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あれが間違いだった



「奥様、そんな顔をしていては眉間に皺が刻まれて一生後悔することになりますよ」

「私を奥様なんて呼ばないでよ! 私はあんなヤツとなんか結婚しないんだから!」


 リーア付きのメイドがドレッサーを片付ける手を止めてリーアを振り返った。彼女はこの屋敷に数年前から雇われているメイドで、今回侯爵が結婚したのでリーア付きのメイドに採用されたのだが、どうやら能力よりもその明るさで気に入られるタイプのようだ。妻のそばに着くメイドをこんな若い子にするなんて。もしかしたらあの男のお手つきかもしれない。だとしたらますます嫌いな所が増えるので、リーアは考えないことにした。

 メイドは不思議な顔をしてリーアをじっと見ている。


「でも奥様、お式は午前中に終わりましたよ?」

「あんなの無効よ。私は誓ってないんだから」

「でも結婚の証明書に記入されたんですよね。では夫婦でしょう?」


 メイドは心底わからないという顔をしている。リーアはそのアホそうな顔を引っ叩きたくなった。


「あなたたちは見なかったの? あの式を!」

「見ましたよ二階の席で。旦那様の使用人全員が見ておりました」

「それなのに何も思わなかったの?」


 メイドはにっこりと笑う。


「旦那様の奥様が元気な方で良かったねってみんなで盛り上がりました! 執事のゴードンさんなんて、嬉し泣きしてましたよ!」

「なんなのよ……」


 リーアは絶望した。メイドがある程度アホなことは仕方ないにしても、世の中では作法にやたら厳しいと聞く執事までもがあの結婚式を認めているというの?

 この屋敷は本で読んだ貴族屋敷とは全然違いすぎる!


「ゴードンさん、おっしゃってました。旦那様が結婚できるなんて思わなかったって! これで奥様が子供を産んでくださったら言うことないって。私子供って大好きなんです。奥様、たっくさん産んでくださいね!」


 使用人に気に入られるのはいいことだ。初めて侯爵夫人になった人間の滑り出しとして言えば完璧すぎる。本人がその結婚を受け入れてさえいれば。

 こんなことになるとは思わなかった……リーアはメイドに力なく微笑んだ。


+


 そもそものきっかけはリーアが王国騎士団の命を救ったことだった。


 リーアの家はミドレイシア王国の片隅にある貧しい領地を賜った弱小子爵で、人生のほとんどを領地で過ごしているくらい貧乏だった。社交シーズンになっても金銭的な理由で都会に行かずにいるくらいだ。


 そんな家の一人娘であるリーアは、子爵家の令嬢ではあるものの淑女教育はほとんど受けていなかった。無礼なことをしないように基本的な礼儀作法は習ったが、女の子らしい習い事は一切していない。もし結婚することになっても、ここにいる限り地主の次男三男か、神職の男性がいいところだからだ。結局身につけるなら実務的な知識の方が役に立つ。ということで現代文字と古代文字だけは何とか習わせてもらって、屋敷の古い図書室で農業や経営に関することをそこそこに自学した。

 そんなわけで、リーアは見たことのない煌びやかな都会に憧れる少女のようなところのない、金持ちや貴族などとの結婚など、夢に見たことも考えた事もない娘に育ったのだった。


 その日は軽く曇った天気で、霧も深く立ち込めていた。リーアは昼間から図書室で蝋燭をつけるのも憚られて森へ出ることにした。ハーブを集めて散歩していると、動物の足音に気づいて顔を上げた。霧の向こうには、ひどく傷ついた馬が足を引き摺りながらこちらに向かって立ち尽くしていた。


 その馬はリーアが見たことのある馬とは全く違っていた。驚くほどに大きく逞しい。筋肉が発達し、足もすらっと長い。そして背にはがっしりとした鞍がのっていた。田舎の荷車引きの馬とはあまりに違う。リーアは、これが本に出てくる軍馬というものだろうかと惚れ惚れと眺めた。しかし今は傷だらけだ。

