第一章 標的(5)
舞踏会の招待客が立ち入りを許されているのは、会場である大広間とそこに通じる廊下以外では、休憩用に開放されている庭園の一部のみだ。
手入れの行き届いた庭園を歩きながら、私は城壁を見上げた。
大広間は天井が高いため、2階から3階の部分を占めている。
王族の私室があるのは、奥の塔のもっと上の階だ。
当たり前だが、舞踏会の招待客はその区画まで入ることを許されてはいない。
舞踏会の最中にジーク王子を暗殺できなかった場合、どのように立ち回るかを考え、ぐるぐると庭園を歩き回る。
「おい」
不意に背後から声をかけられ、私はびくりと肩を揺らして振り向いた。
人の気配は感じなかった。
暗殺術以外にも様々な事を学んできた私が気付かなかったという事は、相手は私以上の手練れか、または気配を消せる魔術師かだ。
この世界には魔術が存在している。
魔術を扱える人間はほんの一握りで、ゲームの中では一部の王族の他、王国の筆頭魔術師一人と、聖女となるヒロインだけしかいないという設定だった。
「っ!」
そこに立っていた声の主の姿を見て、私は息を呑んだ。
銀に近い淡い金髪に深紅の瞳を有した美貌の青年は、この国に一人しかいない。
私は慌てて頭を下げる。
「ジーク王子殿下! 気が付かず大変失礼いたしました」
そう、そこに立っていたのは他でもない、今まさに私がどうやって殺そうか考えていた相手、ジーク第一王子だったのだ。
彼は私を不審そうな目で見ていた。
「ジーク王子殿下にご挨拶申し上げます。レリア・ルーン・メルクリアと申します」
取り繕って挨拶すると、ジーク王子は僅かに眉を寄せる。
「メルクリア侯爵家の令嬢か。舞踏会がまもなく始まる時間だが、ここで何をしていた」
舞踏会に出席する貴族令嬢がお供も連れず庭園を一人で歩き回るなど、本来ならばあり得ない。
王子の疑問は尤もだ。
舞踏会が始まる前に庭園から王族の私室のある区画へ忍び込むルートを模索していたなどとは口が裂けても言えないので、私は持てる演技力を総動員して困った顔をしてみせた。
「申し訳ございません。舞踏会が始まる前に少しだけ風に当たろうとテラスに出たのですが、庭園の花が素晴らしかったのでつい一人で降りて来てしまい、花に見惚れていたら戻る道がわからなくなってしまいまして……」
城の庭園は広い上に、私の背丈以上の生垣も多い。迷ったという言い訳もある程度は信憑性もあるだろう。
しかし、ジーク王子は胡散臭そうな目を向けてくる。
「迷った? この程度の庭園で? それが本当だとしたらどれだけ鈍臭いんだ」
疑っているのか馬鹿にしているのかイマイチわからない表情で言い捨てる王子に、内心ではかなりイラッとしたが、曖昧に微笑んでやり過ごす。
いかんいかん、相手は王族だ。下手をすれば不敬罪で捕まりかねない。堪えろ自分。
と、ジーク王子は私の背後の道を指差した。
「そこを真っ直ぐ行って、開けた所を左に曲がればテラスに戻れる」
「あ、ありがとうございます」
意外にも戻る道を教えてくれた王子に一礼する。
しかし、王子がいる前で自ら身を翻して背中を見せるのは失礼だ。相手が下がって良いというまでは待たなくてはならない。
そう思って待っていると、王子の方が先に踵を返した。
待てよ、今が絶好のチャンスではないか。
このまま隠し持っていたナイフで背中を狙え。
頭の片隅で、記憶が戻る前のレリアが声を上げる。
抵抗する気持ちと裏腹に、身体が動いた。
流れるような動きで袖に隠していた細身のナイフを取り出し、音を立てない独自の足運びでジーク王子との距離を詰める。
王子は気付いていない。振り向く素振りもない。
いける。
人を殺す事を躊躇わないように仕込まれてしまっていた私の身体は、嫌だと叫ぶ心を置き去りにして、ナイフを渾身の力で突き出した。