第三章 本性(2)
闇が広がっている。
ここはどこだろう。
闇の中でも、不思議な事に自分の姿ははっきり見える。
白いブラウスにグレーのチノパンという格好、視界に映る黒い髪と、視界を縁取る黒い枠。
これは、前世の自分の姿だ。
黒い枠に手をやると、案の定瓶底のようなレンズの黒縁メガネがそこにあった。
ああ、これは夢か。
妙に納得しつつ、メガネを掛け直して辺りを見渡す。
すると、目の前の闇が不意に揺らめき、そこに人の形が浮かび上がってきた。
淡い金髪と紫の瞳の美少女、今世の私、レリアの姿だ。
レリアは宝石のような紫の瞳を私に据え、ぎろりと睨みつけてきた。
「ちょっと! アンタなんなのっ? 急に現れて私の体を乗っ取って! 返しなさいよ!」
「体を乗っ取った? 何のこと?」
前世の記憶が蘇った後のことを言っているのだろうか。
だとしたら、今目の前にいる彼女は、前世の記憶が戻る前の私か。
「私は次の依頼を受けて、一人前の殺し屋になるはずだったのよ! なのにその機会を無駄にして! どうしてくれるのよ!」
ヒステリックに叫ぶ彼女に、私は戸惑う。
彼女は私を自分以外の別人格だと思っているようだが、私には前世の記憶が戻る以前のレリアの記憶もちゃんと残っている。
前世の記憶を得たことで、それ以前と以後で人格にずれが生じた自覚はあったが、感性が変わってしまっただけのことという認識だった。
だが、今こうして目の前に以前のレリアが現れて、不満を大声で怒鳴り散らしている。
「何のために苦しい訓練に耐えてきたと思ってるのよ! お父様やお兄様のような立派な殺し屋になるためなのよ! それなのに急に現れて、私の人生を台無しにして! 許さないわよ!」
物凄い剣幕であるが、私は凪いだ海のような気持ちで空を眺めていた。
前世の私は冴えないアラサーOLだった。
見た目が冴えないせいで、職場ではよくナメられて仕事を押し付けられたり、強面の上司に理不尽に怒鳴られることも多かった。
だけど、普段は内向的な私だが、怒りが頂点に達すると、怒鳴ったりはせずとも理詰めで反論したり、仕事で相手に報復したりして、一泡も二泡も吹かせたりしたものだ。
そんな私が、美少女に怒鳴られたところで怯むはずもない。
何なら、夢とはいえ好きなゲームのキャラクターが目の前で動いている事に感動しているくらいだ。
「そんなこと言われても、私は貴方、貴方は私よ? 私だって、好き好んで殺し屋である貴方の人生に転生した訳じゃないわ」
強めの口調で言い切ると、レリアは虚を突かれたような顔で目を瞬いた。
「転生? 私の人生に? そんな馬鹿な」
「本当よ。私は前世の貴方なの」
「嘘よ! 私には魔力なんてないもの!」
「魔力?」
話が飛躍したように感じて首を傾げると、レリアは大きく頷いた。
「この世界には稀に別の世界から転生してくる人がいるけど、魂が世界の垣根を越える瞬間、大きなエネルギーを付与されるから、転生者は皆強い魔力を待って生まれてくるのよ。でも、私には生まれた時から魔力なんてないわ!」
嘘吐きとばかりに罵倒してくる彼女に、私は眉を寄せた。
彼女の態度にではなく、彼女が放った言葉にだ。
「ええ、私にも魔力はないはずよ。本当に転生者には強い魔力が付与されるの? 絶対? 漏れなく?」
自分に魔力が無いことはわかっていた。
レリアの記憶にも「魔力なし」として育ったことが刻まれているし、そもそもメルクリア家は魔術師の家系ではないので、魔力を持たずに生まれてくるのは当たり前でもある。
「……そのはずよ。でも、転生者はすごく珍しいから、必ずかどうかは、私にはわからないわ」
レリアが自信なさそうに眉を下げる。
しかし、すぐにはっとした様子で口を開いた。
「って、魔力なんてどうだって良いのよ! 早く私の体を返しなさいよ!」
「そんなこと言われても、返し方もわからないのに無理よ」
再び振り出しに戻ってしまった彼女の主張にやや呆れ気味に答えると、レリアは悔しそうに唸った。
「……こうなったら、絶対、ジーク王子は私が殺してやる……!」
鋭い眼で私を睨みながら、レリアが絞り出す。
その直後、私は闇から放り出された。