乗りになり、どんどん力を込める。首が絞まる度に小さく呻くが力を弱める様子はない。相手の手首を掴んで離そうとするも相手は男性で女の私が力で叶うはずもなかった。
「ぐっ、……な、んで」
問いかけても相手は答えない。相手──林くんはいつもと変わらない表情で私の首を絞める。黙ったまま何も言わず、ただ、淡々と。
──パンッ。
手を叩く音が聞こえたと思ったら今まで暗闇だった空間が真っ白になり、私に馬乗りになっているはずだった林くんの姿は消えていた。
今まで吸えなかった空気がいきなり吸えるようになり思わず咳き込む。ある程度、時間が経って咳が落ち着いてきたので冷静になる。
これは、夢だ。夢だから場面がいきなり変わったんだ。夢を見ていることに気付いた途端、後悔をした。
もう少し早く気付いていれば林くんに一発だけでも殴ったのに。夢だと分かったらコントロールできるんだから男の林くん相手でも勝てるはず。……こういうのなんて言うんだっけ。あ、そうそう明晰夢だ。
「無理だと思いますよ」
「あ、神様」
後ろから声が聞こえ、振り向けば真っ白のコートを着た女性が立っていた。相変わらず目は見えなかったが、大きい袖をひらひらと振り口角が上がって私を歓迎しているようだった。
「思考を読まなくても握り拳を見つめている姿を見れば考えている事はわかりますからね」
何でわかったのかと聞く前に神様が教えてくれた。バレバレの思考に恥ずかしくなり誤魔化すように笑っといた。
「本当は昨日、会いに行こうと思ったのですが、慣れない事続きで疲れているかと思い、我慢したんですよ」
「お気遣いありがとうございます」
「撫でますか?」
ドヤァと言わんばかりに胸を張る神様にお礼を言えば、少女の姿になり頭を突き出してくる。聞いてはいるが、撫でるのは決定事項みたいなので撫でながら再度お礼を言う。
「昨日、初めて黒いもやもやを見ました」
「その正体を話そうかと思い、来ました」
私から離れ大人の姿に戻った神様は手を叩く。今まで何もなかった空間に学校の机と椅子、教卓、黒板が現れた。大人になってから一切見なかった物たちに懐かしい気持ちになる。ふと視線を下げると自分の服装も変わっており、当時着ていた制服姿だった。
「今から私の事は先生と呼ぶように」
「先生は形から入るタイプですか?」
「ええ。形から入るタイプです。あなたも気持ちがわかるのでは?」
そう言われて使っていなかったストレッチマットと腹筋ローラーが思い浮かんだ。確かにわかる。
「先生は着替えないんですか?」
「そうですね。スーツ姿になりたかったところですが、このフードがないと視え過ぎるので。あとはあなたのためですね」
神様は教卓と黒板の間に移動し、「いつまで立っているのですか」と私に早く座るように促す。椅子に座り、引き出しの中をなんとなく覗くと当時使っていた教科書や筆記用具までもが入っていた。神様は思ったよりも本格派らしい。
「フードあるのが私のためってどういうことですか?」
「私と目が合うとあなたの脳が情報を処理できずにパーンッと」
「ひぇ……」
袖で手は見えなかったが、きっと袖の中は手で銃のポーズをしているのだろう。こめかみに当ててパーンの部分で撃つような仕草をしていた。
「私は忘れる事ができないのでこうやって全ての人間の人生を少しずつ視ているのですよ。そして本にするのですその人間の人生や国の様子を」
「神様は未来を知っているんじゃないんですか?」
「知っていますよ。でも、歪められたら変わるでしょう?」
神様と呼んだ事が気に入らなかったのかその後すぐに「私は先生です」と訂正された。
「さて、雑談はここまでにして、それでは授業を始めますよ」
「先生は黒板使うんですか?」
「使わないです」
なら何故出した。
* * * * * *
思ったよりも情報量が多くてぐったりする。頬にくっ付いている机の冷たさが気持ちいい。これは多分知恵熱だ。
神様との授業を忘れないうちにまとめる。
魔法は精霊の力を借りている。魔力はエネルギーであり、魔力を対価に精霊が力を貸している。そして精霊には相性がありレオの場合は氷属性だ。ただ、魔力を通常より多く消費すれば契約していない精霊から力を借りる事ができ、氷属性以外も使えるらしい。本当はもっと長くて難しい言い方だったが、魔力をガソリンに、精霊を車に例えられると割とすんなり納得できた。異世界やファンタジー感は薄れてしまったが。
レオが氷属性以外の魔法を使う時、精霊は燃費の悪い車で、と言われた時は少し笑ってしまいそうだった。
精霊は主の呼び出しに応じれば出て来てくれるらしい。レオは氷の上位精霊と契約していると教えてもらった。そもそも、公爵家は上位精霊と契約している。ただ、風の上位精霊だけは例外なんだとか。風の上位精霊は自由人らしい。
ハウザー公爵家では氷の上位精霊が代々契約しているが、それはただ、相性がいいからであって、公爵家の子供だから絶対に契約するわけではない。その証拠が昨日、出会ったニアさん。ニアさんのところは火の上位精霊らしいが、ニアさんは風の下位精霊と契約していた。
ある程度は理解できた後に神様の本題である黒いもやの正体。
