第七章 媚薬(1)
オウガは《闇樹海》を解除して、私達を客室へと案内してくれた。
大きな居間が一つあり、そこから人数分の寝室がそれぞれ直結している、ちょっと変わった造りの部屋だ。
夜も更けてしまっているので、私達はすぐに休むことにした。
そして翌朝、目覚めた私が居間に向かうと、セインが満面の笑みで出迎えた。
「レリア様! おはようございます!」
彼の隣には、当たり前のようにミュナがいる。そういえば、彼女も昨日は夜遅くなってしまったから泊まる事になったのだった。
「……あれ? サーシャとアーネストは?」
サーシャが珍しく私を起こしに来なかった。まだ起こすには早い時間とも取れるが、私が起きても現れないのは普段ならあり得ない。
「ああ、それが……」
セインは歯切れ悪く、窓の外に視線を投じた。
私は怪訝に思いながら窓に歩み寄って外を見る。
そこで繰り広げられていた光景に絶句した。
中庭でアーネストが剣を抜き、丸腰のサーシャと戦っていたのだ。
「サーシャ? 何でアーネストと……どういう事?」
戸惑いつつセインに尋ねる。彼が冷静な様子でここにいるのだから、何か理由があるのだろう。
「ええと、私にもよくわからないのですが、アーネストがサーシャ殿を口説くような言動をしていて、それに対してサーシャ殿は最初こそあしらっていたんですが……徐々に面倒臭そうな様子になり、最終的に「自分より弱い男を男としてみる事はない」と言った事で、アーネストが手合わせを申し出て、今に至る、というところです」
「アーネストがサーシャを口説く……?」
それは意外だ。
あのチャラ男は、貴族令嬢から縁談の申し込みが絶えないモテ男のはず。それが、侯爵令嬢の専属メイドをわざわざ口説くなんて。
何より、今までそんな素振りを見せた事はなかったのに。
「アーネストの奴、いつの間に……」
いつの間にか起きてきていたジークが、私の背後から窓の外を覗き込んで、訝しげに眉を顰めている。
「それが、アーネストの様子が少々変なんです。操られている様子はないのですが、何て言うかこう……惚れ薬でも飲んだかのような雰囲気でして」
セインも解せない様子で唸っている。
「惚れ薬?」
薬草に精通した魔術師が調合する薬には様々な効果効能をもたらすものがあり、その中に惚れ薬と呼ばれるものも存在するが、効果の程は魔術師の腕によるところが多く、そのほとんどは眉唾だったりする。
だが、稀にそれなりの効果を発揮するものが存在するのも事実で、その惚れ薬を飲むと、その後に初めて見た相手を好きになるが、あくまでも薬を飲んでの症状なので、その効果は永遠には持続せず、数時間から数日で解けるといわれている。
「……アーネストがそんなものを飲んだとは考えられないが……」
「そもそも、もし惚れ薬を飲んだのだとしたら、それで惚れた相手に手合わせなんて申し出ないんじゃ……?」
ジークの呟きに私が口を挟むと、彼は「確かに」と頷いた。
「そういえば、サーシャ殿は獣人の血を引いているといったか?」
唐突に口を開いたミュナに、皆が振り返る。
「ええ。彼女の祖母が獣人だったの」
「もしや、肉食獣の獣人か?」
「ええ、ジャガーの獣人だったと聞いているわ」
私の答えに、ミュナが思案するように顎に手を当てて視線を落とす。
「何か思い当たる節が?」
セインに問われ、ミュナは頬を紅くしながら答える。
「肉食獣の獣人は、稀に特定の人間の血に酔うと言われているが、その人間の血を舐めたり飲んだりすることで、獣人からはその人間に対してのみ効く強烈なフェロモンが出るようになると聞いた事があるのだ」
「つまり、血を舐められた人間は、相手の獣人に猛烈に惹かれるようになるって事ですか?」
セインが話を纏めた刹那、あの樹海での出来事が脳裏を過った。
「……あ」
そういえば、樹海でアーネストの血の匂いに酔ったサーシャは、彼の頬に滲んでいた血を舐めていた。
「それで、か……」
私が一人納得したが、他の三人は話が見えない様子で首を捻っている。
私は《闇樹海》で起きた事を簡単に説明した。
「なるほど……まさか、サーシャにとってアーネストがその対象になるとは……」
「で、血を舐められたアーネストは元に戻るの?」
私が尋ねると、ミュナは申し訳なさそうに眉を下げた。
「それはアタシもわからないのだ。竜人と獣人は似て非なる一族。境遇が似ている事から助け合う事もあるが、基本は互いに干渉しないのでな。あまり詳しい事まで知っている訳ではないのだ」
「それは仕方のない事ですね……」
セインが、竜人と獣人の置かれている状況を思って視線を落とす。
「……ただ、その獣人に血を舐められる事で、獣人に猛烈に惹かれるという症状を利用して創られたのが惚れ薬だという説もあるのだ。それを考えると、時間が経過すれば元に戻るというのが妥当だろう」
そう結論付けたミュナに頷いて、もう一度中庭に視線を投じる。
剣を振るうアーネストと、その攻撃をひらりと躱しているサーシャ。
身体能力が違い過ぎる。いくらアーネストが国王直属騎士団の団長であっても、獣人には敵わないのだ。
「お前のメイドは本当にとんでもないな」
ジークが感心した風情で呟いた時、アーネストの剣をサーシャが側面から蹴り飛ばした。
アーネストの手を離れた剣は勢いよく回転し、少し離れた所に突き刺さる。
「……国王直属騎士団の団長に勝っちゃった……」
いつの間にか部屋から出てきていたルイスが、驚いた様子で呟く。
私は窓を開け、飛翔魔術でサーシャ達の元に駆け付けるのだった。




