ビフォアチュートリアル
我々妖精の類は、世界が生まれた時から共に存在している。世界そのものの一部とも言える。そして妖精は精霊、妖精王、悪魔へと進化する。簡易的にその違いを説明すると、ひとつの物質に宿ったものが精霊、大きな魔力を得て森を管理し、妖精を統括するものが妖精王、様々な心や感情によって力を得たものが悪魔と呼ばれるものとなる。成長の森には精霊、妖精王、悪魔の全てが存在している。それが我々進化の妖精である。
我らの元には勇者が訪れる前から多くの人間が訪れてきた。おおよそその森で大きな力を得られるという噂を聞きつけて来たのだろう。人の国が発展し、魔族と対立する前は来る者拒まずで修行をつけていたが、対立後は勇者となりたい能力のない一般人がひっきりなしにやってきた。修行の厳しさを知って人が来なくなった頃にはまた別の問題が発生した。我らの見た目に目をつけたまともでない人間が森へと入ってくるようになったのだ。我ら妖精は進化すると肉体を得る。だから性別という概念もなんかも一応はある。悪魔である私は男だが精霊、妖精王は女だ。さらに困ったことに、森を管理する妖精王は勇者を目指すと言われたり、力を求めてきたと言われたりすると無下に追い返すもの難しくなる。そんな我々の苦労した日々の一部をお話しよう。
夜の森は危険だ。そんな時間に森の中を歩く者は、獣かよほど馬鹿な人間しかいない。であれば、夜森に人間を放り出す者がいたとすればそのものは大罪人と言えるだろう。一般的な良心をもちあわせているものであればそんなことはしない。だが悪人というものは得てして人の良心に漬け込むものだ。そんな中人の村に、夜に森をさまよっていたら美しい女性が家に泊めてくれたという噂が回った。しかし大抵の人はそんな噂話信じやしない。だが頭が回るのかそれとも偶然なのか悪人というものは運良く事実にたどり着くことがある。要するにその噂は本当であると感づいたのだ。そしてその女性とは人では無いかもしれないということを
「俺は、明日、日が傾き始めた頃に、かの噂の森へと向かってみようと思う。」そう酒場で切り出したのは、体の大きな、いかにも力に自信ありといった風体の大男であった。実際彼は数少ない大物を狩れる者であり、村で指折りの強者であった。欠点をあげるとするならば彼は、路地裏でたむろする者達から頼られる人物であるという点だ。彼は路地裏の同盟の中で数人の男どもを酒場に集めた。集まった男どもは「馬鹿な噂にのせられるな」だの、「本当にそんな女がいたのならここへ連れてきてみろ」だの口々に騒ぎ出した。大男は飲み干したジョッキをテーブルに叩きつけると、集まった男共をひとにらみして、「いいだろう、その女とっ捕まえてここに連れてきてやろぉじゃねえかよ」と言い残し、酒を飲むのもそこそこに金も払わず店を出ていった。残された男共はしばらくぽかんと口を開けていた後、飲み代を押し付けられたことに気づいたが、それよりも酒好きの大男がまだ夜のふけないうちに酒場をあとにした事実の方に驚きを隠せなかった。
実はこの男、その女性が妖精だということに感づいていた。そしてどうすればそいつの寝床に潜り込めるかと考えた末に、力を求めて修行をつけてもらいに来たなどと言ってその家へ上がり込む計画を立てたのだ。先程悪人は事実にたどり着くなんて話をしたが、この男は後者の運の良い男だ。頭の回る男はそんな計画とも呼べないような不確定要素たっぷりの計画なんて立てない。断言する立てない。夕方に行くことで修行を受けることを避け、力を求めてきたということで、猟の経験から夜の森にいても平気だろうと家へ招かれないという事態を避ける。偶然にも妖精王が絶対に家へと招かざるをえない状況を作り出していた。つくづく運のいい男だ。そして彼にとって都合のいいことに妖精王は博愛的な女性で人を傷つけることはしない。しかし、この男の予想外なことがふたつ、噂の女性である妖精王は人がかなうような相手ではないということ。人を傷つけることに抵抗のない悪魔が森にいるということである。
