第三章 道標(3)
アヴェンドール王国内に入ってしばらくして、サーシャがふと鼻を動かした。
「……ブルーバード公国の教会で嗅いだものと同じ匂いがします!」
その言葉に、私達が空中で急停止する。
「本当?」
「はい。あの教会にあった買取人からの手紙には、特殊な香りが染み付いていました。おそらく、家の中で使用する香木の一種でしょう。それと同じ匂いがします」
これだけ焼け野原になった場所でも、その匂いが嗅ぎ分けられるのかと感心する。
「場所は?」
ジークが尋ねると、サーシャは視線を巡らせ、少し離れた場所で延焼を免れた一軒の屋敷を指差した。
「あの屋敷からです」
首都と思われる町の外れに位置するその屋敷は、ウェスタニア王国やブルーバード公国で見られる建物とは異なり、やたらと豪奢で華美な造りをしている。
敷地の広さと建物の大きさからアヴェンドール王国内でも有数の貴族のものだろうと察せられた。
「行ってみよう……セインとアーネストは、ミュナについて混沌竜を調べて来い。倒した者が俺達にとっても敵か味方かわからないのは、不安要素でしかないからな」
「承知しました」
ジークの命令にセインとアーネストが頷き、ミュナを伴って少し先で倒れている混沌竜に向かっていく。
混沌竜に向かっていく三人を見送って、私達は、遮蔽魔術を掛けたまま、屋敷の敷地に降り立った。
そっと窓から中を覗いてみる。
大広間と思われる部屋で、一人の男が落ち着かない様子で右往左往していた。
「おい! ジャミルの奴はまだ来ないのか!」
「は、はい、まだお見えではありません……」
「くそっ! 何をしているんだ!」
かなり苛立っている様子だ。従者と思しき老人が、見ていて哀れに思う程狼狽している。
「ああ、早く生贄をオウガ様に捧げなくては、この国は滅んでしまう……! きっとあの竜もオウガ様の怒りの証に違いない……!」
オウガ様、その名前にはっとする。
ゲームの隠しステージに現れる、隠しキャラの名前だ。
あっちの世界を生きるレリア曰く、魔族の皇帝、筋骨隆々の傲岸不遜な超俺様キャラ、とのことだ。
魔族の皇帝が、生贄を欲しているというのだろうか。
腑に落ちないが、この世界でどのようにキャラクターの設定が変わっているのかは想像を絶するので、用心しておくに越したことはないだろう。
「オウガ様って何だ? 生贄? まさか、人身売買で買った人間を、生贄として捧げていたという事か?」
ジークが混乱した様子で呟く。
「兄上、もしかすると魔族のことかもしれないよ。国外の一部の地域では魔族信仰をする国もあると聞いたことがある……それに、ほら、文化が違うってだけでは片付けられない趣味の悪さだしね」
そう言ったルイスの視線の先には、広間の壁に設えられた祭壇のようなものがある。
そこには、漆黒の杯と逆十字、そして黒い薔薇が祀られている。
厨二病かよ。
おっと、そんな言葉こっちの世界にはないんだった。
うっかり前世の俗語を口にしてしまいそうになって口を噤む。
確かに、あの様子では魔族を信仰していてもおかしくなさそうな雰囲気ではある。
「どうする? この国で家宅捜索なんて権限は当然持ってないし……」
ルイスがジークを仰ぎ見る。
彼は顎に手を添えて思案していた。
と、その時、芝生を踏む音がして、全員が振り返る。
そこには混沌竜の調査に行っていたはずのセインとアーネストとミュナが立っていた。
彼らも遮蔽魔術を掛けているので、これほど近付くまで気配に気が付かなかった。
セインがジークに対してさっと一礼する。
「ジーク様、ただいま戻りました」
「早かったな。混沌竜を倒したのが何者かわかったのか?」
その問いに、アーネストが困ったように眉を下げた。