あれは闇の精霊の仕業らしい。ニアさんは風の精霊と契約しており、その上で闇の精霊と契約したのだ。身体半分が黒いもやに覆われていると言った時、ニアさんは闇の精霊に自分の魂半分と契約した精霊を捧げた。だから黒いもやもやがニアさんの身体半分を覆ったのだ。今回は闇の精霊だったが、魔族に捧げると言う事は消滅すると言う事で、精霊界の中でも禁忌のようだ。そのため人間界では闇の精霊と契約する方法を知る人はいない。
「闇の精霊=魔族という事でしょうか?」
「=はちょっと違うんですよね」
「魔族付きとか魔族と契約ってレオは言ってましたけど」
「総称ですよ。魔族というのは」
「闇の精霊も魔族の一部という事ですか?」
「そうです。他にも……ああ、あなたの世界でも夢魔とか聞いた事あるでしょう? 夢魔のサキュバスやインキュバスなど」
「あー、それならあります。あれですよね? 異性を誘惑する……」
私が言うと何度も頷き「夢魔も魔族です」と言う。
「あ、そう言えば、レオには見えていない感じでしたけど私はなんで見えたんでしょう?」
「それは私のお陰ですね。ほら、前に会った時、キスしたでしょう? その時、加護をつけたんです。あなた、神聖力がないので」
「わー、ありがとうございます」
胸を張る神様に拍手しながらお礼を言う。今日の神様の胸張り率はすごい。フードで表情は見えないが絶対ドヤ顔している。
「魔族との契約はわかったんですが、魔族付きってなんなのでしょう?」
「契約した精霊が闇落ちする事です。精霊界の精霊が人間界の人を殺すのは禁忌なのですよ」
「でも、人同士の争いってありますよね? 戦争とか」
「魔法を使わない武力だけの人間同士の争いでは大丈夫です。先ほども言いましたが、精霊が人を殺すのが禁忌なので魔法で殺さなければ精霊は闇落ちする事はありませんよ。魂の消滅など死に関与するのは魔族の特権です」
どこから出したのか指示棒を手、というか袖にパシパシとしながら教える。
死に関与するのは魔族の特権だから魔法で殺した場合、契約している精霊が闇落ちし、魔族付きとなるのか。なるほど。
「簡単に言うと魔族付きは闇落ちした精霊の暴走ですね。無差別に殺し始めます」
「ほうほう。……ん? あ、だからか」
「ええ。あなたと初めて会った時、レオンハルト・ハウザーを止めてとお願いしたのはそのせいです」
上位精霊の契約者であるレオが魔法で人を殺したら上位精霊が闇落ちして無差別殺人鬼になる。それは神様も止めるわけだ。
「いくら上位精霊が耐性あり、中々闇落ちしないと言えど、大量に殺してしまえば闇落ちは免れませんからね。特に昨日」
神様の声が一瞬、低くなる。あ、これはやばい。そう思った時には遅かった。神様が教卓は勢いよく叩きつける。
「なんですか! 昨日のアレは!!」
「ひぃ……!」
「皇帝陛下を脅すのはいいとして魔族付きになる宣言をしてましたよね!?」
「……皇帝陛下を脅すのはいいんだ」
「そこ! 話を逸らさない!」
「はい、仰る通りです!」
「罰として水の入ったバケツを持って廊下に立っておきなさい!」
指示棒を廊下(実際は真っ白の空間なので何もない)に向かって指す。私が学生の頃ですら水の入ったバケツを持って廊下に立つなんてない。厳しくなった今ではもっとないだろう。それでも神様は言ってみたかったのか満足気である。
「ごめんなさい。気を付けます」
「まぁ、いいですよ」
いいんだ。それなら何故私は怒られたのか。
「人に魔法を使わないように注意しておきますね」
「いえ、別にそこはいいんですよ。脅すくらいなら。人によっては罪悪感で闇落ちしかけるとは思いますがレオンハルト・ハウザーはあなたの為なら罪悪感なく魔法使っているでしょうし」
神様の言っている事がわからず首を傾げる。「レオンハルト・ハウザーくらいならどこまで行けば死ぬのかわかってギリギリで魔法を使っているので殺す心配はないです」「そもそもあなたの為なので殺さなければ多少の脅しの魔法は見逃してあげます」「因みに精霊もこれに関しては同意済みなので殺さなければ闇落ちはしません」とレオの事は安心できるが、周りにとっては安心できない内容を言う。
「いやいや、ツッコミどころ沢山ありますけど」
「精霊だって感情はありますからね。脅しは精霊にとって悪戯みたいなもんでしょう。それに子供同士の喧嘩に親は口出したりしないでしょう? 相手を殺すわけでもないですし。むしろ、喧嘩しろと進める親もいますよ」
「レオが子供ですか?」
「私からしたらあなたも含め皆子供ですけどね」
確かに、神様からすれば皇帝陛下ですら子供か。
「親と子と言えば、次は家族ごっこもいいですね」
教師と生徒ごっこに飽きたのか再度、手を叩く。そうすると、学校の机と椅子はダイニングテーブルと椅子に変わり、教卓はカウンターキッチンへと変わった。
カウンターキッチンの奥に立つ神様はいつもの格好の上にエプロン姿で、片手にお玉を持っている。
「私の事はお母さんと呼んでください。ほら、食べないと遅刻しますよ!」
「……はい、お母さん」
お母さんと呼ばれた神様は嬉しそうに口元を緩めた。
いや、なんだこの茶番は。