翌日宣言通り日の傾き始めた頃に森へとやってきた大男。そしてそれを眺めている、ボロきれのマントを羽織った男が一人。そう、彼こそが悪魔である。しかしなぜ人のいないこの森に人の心や感情から生まれる悪魔がいるのか。そもそも悪魔とは人の心から力を得た妖精であるから、思惑の交錯する王国の城や憎しみの蔓延る戦場などで生まれるはずである。ではなぜその悪魔が人のいない森で生まれ森に住んでいるのか。その理由は単純明快である。彼は森に対する恐怖や畏れから生まれたからだ。人が森にいなくてもその感情は森へと向かう。中でも夜の森は誰も近づかない万人の恐怖の対象だ。だから心や感情に関する魔法は最も得意とする魔法分野であり、夜は彼の魔力の最も高まる時間だ。だから夜の森に訪れた大男の思惑は全て彼の耳に筒抜けている。彼のアイデンティティとも言える夜の森を汚そうとするその大男には、必ずや恐怖を与えねばならないと決意しながら制裁のタイミングを見図らんと目を光らせた。目を光らせつつ彼は妖精王の苦労に思いを馳せた。いや苦痛と言った方が正しいのかもしれない。彼女は善意と良心を持ってこの大男に接するだろう。そしてこれからそれを裏切られることがこの悪魔にはわかっている。であれば妖精王と接触する前にこの大男を追い返すことが妖精王へのひとつの優しさでそうすべきなのだろうが、彼は悩んでいた。この大男に最大の恐怖を与えられるのは妖精王と会ったあと、計画が進み、成功の期待が最高潮になる頃。いつの世も上げて落とすのが最高の苦しみである。
結局この悪魔は真夜中まで待つことにした。この大男はその妖精王を慰み者にしてやろうと考えているようだがそんなことは不可能だ。それに妖精王の鎧と剣を持つ出で立ちを見ればいくらか警戒はするだろうと考えた。と同時に妖精王を悲しめる分この大男には、大いなる恐怖を与えよう。その代わりと言ってはなんだがに手足の1本でも置いて言ってもらおうと考えた。
大男は1時間ほど森を歩き続け、空もいくぶん赤みを帯びてきた頃、すっかり森の中ほどまでやってきたことを確認した。そして「俺は街でも指折りの力を持っている。だが、もっと村一番になれる力が欲しいどうか俺に修行をつけてくれ」と大声で叫びながら歩き出した。どうしてこんなにも考え無しに行動できるのか。しかし、しばらくの間歩いていると木の影から突然ゆらりと人の影が現れた。背中まで伸びた栗色の髪の毛は夕暮れの光に透けて明るく輝き、簡易的な鎧と体躯から見ても少し短い剣を腰に携えたその女性は美しいと評価されるに足る圧倒的な存在感で沈む直前の強い夕日の光を背に佇んでいた。どこからともなくにわかに女性が現れたことに大男は驚くと同時に、ただの人ではないことを感じ取り背を汗が流れるのを感じた。それと同時に彼女が噂の女であると理解した男は、どんな言葉を切り出そうかと迷っていると、彼女が口を開いた「力を望み、修行を求めてこの森までやってきたということで間違いないのですね」大男は慌てて肯定する「あぁ、村で一番強い男になりたい」彼女は「村で屈指の強さを誇るのならばあと一歩で一番になれるのでは?」と返す。大男は一瞬その通りだと思い言葉に詰まったが、こういう場面では知恵が回る。「ギリギリ村で1番になるだけじゃ足りねぇ。圧倒的な力で村一番になれば村の憧れを一身に受けることになる」と返した。彼女は「憧れのためですか」そうぼそっと口に出す。男は断られるかと思ったがすぐに彼女は「いいでしょう憧れを集めるのは古くから人の望みのひとつですから」と答えた。「しかし、森はもうじき暗くなります。今日は私の家で一泊して明日からの修行に備えるといいでしょう」柔らかい笑みを携えた彼女は木の根や、苔むした岩で敷きつめられた森を緩やかな足取りで歩き始めた。しかし歩く速度は早いもので猟に出て森に入る大男でもついて行くのがやっとであった。
やがて森で1番の巨木の麓にある巨大なうろに作った妖精王の家へと着いた。疲れきった大男が床に座り込んでいると、彼女が「私は山菜など食べられるものを採ってきます」と言ってその場を後にした。大男は、不用心なやつだと思いながら金目のものがないかと部屋を見渡した。しかし、森で暮らしているだけの妖精の部屋に金目のものなどあるはずもなく、大男はやはり妖精王本人を標的にするしかないと思い直した。そうして息を整えていると妖精王が帰ってきた。山菜やキノコを手に持ちそのまま夕食の支度へと移った。木のうろの家の中でかまどに火をつけ鍋で食材を煮ている。普通の人間ならばそんな危険なことはしない。大男はその様子を見ながら怪訝な顔をしたが、この女はどうせ普通の人間では無いのだ。普通の感覚も、普通でない火も持っていたって不思議ではないと思い直して緊張を解くことにした。その時ドアを叩く音が部屋の中に飛び込んだ。ドアの前にたっていたのはボロボロのマントを羽織った男、かの悪魔であった。「また新たな修行志願者が現れたと風の噂で聞いてね」と言いながら椅子にふんぞり返っている大男を一瞥する。大男はこの森にいる妖精が1人ではなかったことに驚き悪魔の顔をまじまじと見つめた。悪魔は彼に「厳しいぞ。早めに寝て準備をしておくんだな」とだけ言い放つとそのまま部屋を出ていった。大男は悪魔が部屋から出ていったあと彼がまた戻ってくる様子はないか気を張って探っていたが、ついには戻ってくる様子は無いので安堵した。もちろん悪魔は立ち去ってなどおらずその姿気配を夜の森に溶け込ませながら大男の様子を伺っていた。
