第18話 猿の魔物
翌朝。
小鳥の囀りとカーテンの隙間から差し込む柔らかい光に起こされ、身を捩り伸びをする。
空模様は昨日に引き続き快晴、今日もいい一日になりそうだ!
ヴィンセントを起こし、共に身支度を済ませてロビーへ向かう。
ほぼ同じタイミングでエレナとシエラがやってきた。
「「おはよう」」
「「おはよう」」
「眠れたか?」
「ええ、もうぐっすりよ」
エレナが答えるとシエラも頷く。
しばらくして他の仲間や訓練生たちもまばらに集まり始め、全員揃ったところで金の暁亭を後にする。
しばらく歩き、街の門に着くとオレたちが乗る馬車が門の脇に並んでいた。
その数台の馬車の後ろに整列し、どこかへ向かう行商人の馬車を一台、また一台と見送りながら点呼を取る。
「よし!全員揃っているな、ではこのまま乗車して出発・・・」
「報告!!」
コンラッド教官の言葉を遮る声が、門の方から聞こえてきた。
そちらを見ると、門の外から軽鎧の騎士を乗せた馬が物凄い速さで走ってきた。
騎士は馬から降りて、コンラッド教官に耳打ちする。
何があったんだと思っていたら、各属性の主任教官が集められその場で会議が始まってしまった。
なんか嫌な予感がするな。
二分ほどで結論が出たようで、コンラッド教官が改めて話し始めた。
「全員傾聴!!これから向かう狩りの森に、少々厄介な魔物の存在が確認された。だが、教官陣が訓練生の安全を確保しつつこれの対処に当たる。よってこの遠征に大きな支障はないとして、予定通り狩りの森に向かう。」
「ちなみに、どんな魔物ですか?」
トーマスが即座に質問する。そうか思い出した。
狩りの森はトーマスの村の近くの森だ。
厄介な魔物と言われてはトーマスも気が気じゃないだろう。
「狒々鬼だ」
「!!」
トーマスの顔がこわばる。
オレにとっては初耳の名前だが、トーマスのような村や防壁のない町出身者は知っているのだろうか。
現に周りの何人かが反応していた。
「この魔物を知らない者も居るだろうから、ここで説明しておく。狒々鬼は、何らかの原因で濁りに汚染された猿が最終的になり果てる魔物だ。こいつは魔物の中では比較的弱小の部類だが、猿は群れを形成するからな。一体確認されるとそいつが汚染源になって爆発的に増加するのが厄介なところだ。それを防ぐためには出来るだけ迅速に、汚染が疑われる動物も含め駆除しなければならない」
何だそれ、ヤバいやつじゃないか。
「だから、どちらにせよあの森に行くことに変わりはないということだ」
合点がいった、この遠征で駆除も兼ねてしまおうってことか。
教官の話に納得したのか、
トーマスはそれ以上質問はしなかった。
*
馬車に揺られ数時間。
穀倉地帯を抜けて、林とも呼べないような木々の集まりがいくつもある草原を走っている。
とっくに昼は過ぎて、木々の影が長くなり始めていた。
皆不安なのか、昨日の賑やかさが嘘のように沈黙し、車輪と蹄の音だけが響いている。
狒々鬼の出現のせいで狩りの森付近での宿泊は危険と判断され、あと2泊のはずが1泊になった。このまま夜まで走り、狩りの森が視界に入る程度の位置取りでキャンプを行うらしい。
ずっと遠くにある向こうの山からとうとう月が顔を出した。
雲一つない空のお陰で、月光が辺り一帯を包むように照らしている。
ふと左側を見ると、向こうの黒い影から何本もの煙が上がっている。
「オレの村だ。あの向こうに見えるのが親父たちが世話している畑だよ」
トーマスの声にはどこか誇らしさが混じっていた。
オレは村をじっと見つめながら、そこでの暮らしを想像してみる。魔物に怯えながらも土地に根を張り生きる人々の姿が頭に浮かび、自然と背筋が伸びる思いだった。
やがて馬車は鈍行になり、未舗装路から草原に踏み入る。殊更ガタガタ揺れるものだから尻の骨に止めを刺された気分だ。
ここまで必死で体を鍛えて来たが、長時間の振動は鍛えられない内臓にも響くから質が悪い。
気持ち悪いとは別の、グズグズ感が嫌な感じだ。
顔をしかめ、腹を手で押さえながら村より少し向こうを見やると、これまた真っ黒な影が目に入った。
ただ、どことなく不気味な雰囲気を感じる。魔力由来の感知なのか、ただの雰囲気なのか。
柔らかい月明かりの中で、一点だけ。それこそ、濁りが混じったような。
一つ言えるのは、あれが【狩りの森】だと確信したということだ。
そんなものが視界に入る場所にテントを張った。
コンラッド教官が指示を飛ばしながら、テントが次々に設置されていく。
訓練生たちは慣れない手つきながらも、互いに協力して準備を進めた。
焚き火の周りに集まりそれぞれ班ごとに夜食を取る。
今朝までは明日から始まる実戦に胸を高鳴らせていた。
なのに今となっては不安の方が大きい。トーマスのこともあってか皆も口数は少ないままだ。
極めつけは、今日の夜食だ。干し肉と塩スープとカンパーニュ。
いや、カンパーニュは美味しいんだけど、お供がな・・・。
昨日の幸せディナーと比べるとどうしても・・・。
まったく。ここまで落差をつけなくてもいいと思うんだけどな。
愚痴は心の中だけにして、夜食を終える。
身体を拭いてそろそろ就寝というときに、キャンプエリアの外縁で教官たちが見張りをしているのを見て、オレは逆に緊張感を覚えた。
不測の事態はいつでも起こり得るということか。精神的にも騎士にならないとな。
自分を戒め毛布にくるまる。
それから意識が落ちるまで、あの不気味な森が頭から離れなかった。