 元々動物に好かれる体質のリーアに馬は警戒心も抱かず寄ってきた。そして忠誠を誓うようにリーアの目の前で深く頭を下げた。

 傷ついた動物はリーアにいつもこうするのだ。まるで生まれる前から体に刻みつけられているかのように、どんな生き物でも一緒だった。

 リーアは微笑んで馬を撫でた。


「怪我を治して欲しいのね」

 馬の頭に手を乗せ、魔法を流し込む。馬は一瞬強い光で包まれ、そして全ての傷が消え去った。それは今ある傷だけでなく昔の戦闘で怪我した古傷も回復させる魔法で、体の苦痛が全て消えたのがあまりに嬉しいのか、馬は喜びを全身に漲らせてリーアの周りを飛び跳ね回った。


「もう、危ないわ! 私を踏み潰したら後悔させるわよ!」

 馬は言葉に応えるようにすぐに飛び跳ねるのをやめ、リーアの肩に頭を擦り付けた。


「よしよし。こんなに大きいのに可愛い子ね。どこから来たの?」

 その言葉に耳をピンと上げた馬は、周りを見渡して倒木を見つけ、そこに体を寄せてリーアをじっと振り返った。


「乗れっていうの?」

 ブルルといな鳴きで答えたので、リーアは馬の希望に従って倒木を足がかりに馬の背中によじ登った。

 馬はすぐに歩き出し、リーアは霧の中でしばらく乗馬を楽しんだ。霧で遠くは見えないが、馬の逞しい背中の上は快適だった。

 空気に血の匂いが強くなってきたと感じた頃、馬が鼻を鳴らして注意を引いた。


 見下ろすとそこには筋肉質で大柄な、騎士風の男が倒れていた。服はボロボロで頭にも血を流している。髪は黒に近い焦茶で肩まで伸びている。顔は厳つく、その上今は苦痛まで張り付いてしまっていてわかりにくいが、不細工ではなさそうだ。年齢は30前後だろうか。

 服装からして盗賊の類では無さそうだが、リーアは馬から降りるのを渋った。


「騎士ね……生きてるの? 死体なら私には生き返らせられないわよ? 近づくのが怖いわ」

 騎士が盗賊でないと言っても、腰に剣をさして暴力を生業としていることには変わりない。そういうもの達は気性が荒いものだ。リーアは自分が女で非力だということは充分自覚していたので、馬の願いとはいえ近づいてみるには勇気がいった。それでなくても手負の男は怖いのだ。「何をされるかわからないから近寄っちゃダメだよ」というのが、小さな頃から物事の通りを教えてくれていた乳母の言葉だ。


「っ……俺は、死んでなどいない……」

 リーアの馬にかけた言葉に返事をしたのは地面に倒れて動かない騎士だった。

 喋ったのと同時に血の泡が飛び散る。歯が血で真っ赤だった。


「……俺の馬から降りろ。そいつは怪我してるんだ」

 男はうめきながら片目を開けて凄んだ。自分が死にかけているところなのに馬の方を心配するなんて、多少はいい人なのかもしれないとリーアは思う。


「馬が乗せてくれたのよ」

「ぐっ……どういう意味だ……それに、やけに元気だな、トリスタン」

「トリスタンってこの馬の名前? この子は怪我してないから大丈夫よ」


 リーアが渋々ながらそのトリスタンという馬から降りようかと思うと、馬はすぐに気付き、倒木を見つけて降りやすくしてくれた。リーアは馬の上から滑り降り、仕方なく男のそばに向かう。その為には「馬を大事にする人に悪い人はいないはず」と自分に言い聞かせなければいけなかった。


「どんな怪我をしているの」

「お嬢さんに見せられるような軽い怪我じゃない。見たら気絶するぞ」

「……じゃあ見ないわ」

「そうか、それはよかった」

 男が皮肉混じりに口元を捻って笑うと、リーアと男の体が全て包み込まれる範囲が光った。


「どう?」

「な……っ」

 男は目をまん丸にして言葉を失った。体にあった痛みが全て消えさり、傷が全て消えていたからだ。


「状態を見なくても治せるの。便利でしょ」

 リーアは皮肉を効かせて言った。


「他にも怪我人がいるなら治すわよ」

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