第四章 秘密(2)
食事が終わり、店を出る時、奥さんに手招きされた。
近付くと、こそっと耳打ちされる。
「ジルは不器用だけど、気の良い男だよ。こんな老夫婦の店に顔出しては、料理の代金以上の金を置いて行くんだ。あんないい男、他にはいないからね」
だから逃しちゃダメだよ、と奥さんは快活に笑う。
私は思わず小さく吹き出し、そうですねと頷いた。
「おい、行くぞー?」
王子に呼ばれてそちらへ歩みを進めると、背後から明るい声が投げかけられる。
「ジル、お嬢さん、また来ておくれよ!」
「おう、また来るぞ」
王子は軽く笑うと、私の手を取って歩き出した。
今度は何処へ行くのか尋ねようとしたその時。
「でっ……ジル! 探しましたよ!」
道の向こうからクラッドが慌てて走ってくるのが見えた。
最初の穏やかそうな笑みは何処にもなく、鬼の形相で王子に掴み掛かる。
「貴方はどうしていつもそうなんですか! 勝手に飛んで行って! 馬車で探し回る僕の身にもなってくださいよ!」
「あー、悪かったって!」
王子は適当に返すが、火に油だ。
「少しでも悪いと思っているのなら、二度と勝手に何処かへ飛んで行かないでくださいよ!」
ギリギリと音を立てそうな勢いで睨みを利かせるクラッドに、王子は肩を竦める。
「まったく、口煩い奴だ」
しかし、クラッドが何か耳打ちすると、王子の顔色が変わった。
「それは本当か?」
問われたクラッドが深刻な顔で頷く。
王子は忌々しげに舌打ちし、私に向き直ってすまなそうに眉を下げた。
「悪い、急用が入った。お前はクラッドに送らせるから、今日は帰ってくれ」
「え、あ、うん、わかった」
有無を言わさない何かを感じて、私は素直に首を縦に振った。
「いい子だ。また連絡する」
王子は私の頭を軽く撫でると、にこっと笑って王城に向かって走り出した。
それを見送ると、すぐさまクラッドが私を町外れに向けて誘導する。
国王の紋章の入った馬車で町中を乗り回す訳にはいかなかったのだろう。
馬車は町外れにひっそりと停められており、紋章の部分には布が掛けられていた。
「御手をどうぞ、レリア嬢」
馬車の戸を開けて、クラッドが手を差し出す。
その手を取って馬車に乗り込むと、クラッドは素早く戸を閉め、御者台へ回り込んだ。
馬車が停まっていた場所からメルクリア侯爵邸までは、意外にも五分ほどの距離だった。
屋敷が見えたので、私は慌てて前の小窓を開けて御者台にいるクラッドに呼び掛けた。
「すみません、お父様とお兄様が屋敷に戻っていたら厄介なので、敷地には入らずこの辺りで降ろして頂けませんか?」
私の言葉の意図を組んでくれたらしく、クラッドは不審そうにする様子もなく、壁際に寄せて馬車を停めた。
クラッドの手を借りて馬車を降りた、その時だった。
「あの!」
突然呼び止められて振り向き、ぎょっとする。
そこに立っていたのは、この世界のヒロイン、シルヴィ・ブランシュだったのだ。