非日常③
こんな事になるならレオの言う事を聞いてその場で待っとくべきだった。今更後悔しても遅いが後悔せずにはいられない。そもそも私、死に過ぎではなかろうか。二回目の死んだ記憶がないとは言え、ここで殺されたら三回目の死だぞ。三回目の死は回避したい。
「聞いてる? レオンたらね……」
ニアさんは恋する乙女のように話を続ける。
女子会の話は男子よりもエグいとはよく言ったものだ。こんな生々しい話を人にするなんて。想像したくないけど、話を聞いていると想像してしまう。聞いているこっちが恥ずかしい。レオに恋人がいるなんて知らなかった。というか、私は今、浮気女と勘違いされているのだろうか。修羅場に巻き込まれているのか。元の世界も浮気したら殺すなんて過激な人はいた。この人も過激な人なんだろうか。
生々しい話を嬉しそうに自慢するように話すニアさん。経験が少ない私には未知な世界の話で聞いているだけで顔が赤くなる。そんな初々しい私の反応に満足したらしい。
「そう、だから彼は私の恋人なの。ずっと昔から。レオンが十二歳の頃からの恋人なの」
「……十二歳……?」
「長いでしょ」
ふと、ニアさんの言葉に違和感を覚えた。私からの反応が嬉しかったのかニアさんは「ふふ」と笑い、ニアさんの初体験の相手はレオだと語った。
十二歳の頃、レオは恋人なんてできる状況ではなかったはず。だってレオは奴隷だったんだから……。つまり、ニアさんはレオに性的暴力をして苦しめた人だ。レオが泣きながら辛かったと言った原因の一つ。その事に気付いた瞬間、恐怖や羞恥心やらがスッと消えていき心が冷めていく感じがした。
顎を引いて、ニアさんの手から逃れるように身体を仰反る。そしてそのまま勢いよくニアさんの顔に向けて振り下ろした。
「ぎゃっ……!」
ゴッ! と鈍い音がし、ニアさんが呻く。ヒリヒリする額を抑えてニアさんを見ると鼻を抑えている。
「何するの!」
「お嬢様にはわからないでしょうね! 頭突きって言うんです!!」
「な……っ!」
ニアさんの指の隙間から赤い液体が流れる。どうやら鼻血が出たらしい。ドレスに落ちて赤いシミを作る様子を眺めていたニアさんが肩を震わせる。
『殺してやる』
またニアさんの声と低い声が重なり二重に聞こえる。最初こそ怖いと感じたが今はどうやら怒りの方が勝っているらしい。再び聞く声は怖くなかった。
「あなたのせいでレオが泣いたんだから!」
「は……?」
「辛いって、小さい子にトラウマ植え付けて! あなたたちのこと許さないから!」
額を抑えたまま叫ぶ。レオが弱音を吐いたのも泣いたのもあの日が最初で最後だった。それほど酷い事をしておいて恋人を名乗るなんて許さない。辛そうに泣いていたレオの姿を思い出し、少し泣きそうになる。
「何よ、小さい子って。しかもレオンが泣くですって? あなた妄想激しいんじゃない?」
私の言葉に困惑するニアさんが言う。
「それに許さないってあなたレオンの何よ」
「保護者ですけど!」
「あなた本当に頭おかしいのね」
保護者という単語を聞いてニアさんは俯き、笑う。そしてすぐに笑うのをやめて顔を上げたかと思えば、私を殺すと言わんばかりの表情で「こんな女から助けてあげなきゃ」と呟き、私に手を伸ばす。目の前にニアさんの手が迫ってきて思わず目を閉じる。
「……?」
いつまで経っても掴まれる感覚などなく、恐る恐る目を開ける。手は目の前にあるのにそれ以上は迫ってこない。誰かに手を掴まれており、ニアさんの手は襲う事はなかった。掴んでいる手の持ち主へ視線をやるとここにはいないはずのレオがいた。
「何してんの?」
「レオン! ち、違うの。この子が! ほら、見て。この血!」
ニアさんは慌ててハンカチで鼻を拭き、レオに血を見せる。確かにこの場面だけを見ると無傷の私が悪い人間である。
「……レオ?」
「ん?」
「なんで、ここに」
「ピアス」
短く答えたレオはニアさんの手首を離すと、そのまま私を抱き上げる。片手で軽々持ち上げられ、思わず首に腕を回す。
「額赤くなってる」
「え、あー、……えへへ」
抱き上げられた時に額を隠していた手はレオの首に回ったので赤くなったデコが丸出しらしい。凶器を見られてしまった気分になり笑って誤魔化す。多分、察しのいいレオは私がニアさんに頭突きをした事に気付いている。私の額に触れた指先はひんやりとしていて気持ちいい。
「レオン、その子、頭おかしいわよ! まるで、あなたの小さい頃を知っているみたいな妄想しているの!」
レオに縋り付こうと腕を伸ばすもレオは触るなと言わんばかりにニアさんから離れる。その姿を見て絶望した表情へとニアさんの顔が歪む。
「レオ、あのね」
「知ってる」
「え……?」
「全部聞いてたから」
「え?」
「ピアス」
「……ん?」
ピアスで全部済ませようとしている? 流石に言葉足らず過ぎんか、レオさんよ。そんな私の不満が伝わったのか「あとで説明する」と言うと、レオはニアさんへと視線を移した。
空気が一気に冷えたかと思うと下からピキピキと音がした。見るとソファーとニアさんを固定するかのようにニアさんの腰までが凍っていた。
「レオン! なんで、私にまほ、」
「魔族と契約しただろ、お前」
「ちが、ちがうの」
瞳いっぱいに涙を浮かべレオに訴えるがレオは冷めた表情でニアさんを見ている。項垂れて何度も小さく「違う」と繰り返すニアさん。腰から胸へと徐々に凍っていき、レオへと腕を伸ばし助けを求める。そしてニアさんはそのまま氷漬けになった。
「遅くなってごめん」
「いや、大丈夫だよ!」
「痛かったろ?」
「私、石頭だし平気。それよりピアスって」
氷漬けで動かなくなったニアさんを見届けるとすぐに私の方を見てレオは謝罪した。謝罪よりも他に気になる事が沢山あり過ぎて取り敢えず最初の疑問だったピアスについて聞く。
レオ曰くピアスには録音機能みたいなのがあり、持ち主の音が聞ける事、また魔力を込めれば持ち主の視界も見えるらしい。そして、魔力の消費が激しいが、持ち主のところへ瞬間移動もできる優れもの。
「え、……えっち」
「着替えとかは見ないから」
私の言っている意味を察したのだろう。レオはすぐ否定した。
「でも筒抜けって事でしょ」
「殺気を感知して教えてくれるんだよ。普段はただの装飾品」
そう言うとレオは魔力を込めたのか目の前にウィンドウみたいなのが表示されたかと思うと映像が流れる。激しく映像が揺れて、ニアさんが鼻を抑えている姿が。
「ふっ、綺麗な頭突きだったね」
「え? ねぇ、笑った? 肩震えてるけど。笑ってるよね?」
私に顔を見られないように反対に逸らし肩を震わせる。
誰のために頭突きしたと思っているんだ。笑われるなんて解せぬ。
恥ずかしいようなムカつくような複雑な気持ちでレオの肩を叩いていると何かに気付いたレオがニアさんの方へと視線を向ける。
パキンッと氷にヒビが入るとそれが合図だったかのようにどんどんと亀裂が入っていく。
「来る」
レオが静かにそう言うと、ニアさんを閉じ込めていた氷は粉々に崩れていった。




