「ご主人さまが痩せなければいいだけですから」 67.3 kg
裁判自体はうやむやな状態でお開きとなった。便宜上ぽっちゃり派の葵と細マッチョ派の楓で1週間ごとに管理の主導権を交代することで決着したらしい。
当然、俺にはなんの発言権もなかった。これでは避けていた実験動物扱いとあまり変わらないような気もする。
しかし、実に身体に悪そうな取り決めをしてくれたものだ。痩せる側の楓と交渉すればもう少しいい条件で健康な生活ができないものか。今週はさっそく楓の担当だというので交渉してみよう。
昼食時、テーブルの上に並んでいるのは普段よりも明らかに多いたんぱく質の塊だった。
「ご主人。細マッチョになるためには、まず筋肉をつけてから無駄な肉を落とすのがいいらしいのです。ということで、今週はたんぱく質メインで増量していただきます」
取り付く島がない。楓の週だけは多少運動強度が高くても健康的な日々を送れると思っていたのに。
「いや、でも葵さんが担当の週は勝手に増量するんだから、今週はそこまでしなくてもよくないかい」
無理と分かっていても抵抗したくなるのが男の性よ。なんとなく察しているだろうが、一緒に暮らし始めてから3年、使用人らに逆らって勝ったためしがない。
「葵ちゃんの週はおそらく脂肪と炭水化物で責めてくるのが見えていますからね。むしろここでたんぱく質を補充しておかないと筋肉の素が足りません」
「あと、今週は運動も控えめにいきましょう。引きこもり体質のご主人がいきなり激しいトレーニングをしたら十中八九怪我します。再来週から徐々に始めていきましょう」
かくして、俺のたんぱく質増量ウィークが幕を開けた。増量の基本は摂取カロリーだの、お腹いっぱいになってからが本番だのと、次々と食事量が増やされる。
食事自体は葵が作っているようで、肉や魚、卵などを中心に飽きることなく美味しい食事が堪能できた。量が多くとも満腹感が出ないよう味付けや食べ方が工夫されたため、無理に食べさせられるということはなかった。
が、それにより自分で食べた量の把握ができなくなり、出されたものを毎日完食してしまう。1日5食に加えて間食の味付きプロテインのおかげでみるみる体重は増え、結果的に1週間で約5 kg も体重が増加していた。
担当の1週間を終えた楓が総括する。
「目標体重を大幅に達成です。ここから徐々に絞っていくことで理想的な肉体になるはずです。あまりにも順調にいったものですから楓、少し不安ですが、細身の中にも暖かい筋肉が見え隠れする美しい細マッチョ目指していきましょうね!」
楓は嬉しそうだが、おそらくこれは罠だ。優秀な楓のことだから目標体重に関してはかなり厳密に決めたに違いない。だのにそれを大幅に超えたということは葵が食事で何かしらを管理、増量しているとみるべきだ。
部屋を出て自室に戻ろうと廊下を進むと、物憂げな表情で窓から月を眺める葵と出くわした。こちらに気づくなり、即座にいつものニヤニヤ顔になる。こちらがなにを言おうとしているのかもお見通しらしい。
「楓の食事メニューからだいぶ増やしたでしょ」
一瞬見せた横顔には触れず、単刀直入に切り出す。
「楓ちゃんは優秀なんですけど、一点を見つめたときにほかが見えなくなる欠点があるんですよね。よほどご主人さまの細マッチョをご所望なのかもしれません。少なくとも、楓ちゃんは喜んでいるので協定違反ではないですね」
さらっと不正を告白する葵。体重という基準がなければ実験されている自分すら気づかないほど見事に盛られてしまっていた。メイドなんかよりスパイとかのほうがよっぽど向いていそうだ。
「そんなことより、ご主人さまは外の状況を把握していますか。西の海に豊富に埋蔵されていたメタンハイドレートの低コスト掘削法が開発されたとかで、エネルギー株を中心に株価が上昇。我が国の市場全体では1週間で3%近い上昇ですって。近年では見られなかった伸びですよ。本当に、その『体質』は何をもたらすのかわかりませんね」
そう。この『体質』はどこから経済を操るのか全く予測ができない。以前、1日だけ断食して実験したときは首都を前代未聞のゲリラ豪雨で機能停止させた。だからこそ慎重に、という俺の意志は葵の中でどこかにいってしまっている。
「誰がどうなろうと関係ないですよね。私はご主人さまとその周りだけが延々と繁栄し続ければいいと思っていますから」
それには同意する。屋敷の外へ一歩踏み出せば、私利私欲が人を殺す世界だ。
「とはいえ、いくらなんでもやりすぎじゃないか?減量成功したらどうなるか分かったもんじゃない。大規模災害なんかで人死にが出れば、それこそ本家とやっていることは変わらなくなってしまうよ」
「大丈夫ですよっ。ご主人さまが痩せなければいいだけですから。私がコントロールしてみせますよ。きっと」
諫める言葉も冗談で躱されてしまう。実際、月を見ながら考えていたのだろう。冗談のような言葉の中にも、どこか重みを感じた。
『体質』を見つけてから意図的に変動を起こすのは断食に次いで2度目。歴史を振り返ってみればプラスの現象はある程度想定できるが、ゲリラ豪雨以上のマイナス現象を引き起こした例はない。
葵が食事量を増やして体重の増減量を増やしたのはこうした実験的な意味もあるのではないか。
『体質』にはわからないことが多すぎる。どのような範囲まで拡大するのか。それに伴う影響は。そもそも連動しているのは本当に我が国の経済だけなのか。
葵と別れて自室に帰ってからも考え込んでしまい、なかなか寝付けないままに夜は過ぎていった。
6/9 我が国の市場全体では1週間で"10"%近い"大暴騰"ですって。→我が国の市場全体では1週間で"3"%近い"上昇"ですって。"近年では見られなかった伸びですよ。" に変更、追加
第7部分での計算間違いに合わせて数値を変更しました。よろしくお願いします。
6/9 主人公の口調を統一




