第二章 転機(1)
捉えたと思った。
背後から心臓をひと突きにできたと、確信に近いものを感じていた。
しかし。
「何の真似だ?」
冷徹な声が頭上から降って来たのを聞いた直後、私の腕は掴み上げられていた。
「痛っ!」
思わず声に出すと同時に、手にしていたナイフが落ちてからんと音を立てた。
何が起きたのかわからなかった。
王子の動きが、全く見えなかった。
とにかくまずい。非常にまずい。
顔を見られている。名前も名乗っている。
このままでは、メルクリア家が終わってしまう。
真っ白になる頭で、必死に現状を打開する方法を考える。
「俺の暗殺か……いい度胸だな。誰に指示された?」
王子は感情の無い冷たい声で淡々と尋ねる。
ギリギリと音を立てそうなほど強く掴まれた腕が悲鳴を上げる。
私は口を噤んだ。
「黒幕の名前を吐けば、お前の命だけは助けてやるぞ」
「私は何も言いません。拷問したければお好きにどうぞ」
ベルフェール公爵家の名もメルクリア家が古くから暗殺家業を営んできたことも、何も言うことはできない。
万が一失敗したとしても、何一つ情報を漏らしてはならないと、暗殺術と共に教え込まれて育ってきたのだ。
腹を括って答えた私に、王子は意外そうな顔をした。
「ふぅん? てっきり家の借金で首が回らなくなって困ったところに、ルイスを次期国王に推すどこぞの公爵家から俺を暗殺したら借金をチャラにしてやるとか唆されて、舞踏会に乗り込んできたただのお嬢様かと思ったが……意外と肝が据わってるな」
近からずも遠からず、核心をついて来たジーク王子に冷や汗をかきつつ、私は何とか無表情を保ち、無言を貫く。
「……よく考えたら今の足運びも、一朝一夕で身につくものじゃないな。相手が俺でなければ刺されていただろう」
急に感心したような表情になり、王子はぱっと私の腕を掴んでいた手を離した。
痛む腕を摩りながら顔色を伺う私の顔を、何を思ったのか王子はじっと覗き込んでくる。
「レリアと言ったな。メルクリア侯爵家の令嬢ということは、ルイスの婚約者候補の一人だろう?」
「……そうですが、それが何か?」
「まさか、お前は自分が王妃になりたいから、ルイスが次期国王になるよう俺を殺そうとしたのか?」
そう尋ねてくる深紅の瞳に、鋭い光が見えた気がした。
私はぶんぶんと首を横に振る。
「まさか! 私は王妃になりたいなんて思ったこともありません! どちらかと言うと社交界のような面倒ごとは極力避けたいと思っているくらいです!」
彼の視線に畏怖を覚えて、つい口調が崩れてしまった上に父親にさえ言ったことのない本音が出てしまった。
暗殺未遂に加えて不敬罪だ、と青くなる私に、何故か王子はふっと笑った。
「ははっ! 社交界が面倒か! お前面白いな! 気に入ったぞ!」
「……は?」
予想外の反応に思わず間の抜けた声を出すと、王子は今までの表情からは一変して楽しそうに続けた。
「お前、俺と結婚しろ!」
その言葉に,再び頭の中が真っ白になった。