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偽りの花  作者: 竜胆鈴
2/2

追憶

3

「おはようございます、姫様」

菫の声で目を覚ます。

「姫様って呼ばないでって何回言えばわかるの」

「だって姫様は姫様でしょ」

意味がわからない。菫の家系は昔からこの一族に仕えていた。私が生まれた頃からずっと隣にいるので、なかなか外に出してもらえない私からすると友達のような存在だった。

「今日も紫苑の髪は綺麗ね」

私の長い髪を掬い上げる。まとまりの良い髪が光に照らされる。

「艶やかな紫苑色」

そう言って私の髪に口づけをする。

「私は短い方がいいんだけどね」

そう言うと菫は困ったように笑う。否定も肯定もしない。菫は私の本心を知っているから。いつも通り豪華な服を着て髪を結ってもらう。何年も続けてきたから手際がいい。

「さ、ご飯を食べましょう」

菫は私の手を取る。お姫様扱いは嫌なので、手を離した。菫はまた困ったように微笑む。

「今日は向こうの山から採れた山菜と隣の国からいただいた甘味ですよ」

「あの男はいるの?」

「ええ、いらっしゃいますよ」

菫は察したように返事をした。木漏れ日が差し込み暖かい部屋に沈黙が流れる。

「…そっか、わかった」

この家の長い廊下を歩いている時も何も話さない。

梅雨の時期に入ったのか、雨の日が多くなったように感じる。昨夜の豪雨で木の葉が落ち、地面が緑で染まっていた。昨夜の雨が廊下に入り込み、湿っている。

「姫様、足元に気をつけて」

菫が前を向き歩いたまま促す。

私は何も言わずにどんよりとした空気を吸った。


「おはようございます。お父様」

「遅いぞ、紫苑」

男は持っていた器から顔を上げて叱責する。

「申し訳ありません」

私はこの男が大嫌いだ。お母さんを殺したこの男が、私を真っ向から否定するこの男が。

私が席に着くと早速仕事の話を始める。

「今日は隣国から皇太子がやってくる。失礼のないように。」

「はい、お父様」

家族とは思えないほど冷めきった空気に思わず乾いた笑いを漏らしそうになる。

すると男は箸で私を指して思い出したように言った。

「あぁ、そのうちお前には見合いをしてもらう」

私は箸を止める。

「李家の長男だ。まあいろいろ理由はあるがお前には関係ない。結婚して子供を産んでもらえばそれでいい」

想像すると食べたものが戻ってきそうになり、嗚咽を漏らす。我慢できなくなり箸を落とし席を立つ。

「汚いぞ紫苑」

この男は私たち女のことを政治の道具としか見ていない。自分が上に這い上がることができるなら何でもいいと思っている。恐ろしくて汚い男だ。

「全部はお前が男だったら良かったことだ」

「まあ食事中ですし、そこまでに…」

控えていた菫が耐えきれずに男をたしなめる。

私はその場にいるのが嫌で外に飛び出す。父がため息をつくのが後ろで聞こえた。

「姫様!」

菫が追いかけてくる。私は早足で裏庭に出た。そしてしゃがみ込み、全てを吐き出す。運がいいのか悪いのか、

先ほどの晴れた暖かい空気とは逆に雨が降ってきた。

「はぁ゛…はっ…」

落ち着いたと思えば、また吐き気が込み上げてくる。

「紫苑…」

走ってきた菫が息を切らしながら呟く。どちらも濡れていた。濡れて服が透けて浮き出てくる自分の体つきにも嫌気が差した。どうすることもできない胸の痛みに耐えながら、口元についた吐瀉物を拭う。