食事を終え、空の暗さが深くなっていった。大男はその間襲いかかるタイミングを見計らっていたが、鎧を着た女性が木のうろで火を使うという異様な光景が大男をしり込みさせていた。そのうちそろそろ寝る頃だということで妖精王が寝具の準備をし始めた。さすがにチャンスを逃せないし、ちょうどいい頃合だと感じた大男はナイフを握りしめ彼女へと飛びかかった。彼女に手が触れると思った瞬間、体は強い力で追い返されナイフはあさっての方向へ飛んでいき突き刺さった。はぁーっと深くため息をついた妖精王。ふりかえったその顔は険しいような苦しいような表情で満ちていた。妖精王が一歩踏み出した瞬間彼女の顔はは頓狂な表情に変わり、「あら?」という言葉と共にその目が上を見上げた。その瞬間男の世界は闇へと包まれた。「は?」何が起こっているのかよく分からない大男。しかしなぜだか危険を知らせる警報のように、心臓の音だけが大きく速くなっていくことだけを感じていた。
その瞬間目が覚めた。しばらく今までの記憶と今の視界との違いに混乱していたが、夢かと思い、真っ暗な辺りを見回す。どうやら自分の部屋では無いらしい。かと言って妖精王の部屋のようでもない。風の流れを感じる空間。ここは外のようだ。遠くから狼の遠吠えが聞こえる。まずい、居場所の分からない森ほど危険なものは無い、夜の森ならば尚更だ。そう感じた大男は猟師の知識を全て使い、森を抜けるため現在地と時間を見るため空を見上げた。そこで気づく星も月も見当たらない。今夜は新月ではなかったはず。もしも思い違いをしていたとしても、新月なら星が明るいはずだ。雲もかかっていない。慌てて周りを見渡す。そこでふたたび気づく。暗くてよく見えないが、そこいらに生えている木も植物も自分の知っているどの木とも違う。ここは一体どこなのか。木の葉を見ようとして見上げてみたび気づく。赤く光る月がある。二つも。大男にはもうなにがなんだかわからない。だが今の手がかりはこの月だけ。良く見つめていると、月が揺らいだ。月がこんな動きをするわけが無い。そこでようやく大男は何が起きているのか理解した。見つめているのだ。自分を。とてつもなく大きな「何か」が。赤いふたつの月はその目だ。
足が震えて止まらない。腹のそこが冷たく背中と張り付いているように苦しい。大男は初めてこの森で人類が抱く最初の恐怖を知った。未知に対する恐怖。理解を超えるものに対する恐怖。目は見えてもその姿の輪郭も全貌も見えない。どこが頭かも分からない。歯がガチガチ鳴る。ふと気づく手元にあのナイフがあることを。これで自害することが最善の道なのか。あの「何か」はその様子を見るために静かに佇んでいるのか。悩み、苦しみ、ついに大男は自分の腕にナイフを突き刺した。瞬間痛みが全身に走る。熱い血が腕から流れると同時に全身を血が駆け巡るのを感じる。今なら走ることが出来る。大男はひたすら逃げた。どこへ行けばいいかも分からないがひたすらここから離れるために。そうして全力で走るうちに意識は溶けていった。
目が覚めると見知った天井があった。そこは確か酒場に集まっていた友人の誰かの家だったはずである。後に話を聞くと、明け方に森の入口で倒れていたのを猟師仲間が見つけたのだとか。酒場にいた連中から大男は夜に森にはいるからそんなことになるんだとどやされていた。
森に対する恐怖と畏怖を知った彼は真面目な猟師へと様変わりしていった。その様子から彼は力でなく、人柄で村の人に好かれるようになったらしい。この悪人は酷く純粋であったのだろう。おとぎ話の妖精を信じていたのだから。
私たちの苦労はその後しばらくして解決することとなった。魔族との争いが激化していった中でそれぞれの国が能力のあるものを集め最もふさわしいものに勇者の称号を授けることとなったのだ。世界中の人が自分が勇者となる機会を与えられるそしてその中から選ばれた。そうなると世界中の人が勇者を応援するようになり必要以上の力を求めるものは減っていった。しかし同時に、自分は勇者だと騙り森へとやってくる美女の噂を聞きつけた不届き者もいるが、我々は安心して追い返している。
その勇者は女性だと言うのだから。