第一章 標的(3)
翌日、ほとんど一睡もできずに朝を迎えた私は舞踏会の準備に追われていた。
舞踏会が開催されるのは夕方から夜にかけてだが、正式に招待されている貴族令嬢ともなれば、朝から家準備でやる事が山積みなのだ。
朝からお風呂に入って肌を磨き、念入りに髪を梳いて結い上げ、化粧を施す。
そこまでは全ての貴族令嬢に共通することだ。
ただ、今回の私の場合は、他の令嬢と違ってドレス選びの基準は機動力重視である。
「お嬢様、今日はこちらのブルーのドレスでいかがでしょう?」
専属メイドのサーシャが示したドレスは、隠しスリットが入っており動きやすく、袖口には細身のナイフを隠し持てる造りになっている。
そして、このドレスは確かにゲームの序盤で悪役令嬢レリアが纏っていたのと同じものだ。
前世で熱中していたゲームの裏側では、悪役令嬢が王子の命を狙っていたのかと思うと、覗いてはいけない舞台裏を見てしまったような、何とも言えない心地になる。
「……お嬢様、本当に行かれるのですか?」
サーシャがいつもの無表情を崩さずに尋ねてくる。
彼女は祖母の代からメルクリア家に仕えており、彼女自身も幼い頃から私の側についてくれていて、当然我が家の裏家業も知っている。
「私に拒否権なんてないわ。お父様が決めた事だもの」
諦めて呟く私に、サーシャは静かな金色の瞳を向けてくる。
常にクールフェイスな彼女だが、長い付き合いの私には彼女の僅かな表情の揺らぎが読み取れた。
「……そんなに心配しないで。私なら大丈夫よ、サーシャ」
安心させたくて微笑んで見せると、サーシャはほんの少しだけ眉を顰めた。
「しかし、初めての標的が王族だなんて……もしもの事があったら……私まで職を失うのは御免です」
最後に出て来た本音に、思わず苦笑いする。
そう、サーシャはこういう人だ。よく言えば仕事に真面目、悪く言えば守銭奴。
昔から、面倒な事も金を積んだら文句を言わずにこなしてくれたっけ。
「私達万が一の事があっても、使用人にはベルフェール公爵が次の働き口くらい斡旋してくれるわよ、きっと」
これまで数えるくらいしか会ったことはないが、記憶にあるのは温和そうな笑みを浮かべた初老の男性の姿だ。
彼なら、もしも私達メルクリア家の爵位が剥奪されたとしても、使用人達を悪いようにはしない気がした。
しかし、サーシャは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「私はあの狸ジジイを信用できません。お嬢様が公爵を当てにした上で大丈夫と仰るようでしたら、私にも考えがあります」
「狸ジジイって……」
ウェスタニア王国で三大公爵家の一つであるベルフェール家の当主を「狸ジジイ」呼ばわりするなんて、命知らずにも程がある。
呆気に取られる私をよそに、サーシャはしれっと続ける。
「人の良さそうな顔をして、平気で他人の暗殺を依頼してくるんですから、狸じゃないですか。実際に手を汚すのはお嬢様達メルクリア家の方々で、自らは安全なところから高見の見物……本当に、いけ好かないジジイです」
サーシャがメルクリア家に忠義を尽くしているのは知っているが、ベルフェール公爵に対してここまで嫌悪感を露わにするのは意外だった。
「お嬢様、くれぐれも、人の表面的な笑顔に騙されないでくださいね」
サーシャがずいと詰め寄ってくる。
無表情のまま凄まれて、私は苦々しく笑いながら頷くしかなかった。