「ねぇ、菫。私はどうしたらいいの…?」

菫に聞いても何も応えてくれないのは分かっている。ただ今は誰かに縋りたかった。

「紫苑…紫苑。ごめんなさい。何もできないや」

菫がこちらに近づき、私を抱きしめる。菫の呼気が耳元に当たり温かい。私はどうすることもできなくて、ただただ泣きじゃくった。





4

あの日から菫はよく私のそばにいてくれた。

「今日は剣技の稽古を見に行きませんか?」

菫が私を誘う。行きたいと言って目を輝かせば菫は喜んだ。今までは危険だと言って稽古場に近寄らせてくれなかった。

「姫様、ずっと見に行きたいと仰っていたでしょう。絶対喜ぶと思って稽古場の方にも了承を得ていたのですよ」

「ありがとう、菫」

最近は気分が晴れないことが多かったので、嬉しさが増した。稽古場に着くと、兵士たちが木刀を振るっていた。その覇気と熱気に圧倒される。

「姫様がやってきたぞ」

誰かがそう言うと一斉にこちらに顔を向ける。皆物珍しそうにこちらを見ていた。

「大丈夫なのか?こんなところに来て」

「ええ、許可は取ってありますし、問題はないでしょう」

私が答える代わりに菫が言った。

「もし良ければ、握ってみませんか?木刀」

1人の男がそう言うと、いいじゃないですか、と菫も乗り気だった。

「触ってみたい」

と私が呟くと2人は嬉しそうだった。1時間ほどなら稽古に付き合ってくれると言うので、いくつか基本の型を教えてもらった。

「重い…」と言葉を溢すと男は笑った。

「貧弱は姫様にはまだ早かったか」と茶化す。

しばらくすると稽古場の入り口の方がザワザワとしていた。

「どうした、紫苑は来ていないのか」

あの男の声だ。

「皇帝、えっとその…姫様はこちらにはいらっしゃらなくてですねぇ…」

「いるのだろう」

そう言って圧をかけると、あの男がこちらに気づき、スタスタと歩いてくる。

「私は稽古場を見てもいいと言ったが、木刀を触っていいなど言っていない」

私から木刀を奪い取り、下に落とす。

それから菫と指導してくれた男の方に視線を向ける。

「この2人を連れて行け」

側近に命令をすると2人を縛ってどこかに行こうとしている。

「痛い…!やめて!」

菫が痛みで声を上げる。私は言葉が出なくて追いかけようとすると、男に手首を掴まれる。

「お前は行くな」

冷たく低い声が私を貫く。結局私はどうすることもできない。

「全く、どいつもこいつも。政治の駒に傷をつけたらどうするつもりなんだ」

ため息をついて、こめかみを抑え込む。

この男は私を道具としか見てないことに再度気付かされる。誰も何も言うことができずに下を向く。

「でも…!いざという時のために、私も稽古をつけてもらいたい!」

男は少し驚いたように目を見張る。

「お前は、大人しく舞と管弦さえしとけばいいのだ」

向こうを向いて呟いたので、表情は見えなかったがひどく冷たく聞こえた。


その夜、私は菫の元に向かった。檻の中にいた菫は驚いたようにこっちを見た。

「紫苑!こんな場所へ来ては行けないでしょ」

菫が慌てて私を帰そうとする。

「ダメよ。今日は菫に謝らなきゃ行けないし、来なくちゃいけない気がしたから」

「なにそれ」と言い、可笑しそうに笑った。

私は夕食から盗んできた饅頭を菫に与えた。菫はお腹が空いていたのか、よく食べていた。

今晩は晴れていて、月がよく見える。月明かりが檻を隔てた私たちを照らす。

「菫、私菫のこと好きよ」

私がそう言うと菫も大きく頷いた。嬉しそうに、泣きそうになりながらこちらを見る。

「いつか、2人で逃げ出そうね」

そう言って互いの小指を交える。微笑み合い、2人の運命を誓った。





5

相変わらず菫は檻に閉じ込められたままだった。毎晩会いに行っているが、日に日に弱っているのが目に見えて耐えきれなかった。今日は李家の長男とのお見合いの日だった。いつもに増して豪華な衣装を見に纏い、目元と口元に色を乗せ、丁寧に結った髪に髪飾りをつける。意地でも鏡は見ないようにした。きっと吐いてしまうから。

「姫様、とっても綺麗ですわ」

「髪も艶やかで美しくって」

「新調した漢服もよくお似合いで」

侍女たちが次々に持て囃す。甲高い声が耳障りでしかなかった。

その時は突然やってきた。

空から鉄が降ってきた。

銃声と誰かの悲鳴が聞こえる。黒い衣装を身に纏った集団が屋敷に入ってきた。家の中は混乱していて、誰かの悲鳴と兵士の雄叫びで場は混沌とした空気に包まれた。私はその場に立ち尽くした。

そのあとすぐに菫の存在を思い出した。皆自分のことで精一杯なのか、誰も私のことを気にしていなかった。私は雨の中、菫のいる檻の元へ走った。あともう少しで着くというところで右足を撃たれる。急所ではなかったが、その場でよろけてしまう。頭から転けてしまい、そこにあった岩にぶつかる。意識が朦朧として上手く焦点が合わない。

「あと…もう少しだったのに」

そう呟き、岩のそばに生えていた菫の花を摘む。

「菫、愛してるよ」

そして意識を手放した。


しばらくすると目が覚めた。辺りはシンとしていて謎の集団はもう退いたのかと悟った。よろける足で立ち上がり、檻を目指した。雨がまだ降っており、傷口が滲みて痛い。やっとのことで檻にたどり着くとその光景に目を見張った。檻に爆弾のようなものが投げ込まれていたのか、檻を囲う壁と床が黒く焦げていた。菫の影も見当たらない。檻のそばにはなぜかあの男が横たわって、檻に手をかけていた。

何も考えられない頭で男を見下す。

「汚い手で、菫に触るな」

男の左手にあった刀を奪い取り、心臓めがけて一刺しした。息が切れて上手く呼吸ができない。

男の胸から血が溢れている。それを避けるようにして後ろに下がる。そうだ、髪が邪魔だ。

血塗られた刀を髪の近くに持っていく。


『今日も紫苑の髪は綺麗ね』


後ろから包み込むような声が聞こえた。

そして手で髪を掴み、思い切り刀を振う。


「僕は、男だ」


誰にも邪魔されずに生きていこうと決めた。必ず菫を見つける。

「今、会いにいくからね」

そう言って檻に向かって微笑んだ








「私、紫苑の目好きよ」

リリーが声をかける

「急にどうしたの?」

「なんとなくそう思ったの。本当に綺麗な菫色ね」

僕は菫の言葉を思い出し、ハッとした。

「僕も好きだよ。この目」

そう言ってリリーに微笑んだ。

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