第二章 転機(5)
その後のことはあまり覚えていない。
婚約者候補として国王に認められてしまったことで、そのまま舞踏会ではジーク王子と踊りっぱなしだった。
侯爵令嬢としての教育で散々ダンスの練習をしてきて良かったと心から思った。
へとへとになりながらと挨拶にやってくる貴族に作り笑顔で対応していたら、いつの間にか舞踏会が終わっていた。
国王とルイス王子は退出し、私もジーク王子に促されるまま大広間を後にした。
「……私ももう帰宅して宜しいでしょうか?」
尋ねると、彼は少し考える素振りを見せてから、意味深な笑みを浮かべた。
「折角だから泊まって行ったらどうだ?」
「お断りします」
食い気味に答えると、王子は喉の奥で笑った。私の反応を楽しんでいるようだ。
「仕方ないな。じゃあ、明日迎えをやるから、準備して待っていろ」
「迎え? 明日何かあるのですか?」
「まあな。じゃあ、おやすみ」
悪戯っ子のような笑みで、彼は私の手の甲にそっと口付けた。まるで愛しい恋人にするかのように。
頰が熱くなるのを感じながら、私は誤魔化すように横を向いた。
そんな私の態度に気を悪くした様子もなく、王子は踵を返して廊下の奥へ消えていった。
気付けば、ちょうどエントランスホールへ繋がる階段の前だった。
どうやら私が帰ることを見越して、ここまで送ってくれたらしい。
最後まで見送らないのがどうにも彼らしいが、無理矢理引き留められなくて良かった。
階段を下るまと、父が落ち着かない様子で立っていた。
父は私の顔を見るなり、あからさまに安堵の息を吐いた。
「レリア! 良かった。ジーク王子の従者からここで待つよう言われたが状況が見えなくてどうしたものかと思っていたところだ」
「お父様、ご心配をお掛けして申し訳ございません」
「どういうことか、説明してもらうぞ」
父は険しい顔でそう言うと、馬車へ促した。
馬車の中で、今日あったことを説明すると、父は額を押さえた。
「まさか、失敗した上に顔と名前まで知られてしまうとは……しかも、よもや婚約者候補だと?」
「申し訳ございません……当然ですが、依頼主のことも、メルクリア家が一族で関わっていることも話しておりません。私が正式な婚約者となるまで一ヶ月あります。それまでに、何か対策を練れば……」
「お前、今の問題が、ジーク王子の暗殺失敗だけだと思っているのか?」
父の表情から、私がまだ何か見落としていることを察して、必死に思考を巡らせる。
しかし、暗殺失敗による一族の存亡以外に思いつかない。
首を捻る私に、父は深々と息を吐き出した。
「お前がジーク王子の婚約者候補になり、しかも一ヶ月後に他の候補が現れなければそのまま婚約者になる……つまりいずれ王子と結婚する事になった、なんて聞いたら、ディアスが黙ってはおらんだろうな」
その言葉に背筋が凍る。
そうだ、私が結婚できなくても自分が養うから問題ないなどと発言するくらいのシスコンであるディアスが、この状況で黙っているはずがない。
「……まさか、お兄様、ジーク王子を殺しに単身で城に乗り込んだりなんて……」
「するだろうな。ディアスは次期侯爵としても殺し屋としても優秀だが、ひとたびお前が絡むと途端に使い物にならなくなる……」
酷い言い草だが、その通りだ。
ディアスは妹である私を溺愛しすぎている。私が暗殺の標的であるジーク王子の婚約者候補になったなどと知ったら、即刻王子暗殺に動きかねない。
氷の貴公子の異名はどこへやら。
今の私から見たこの世界では、ディアスは全くクールキャラではない。
私の知っているゲームのシナリオや設定はどこへいってしまったのだろう。
そう考えて、はたと気付く。
先程の舞踏会に、ヒロインであるはずのシルヴィはいただろうか。
少なくとも、ジーク王子の婚約者候補として挨拶した貴族の中にはいなかった。
確かゲームでは、舞踏会イベントで、元庶民のヒロインはその場の空気に圧倒されて、壁際でひっそりするか、テラスへ避難するかを選択する。
前者を選ぶと、壁際にいるところをジーク王子の目に留まり、ダンスを申し込まれる。それに応じるとジーク攻略ルートへ、断るとルイス攻略ルートへ進む。つまりメインストーリーである。
そして後者を選ぶとサブストーリーへ進む。攻略対象が騎士団長か王国筆頭魔術師、またはディアスになるのだ。
舞踏会中、ジークは私の隣にいた。
つまり、彼はヒロインと出会っていない。
ルイスも婚約者候補の令嬢達と順番に踊っていたが、その中にヒロインはいなかったはずだ。
ということは、ヒロインは壁際ではなく、テラスへの避難を選んでいたのだろうか。
それならばそれで良い。
ヒロインがサブストーリーに進んだ場合、ゲームがハッピーエンドになったとしても、悪役令嬢が処刑されることはない。
私は自分がゲームのシナリオで処刑される可能性がなくなった事に、小さくガッツポーズをした。