子供の夢
私は幼い子供だった。
ようちえん、という10歳までの間の学習能力や社会性の成長を支援する機関があり、そこでは10になると卒業試験を受ける資格が得られる。
しかし卒業試験を受けるにはお金が必要で、10になった歳にまとまった金額を用意できなかった子供は、卒業証だけ与えられ、がっこうへの進学権利は得られなかった。卒業試験に合格できなかった子供も同様に、進学権利はない。
代わりに、脱落者はようちえんに通い、バイトやお手伝いを通して金銭を稼ぎ、がっこうに行くことが出来た先輩から勉強を教えてもらいながら生活する。
私は麗しく心優しいお姉さまに助けられながら、バイトとお手伝い、それからようちえんのイベントに歳下や脱落仲間と共に参加しながら成長し、ある日、お姉さまから及第点をもらう。
その後は勉強の時間を少し減らしてバイトにあて、結果として私の貯金は目標金額を目前にしていた。
そんなある時、路上で暴れている男が乱射した弱電気銃が、私の首と肩のつなぎ目に1発、そして左目の瞼左側に1発、命中する。
死ぬほどの威力は無いにしても、弱電気銃は子供の動きを止めるのには十分な威力を持っていた。さらに当たりどころが悪く、私の意識が一瞬途切れる。
私は運悪く道路の真ん中に立ち尽くすこととなり、そのまま車に轢かれてしまう。
そんな私が助かる方法がひとつ、あった。身体が既に死に近い私は、大した能力も持たず、親も居らず、ようちえんで暮らしていた。故に、丁度良かった。
新技術…それもまだ実際に試されたことがない意識移植の手術。それが成功すれば、私は生き長らえることができる。
そして、その技術の確立を支援したいと常々思っていたあるようちえん…それこそ私が住んでいるようちえんだった。
結果、保護者である園長の手で承諾のサインを書かれた私は、「30代の男性」への意識移植を施される。
手術の際には意識があった。意識を肉体から引き剥がす行為には痛みが伴うが、意識がなければ移植するものが見つけられないため、私は苦痛に苛まれる。
そしてわけもわからぬまま目覚めた私は、何人もの医者に歓迎され、讃えられ、「勇気ある身を呈した行動」を褒められる……オッサンになっていた。
治療費はない。 そして、治療費の請求はない。しかし、報酬もなく、私はオッサンの姿で「今までの生活」を続けることを余儀なくされる。
ようちえんで暮らす失敗作ともいえる大人…、それも仕草が女らしく言葉遣いも子供っぽく中身が完全に子供、中学生になったばかりのような精神であると周囲に思われた私には、まともな仕事はなかった。
ようちえんでは以前の友人に避けられ、「私」を奪った敵として虐められ、仕事は理不尽で、お姉さまは私の味方になったせいで周囲から距離を置かれる。
そんな、苦しみの中…どうして、生きられる。