「それが……俺達が着いた時には、混沌竜の死骸は何処にも無かったんです」
「死骸が消えた?」
「ええ、ほんの一瞬、延焼を免れた大樹が視界に重なって混沌竜が見えなくなったんですが、それを越えた時には、もう混沌竜の姿はありませんでした」
セインも解せない様子でその時の状況を説明してくれた。
「……じゃあ生きていて逃げたって事?」
私が呟くと、セインはいいえ、と首を横に振る。
「もし生きて移動したのならば、あの強大な魔力を感知できます。何者かが、混沌竜の死骸を魔術で運び出したと考えるのが妥当かと……」
その言葉に、皆が「混沌竜を倒してその死骸を持ち去った者」という視えない存在に畏怖を覚えた。
その誰かが敵だとしたら、間違いなく脅威だ。
「……でも、そんな強い魔術師がいれば、気配でわかるんじゃない?」
もしも、混沌竜を簡単に倒せるような魔術師が存在するとしたら、間違いなく圧倒的な魔力を持っているはずだ。それこそ、近くにいればすぐに気が付くだろう。
私の問いに、セインは頷きつつも浮かない様子で答える。
「ええ……ただ、混沌竜の気配が強すぎて、他の人間の魔力が霞んでいたという可能性も否めませんし、もしその強い魔術師が遮蔽魔術を使用していたとすれば、私達が事前情報なしにそれを察知するのは至難の業です」
遮蔽魔術は、存在を隠す魔術だ。強い魔術師であればあるほど、精度の高い遮蔽魔術によって隠れるのも上手である可能性が高い。それも頷ける。
もしも、そんなに強い魔術師が、気配を絶って私達に近付いているのだとしたら、考えるだけでもぞっとする。
皆同じことを考えたようで、不穏な雰囲気が漂う中、真っ先に異変に気が付いたのはミュナだった。
「……来る」
彼女が青褪めた顔で呟いた直後、サーシャがはっとした。
「静かに!」
次の瞬間、広間の中から、凄絶な魔力が噴出した。
「っ!」
その場にいた全員が、呼吸を忘れて動けなくなる。
直感でわかる。圧倒的で、存在そのものが畏怖を与えるものが、そこにいる。
視線だけ動かして広間を見ると、先程まではいなかった男が、祭壇の前に立っていた。
筋骨隆々、艶やかな漆黒の長髪、頭には羊のような形の黒い角、血を吸ったような緋色の瞳の男。
間違いない。あれが隠しキャラ、魔族の皇帝、オウガだ。
「ひっ! オウガ様! 申し訳ございません! お約束の時間ですが生贄が……」
男が床に頭を擦り付ける。
オウガは一瞬目を細めたと思った直後、ついと顔を上げ、私の視線とかち合った。
おかしい。
遮蔽魔術を掛けているはずなのに、目が合ったのだ。
ぞくり、体中の血の気が引く音がした、次の瞬間。
「アレをもらう」
オウガが私を指差す。
嫌な予感が押し寄せると同時に、聞き覚えのある声にはっとする。
ちょっと待ってちょっと待て!
この声、前世の私の最大の推し声優の声じゃないっ?
そう言えば、隠しキャラの情報で担当声優に関するヒントが公式サイトに掲載されていたのを、このタイミングで思い出した。
よくよく考えたら、そのヒントからその声優の名前が導き出せたのに、なぜ気付かなかったんだ前世の私!
色々とショックで思考停止した直後、オウガがパチンと指を鳴らした。
「っ?」
一瞬にして、私はオウガの腕の中に移動した。
何が何だかわからない。動揺していると、オウガは男を見て言い放った。
「貰っていく。今回はコレで良い」
それだけ言って、オウガはふっとその場から掻き消えた。
当然、横抱きにされていた私も一緒に。
瞬き一つの間に、私はやたらと薄暗い、おそらくは城の中だと思われる場所に移動していたのだった。
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